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第一章
模様 7
僕の前で、コウは嘘つきだ。ショーンの作った冷めかけた朝食を食べている間、彼は饒舌に喋り、笑っていた。さも元気であるかのように装っていた。焦げた目玉焼きに、缶詰を温めただけのコーンスープ、やたらと脂っこいウインナーさえ、美味しいと言いながら口に運んでいた。コウなら、病み上がりにこんな重い朝食は作らないのに――。
8月の半ばに一週間ほど取れることになった休暇をふまえて、コウの夏の予定をさり気なく訊いてみた。
「バズが遊びにきたい、って。メールをもらったんだ。アル、どうしようか? 春にお世話になったから泊めてあげたいんだけど、かまわないかな?」
「もちろん。でもその子、どこで寝るの?」
「俺の部屋を空けるよ。その間、俺はミラのところにでも泊まるからさ」
すかさずショーンが嬉しそうに声を弾ませて口を挟む。でも、
バズって子は、きみの従弟だろ?
それがどうしてコウから話がくるのかが判らない。前回のコウの旅行中、その子の家に滞在して友だちになった話は聴いている。友人の少ないコウが、気軽な話のできる相手を得ることができて、とても喜んでいたのも知っている。僕にしても、その子に逢ってみたい気はあるんだ。
「じゃあ、後はマリーだね。それにドラコにも訊かないと。全員の許可をもらったら、友だちをこの家に呼んでもいいんだったよね?」
コウは確認するように僕を見あげる。だがすぐに眉根をよせて、ぎゅっと目を瞑った。貧血を起こしているんだ。「コウ、ソファーに移ろうか。コーヒーを……、いや、ミルクティーを淹れてあげるよ。生姜をたっぷり効かせて」ゆっくりと目線をあげた彼は頷いて「アル、ありがとう」と、――ゆらりと立ち上がる。
「それより、まだ寝ていた方がいいじゃないのか? ムリするなよ」
僕が差し伸べた手に気づかなかったのか、ショーンが割って入っていた。当然のようにコウの肩を抱いて彼を支えている。僕の目の前で――。
「そうだね、そうさせてもらおうかな」
そう言いながらも、コウは食べ終えた食器を重ね、片づけようとしているのだ。そんなことは――、
「そんなこといいから。寝てろよ。せっかく良くなってきてるのに、またぶり返しちまうぞ」
ショーンは奪いとるように食器を取りあげ、ガチャガチャと食洗機に入れた。
「ありがとう、ショーン」
「コウ、」
「ほら部屋に戻っとけ」
「うん」
僕を遮ぎり、ショーンはコウを追い立てるように連れて、キッチンを出た。
――後を追っていくのも腹立たしくて、コウのためにお茶を淹れた。生姜をすりおろし、茶葉といっしょにポットに入れた。それからお湯が沸くのを待つ間、ぼんやりバニーに言われたことを思い返していた。
エディプス期について――。
脳裏に浮かんでいたのは、実の父親ではないスティーブだった。
たしかにバニーの言う通り、僕は物心ついたころから従順ないい子だった。スティーブが好きだから彼に気に入られたかったし、僕のことで喜んで欲しいといつも願っていた。育ててくれた彼に対して従順であることが間違っていたとは、今でも思わない。けれどそれは予期せぬ歪みに、スティーブとはまったく関係ない場面で表れた僕の性格上の欠点に結びついていた。
それに気づかせてくれたのは、バニーだ。
今みたいな、誰かと競い合う場面で僕はいつも出遅れる。一瞬、躊躇する。一対一であれば迷わないことでも、足をすくませる。競い合うことを拒否するのは、エディプス・コンプレックスを乗り越えられていないからだ。
――きみは対立することを、本能的に避けている。
だから従順な依存関係を維持できる男性ばかりを恋愛対象としてきた。愛情をかけてくれなかった実父と、反抗の許されない養父であるスティーブのどちらをも転移しているのだろう、と。
たしかに、今まではそんな傾向もあったかもしれない――。
けれど今さら、そんなはずがないじゃないか。そんな関係性だって、自分で選んだわけではない。僕が従順なのではなく、年長の彼らが僕の好きにさせてくれたからつきあっていただけのことだ。
バニーだってその範疇じゃないか。あの頃の僕と今の僕を、同一線上に置くことなんてできない。だから、今の、こんな気おくれは、無意識の癖のようなもの。大丈夫。意識化できれば、次からは惑わされない。
僕が僕の意志で選んだのは、後にも、先にも、コウだけなのだ――。
僕と楽しむためでなく、僕のために涙を流し、僕自身を抱えてくれ、寄り添ってくれたコウだけだ。誰にも見えない透明の僕を、コウだけが気づいて見つけてくれた。僕を抱きしめるためだけに、その身を投げだしてくれた。コウは――、彼の指向は、ゲイではないのに。
僕のコウだ――。
僕を愛してくれ、僕が愛している唯一無二のかけがえのない恋人。誰にも渡さない。誰にも邪魔されたくない。誰にも立ち入って欲しくない、僕たちの間に。
煮えたぎったお湯をポットに注ぎ、立ち昇る生姜の香りを遮るように蓋をして、ティーコジーを被せた。
コウは、僕だけのもの――。
8月の半ばに一週間ほど取れることになった休暇をふまえて、コウの夏の予定をさり気なく訊いてみた。
「バズが遊びにきたい、って。メールをもらったんだ。アル、どうしようか? 春にお世話になったから泊めてあげたいんだけど、かまわないかな?」
「もちろん。でもその子、どこで寝るの?」
「俺の部屋を空けるよ。その間、俺はミラのところにでも泊まるからさ」
すかさずショーンが嬉しそうに声を弾ませて口を挟む。でも、
バズって子は、きみの従弟だろ?
それがどうしてコウから話がくるのかが判らない。前回のコウの旅行中、その子の家に滞在して友だちになった話は聴いている。友人の少ないコウが、気軽な話のできる相手を得ることができて、とても喜んでいたのも知っている。僕にしても、その子に逢ってみたい気はあるんだ。
「じゃあ、後はマリーだね。それにドラコにも訊かないと。全員の許可をもらったら、友だちをこの家に呼んでもいいんだったよね?」
コウは確認するように僕を見あげる。だがすぐに眉根をよせて、ぎゅっと目を瞑った。貧血を起こしているんだ。「コウ、ソファーに移ろうか。コーヒーを……、いや、ミルクティーを淹れてあげるよ。生姜をたっぷり効かせて」ゆっくりと目線をあげた彼は頷いて「アル、ありがとう」と、――ゆらりと立ち上がる。
「それより、まだ寝ていた方がいいじゃないのか? ムリするなよ」
僕が差し伸べた手に気づかなかったのか、ショーンが割って入っていた。当然のようにコウの肩を抱いて彼を支えている。僕の目の前で――。
「そうだね、そうさせてもらおうかな」
そう言いながらも、コウは食べ終えた食器を重ね、片づけようとしているのだ。そんなことは――、
「そんなこといいから。寝てろよ。せっかく良くなってきてるのに、またぶり返しちまうぞ」
ショーンは奪いとるように食器を取りあげ、ガチャガチャと食洗機に入れた。
「ありがとう、ショーン」
「コウ、」
「ほら部屋に戻っとけ」
「うん」
僕を遮ぎり、ショーンはコウを追い立てるように連れて、キッチンを出た。
――後を追っていくのも腹立たしくて、コウのためにお茶を淹れた。生姜をすりおろし、茶葉といっしょにポットに入れた。それからお湯が沸くのを待つ間、ぼんやりバニーに言われたことを思い返していた。
エディプス期について――。
脳裏に浮かんでいたのは、実の父親ではないスティーブだった。
たしかにバニーの言う通り、僕は物心ついたころから従順ないい子だった。スティーブが好きだから彼に気に入られたかったし、僕のことで喜んで欲しいといつも願っていた。育ててくれた彼に対して従順であることが間違っていたとは、今でも思わない。けれどそれは予期せぬ歪みに、スティーブとはまったく関係ない場面で表れた僕の性格上の欠点に結びついていた。
それに気づかせてくれたのは、バニーだ。
今みたいな、誰かと競い合う場面で僕はいつも出遅れる。一瞬、躊躇する。一対一であれば迷わないことでも、足をすくませる。競い合うことを拒否するのは、エディプス・コンプレックスを乗り越えられていないからだ。
――きみは対立することを、本能的に避けている。
だから従順な依存関係を維持できる男性ばかりを恋愛対象としてきた。愛情をかけてくれなかった実父と、反抗の許されない養父であるスティーブのどちらをも転移しているのだろう、と。
たしかに、今まではそんな傾向もあったかもしれない――。
けれど今さら、そんなはずがないじゃないか。そんな関係性だって、自分で選んだわけではない。僕が従順なのではなく、年長の彼らが僕の好きにさせてくれたからつきあっていただけのことだ。
バニーだってその範疇じゃないか。あの頃の僕と今の僕を、同一線上に置くことなんてできない。だから、今の、こんな気おくれは、無意識の癖のようなもの。大丈夫。意識化できれば、次からは惑わされない。
僕が僕の意志で選んだのは、後にも、先にも、コウだけなのだ――。
僕と楽しむためでなく、僕のために涙を流し、僕自身を抱えてくれ、寄り添ってくれたコウだけだ。誰にも見えない透明の僕を、コウだけが気づいて見つけてくれた。僕を抱きしめるためだけに、その身を投げだしてくれた。コウは――、彼の指向は、ゲイではないのに。
僕のコウだ――。
僕を愛してくれ、僕が愛している唯一無二のかけがえのない恋人。誰にも渡さない。誰にも邪魔されたくない。誰にも立ち入って欲しくない、僕たちの間に。
煮えたぎったお湯をポットに注ぎ、立ち昇る生姜の香りを遮るように蓋をして、ティーコジーを被せた。
コウは、僕だけのもの――。
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