夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
17 / 219
第一章

規則 7.

 食後のコーヒーを飲み終わる頃にはもう、ショーンとは取り立てて話すこともなくなっていた。彼の方も気が済んだのか長居することもなく、自室に戻った。すっきり頭を切り替えてパソコン作業に勤しむことができた。コウが戻ってくるまでに集中して進めておかなければ――。昨夜のようなことになってはかなわないもの。


 予想外に早く玄関の鍵を開ける音がした。嬉しくて、迎えにでたよ。

「アル、ただいま! お腹空いたー!」
 僕の顔を見るなり、コウがゴムボールみたいに跳ねて飛びついてくる。
「おかえり、コウ」
 抱きしめて、絹の黒髪にキスを落とす。可愛い――。


「コウ、食事、まだなのか?」
 階上から声がかかる。ショーンが耳聡く聴きつけて、手摺りから身を乗り出して覗き下ろしていた。

「うん、夕飯はいらないって言ったのに、結局食べてないんだ。もう、ぺこぺこ。でも、気にしないで。適当に自分でするよ!」
 コウは、ぱっと僕から身体を離し、階上を見あげて声を張りあげる。
「俺はきみが作ってくれたスシを食べたんだ。だから、用意した夕飯が一人分残ってるよ。それを食べろよ」
「本当? ありがとう、ショーン、助かるよ」
 相好を崩すコウに照れた様子で笑い返しながら、自室に引っ込んだはずのショーンが当然のように階段を下りてくる。頭痛がしそうだ――。


「そういえば、彼、ドレイクは?」
「喧嘩しちゃって――」

 苦笑を見せ、コウは困りきった様子で小鳥のように首を傾けている。

「僕は怒ってるんだよ。こんな、いつもいつも彼のわがままに振り回されて! それで途中で別れて一人で戻ってきたんだ。きみの顔を見たとたん、ほっとしたよ。お昼も食べてなかったの、思い出した」

 夕食だけじゃなく、お昼も、って、こんな時間まで?

 思わず眉根を寄せてしまった。コウは、あっと言い訳するように、はにかんだ笑みを唇にのせる。

「ロンドン中、歩き回っていて、ついね。夢中で空腹を忘れていたんだ」
「観光地を歩いて回ったの?」
「観光地、っていうか――。ドラコの行きたいところ」

「コウ、温めてやるから、居間で待ってろよ」
「ありがとう、ショーン!」

 先にキッチンに入っていたショーンが顔をのぞかせ、玄関に佇んだままだった僕たちを促した。コウは明るく返事をする。僕の腕をしっかり掴んだまま。そして「くたびれた……」と、聞き取れないくらいの小声で呟いた。


 あの、赤毛――。

 僕の腕に自分の腕を巻きつけて、僕の肩に額をあずけているコウは、枝に絡まる蔦のようだ。

「ほっとする」

 僕を見あげて、目を細める。

 もっと甘えて。

 可愛くて、堪らなくて、深く口づけていた。こんなところで、こんなことをすることを、コウは嫌がるって知っていたけど。

 でも、コウは僕のキスに応えてくれた。甘えるように僕を噛んだ。


「コウ、」

 ショーンの声にも、僕の背に回した腕を解かなかった。離れることを拒むように、一瞬、より強く縋りついてくる。ショーンの視線も、絡みつく。

「うん、今、行く。ありがとう」

 名残惜しそうに、コウの指先から力が抜ける。琥珀色の瞳が、まだ嫌だ、と言っているのに――。

「アル、僕も、きみもペナルティ1だね。『公共スペースでいちゃつかない』って、もう違反しちゃったよ――」

 仕方ないな、と甘い吐息を漏らしコウは小さく笑う。そういえばそんな規則を入れたかな、と意識の隅を掠めたけれど、コウの疲れ切った様子が気になってそれどころじゃなかった。


「食事しておいで。お茶を淹れてあげる。中華だからジャスミン茶がいいかな」

 にっこり微笑んだコウの頭をもう一度軽くかき抱いた。コウが気にしない程度に、軽く。それから、ショーンと入れ替わりでキッチンに入った。

 

 ティーセットをトレイに載せて居間に戻ると、コウはさっき見せた疲れなんて吹き飛ばしたように、声を立てて笑っていた。テーブルの上の食事は、まだそれほど減ってない。

「あ、アル、ショーンがね、可笑しいんだよ!」

 涙を滲ませて、コウは笑い転げている。ショーンはニヤニヤ笑いながら、ちらと僕を見た。さも自慢げに――。

 気づかぬフリをして、コウの横に腰掛けた。テーブルクロスに隠れて、素足の指で彼のジーンズの下のソックスを挟んで脱がせ、そのまま足の甲に指先を滑らせた。ピクリと反応する。滑らかな肌は少し湿り気を帯びていて、柔らかい。子どものように小さな足。

 白いテーブルクロスの上では、素知らぬ様子で、とうとうと喋り続けているショーンの話に聴き入っている、そんなコウの笑い声が、徐々に不自然に掠れていく。口許に強張った笑みを湛えたまま。

 ――触れる先から、固まっていく。赤く、上気していく。僕の熱で窯変していく、可愛いコウ――。


「せっかくショーンが温め直してくれたのに、食べないと冷めてしまうよ」

 スプーンを握りしめたまま固まっている彼に、にっこりと微笑みかけた。すっかり染まってしまった面を伏せ、恨めしげに上目遣いに僕を睨んで、コウはぷんと膨れた頬にチャーハンを含んだ。今度は、脇目も振らずに食べることに精をだす。もう、ショーンの話も耳に入っていないのだろう。変に思われないように、代わりに僕が相槌を打ち、熱心に聞き入るフリをしてあげる。



「おやすみ、ショーン」

 食べ終えるとすぐに席を立ち、コウの肩を叩いて促した。「もう寝るのか?」とショーンは不満そうだ。「明日も早いからね」と吐息交じりに笑顔で返した。

「おやすみ。ここのお店の春巻き、美味しかった。また教えて」と、コウも取り繕うように言葉をつなぐ。ショーンは見るからに憮然としている。だが渋々と、「おやすみ」と呟くより仕方がない。

 コウの肩を抱いて居間を後にする。



 解っただろう――。僕のコウに、そんな色目なんて使うんじゃないよ。





 
感想 4

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。