43 / 219
第二章
ゲスト
八月になった。いよいよカウントダウンだ。この世の終わりを迎える日を知りながら日常を遺憾なく過ごすがごとく、僕たちは日々を装っている。内心はため息ばかりつきながら、焦燥と悔恨の間を振り子のように揺れている。どこかに行きつきそうでいて、決してあてなどない嘘という波間にゆらゆら漂いながら、僕はひとり、水面に反射する光のような、瞬間、瞬間の愛しい人をせめて瞳に焼きつけておこうと目を凝らす。何も手につかない自分自身を悪びれもせず、見せつけながら――。
「そんなに見られてると、恥ずかしいよ」
テーブル越しに、コウがちらりと目線をあげる。
「見てないよ」
僕は笑って嘘をつく。コウは軽く僕を睨んで、すぐに視線を本に落とす。本当は本なんて読んでいないくせに――。僕を意識してぎくしゃくとしているコウが可愛い。
すっかり体調も良くなり普段のリズムを取り戻したコウは、大人しく寝ているしかなかった日々を取り戻すかのように、課題図書を読み耽っている、フリをする。せっかくの土曜日だというのに――。もっとも、コウは夏の陽射しに弱いのだから、こうして出歩かずに家にいてくれるだけでも、ほっとはするのだが。
コウが当たり前に僕の眼前にいてくれる。赤毛とほっつき歩いたりせずに――。それが僕だけのためなら、どれほど嬉しいことか――。でも、現実はそんなに甘くない。彼がこうして朝からそわそわと落ち着かず、すべきことも尽きてやっとソファーに腰を下ろして本を開いたのは、僕のためじゃない。
これから迎える客人のためだ。ショーンの従弟をさりげなさを装って迎えるためだ。
日中の僕のいない時間帯に、コウは屋根裏を掃除し、簡易ベッドを入れ、使われなくなっていた古家具の手入れをし、すっかり居心地よく部屋を整えた。数日世話になっただけの相手のために。詳しく聞けば宿を借りただけで、そこでの食事は、ほぼコウが作ってやっていたという、世話になったのはいったいどっちなのだと尋ねたくなるような話だ。律儀なコウにしてみれば、一宿一飯の恩――、ということなのだろうが。
Aレベル試験対策の夏季集中講座を受けるためにロンドンに来る、というからこの夏中ここに居座るつもりか、と一瞬背筋が凍りついた。けれど、さすがにそこまで常識のない奴ではないらしく、講座はショーンの実家から通い、週末を利用してコウに会いにくるだけだという。だがそういうことなら、わざわざ部屋を用意してまで泊める必要なんてないじゃないか。コウの話は、どこまでが本心なのか疑わしい。
あの屋根裏部屋――。ショーンの従弟のためだなんて言い訳に過ぎなくて、本当は僕から逃げるために整えたのではないか、と――。そんな疑念が頭から離れない。
僕が家を抜け出し、夜明け前に帰ってきたことに、コウは何も言わなかった。問い質すことも、糾弾することも。解らないはずはないのに。その後の、僕の横暴な振舞いに対しても――。
そして、今も。
コウは何も言わない。言ってくれない。
「アル」
「なに?」
「こっちに来て。視線がくすぐったいんだ」
はにかんだように、微笑う。
横に座り直すと、コウは当前のように僕の肩に頭を預ける。ローズマリーがふわりと香る。コウのもつ穏やかな空気が僕を包んでくれる。ほっとする。コウの領域に僕はいるのに、彼は僕を侵食しない。僕はただ、いるということを許される。ガラスのローテーブルで隔てられていたわずかな距離がなくなるだけで、こんなにも安堵する。胸に渦巻いていたどす黒い波は穏やかに凪いで――。
「ねぇ、アル、」
「ん?」
「今日来る子、バズはね、自分の性的指向が判らなくなったって悩んでたんだ。そういうことって、よくあることなのかな?」
「きみは、コウ? 悩まないの?」
「よく判らないよ。僕は初めからきみが好きだったもの。性別なんて考えなかった」
「男なのに、って悩まなかったの?」
「うん。そんな基準で考えなかった。そのバズの悩みを聞いた後、考えてみたんだ。なんでだろうって――」
「うん」
「僕の家って、どんなときでも人対人なんだ。物心ついたころから、親と子どもじゃなくて、人と人として考えなきゃいけなかった。僕はそんなふうに育てられてきたんだ」
でもそれでは――、
続く言葉を口にすれば、コウを傷つけるのではないか、と喉元まで出かかった言葉を呑みこみ、肩にもたれるコウに腕を回してきゅっと抱きしめた。
「人としてのきみが好きだよ。僕は男が好きなんでも、女が好きなんでもない。きみっていう人が好き」
コウは幼い。いまだに性の快楽を解っていない。自分の理性を信じ、理性にしがみつき、これは愛だと自分自身に言い聞かせる。そうやってコウが逃げるから、僕は彼を追いかける。掴まえて支配するために――。満足するまで貪るために――。
コウのせいだ。
コウのこの幼さが、僕の劣情を掻きたてる。コウをセックスで支配できたら僕は今よりももっと安心できる、とそんな気にさせる。コウのせいだ――。コウの全てを喰らい尽くせば、僕は――。
玄関のブザーがなった。コウはぱっと笑みを広げる。
「来たみたいだ」
いそいそと立ちあがるコウ。僕以外の男を迎えるために、僕の傍から離れていく。僕の知らないコウの世界を、この家に迎えるために。
あの、赤毛のような――。
「そんなに見られてると、恥ずかしいよ」
テーブル越しに、コウがちらりと目線をあげる。
「見てないよ」
僕は笑って嘘をつく。コウは軽く僕を睨んで、すぐに視線を本に落とす。本当は本なんて読んでいないくせに――。僕を意識してぎくしゃくとしているコウが可愛い。
すっかり体調も良くなり普段のリズムを取り戻したコウは、大人しく寝ているしかなかった日々を取り戻すかのように、課題図書を読み耽っている、フリをする。せっかくの土曜日だというのに――。もっとも、コウは夏の陽射しに弱いのだから、こうして出歩かずに家にいてくれるだけでも、ほっとはするのだが。
コウが当たり前に僕の眼前にいてくれる。赤毛とほっつき歩いたりせずに――。それが僕だけのためなら、どれほど嬉しいことか――。でも、現実はそんなに甘くない。彼がこうして朝からそわそわと落ち着かず、すべきことも尽きてやっとソファーに腰を下ろして本を開いたのは、僕のためじゃない。
これから迎える客人のためだ。ショーンの従弟をさりげなさを装って迎えるためだ。
日中の僕のいない時間帯に、コウは屋根裏を掃除し、簡易ベッドを入れ、使われなくなっていた古家具の手入れをし、すっかり居心地よく部屋を整えた。数日世話になっただけの相手のために。詳しく聞けば宿を借りただけで、そこでの食事は、ほぼコウが作ってやっていたという、世話になったのはいったいどっちなのだと尋ねたくなるような話だ。律儀なコウにしてみれば、一宿一飯の恩――、ということなのだろうが。
Aレベル試験対策の夏季集中講座を受けるためにロンドンに来る、というからこの夏中ここに居座るつもりか、と一瞬背筋が凍りついた。けれど、さすがにそこまで常識のない奴ではないらしく、講座はショーンの実家から通い、週末を利用してコウに会いにくるだけだという。だがそういうことなら、わざわざ部屋を用意してまで泊める必要なんてないじゃないか。コウの話は、どこまでが本心なのか疑わしい。
あの屋根裏部屋――。ショーンの従弟のためだなんて言い訳に過ぎなくて、本当は僕から逃げるために整えたのではないか、と――。そんな疑念が頭から離れない。
僕が家を抜け出し、夜明け前に帰ってきたことに、コウは何も言わなかった。問い質すことも、糾弾することも。解らないはずはないのに。その後の、僕の横暴な振舞いに対しても――。
そして、今も。
コウは何も言わない。言ってくれない。
「アル」
「なに?」
「こっちに来て。視線がくすぐったいんだ」
はにかんだように、微笑う。
横に座り直すと、コウは当前のように僕の肩に頭を預ける。ローズマリーがふわりと香る。コウのもつ穏やかな空気が僕を包んでくれる。ほっとする。コウの領域に僕はいるのに、彼は僕を侵食しない。僕はただ、いるということを許される。ガラスのローテーブルで隔てられていたわずかな距離がなくなるだけで、こんなにも安堵する。胸に渦巻いていたどす黒い波は穏やかに凪いで――。
「ねぇ、アル、」
「ん?」
「今日来る子、バズはね、自分の性的指向が判らなくなったって悩んでたんだ。そういうことって、よくあることなのかな?」
「きみは、コウ? 悩まないの?」
「よく判らないよ。僕は初めからきみが好きだったもの。性別なんて考えなかった」
「男なのに、って悩まなかったの?」
「うん。そんな基準で考えなかった。そのバズの悩みを聞いた後、考えてみたんだ。なんでだろうって――」
「うん」
「僕の家って、どんなときでも人対人なんだ。物心ついたころから、親と子どもじゃなくて、人と人として考えなきゃいけなかった。僕はそんなふうに育てられてきたんだ」
でもそれでは――、
続く言葉を口にすれば、コウを傷つけるのではないか、と喉元まで出かかった言葉を呑みこみ、肩にもたれるコウに腕を回してきゅっと抱きしめた。
「人としてのきみが好きだよ。僕は男が好きなんでも、女が好きなんでもない。きみっていう人が好き」
コウは幼い。いまだに性の快楽を解っていない。自分の理性を信じ、理性にしがみつき、これは愛だと自分自身に言い聞かせる。そうやってコウが逃げるから、僕は彼を追いかける。掴まえて支配するために――。満足するまで貪るために――。
コウのせいだ。
コウのこの幼さが、僕の劣情を掻きたてる。コウをセックスで支配できたら僕は今よりももっと安心できる、とそんな気にさせる。コウのせいだ――。コウの全てを喰らい尽くせば、僕は――。
玄関のブザーがなった。コウはぱっと笑みを広げる。
「来たみたいだ」
いそいそと立ちあがるコウ。僕以外の男を迎えるために、僕の傍から離れていく。僕の知らないコウの世界を、この家に迎えるために。
あの、赤毛のような――。
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
さよなら、永遠の友達
万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。
卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。
10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。