46 / 219
第二章
ゲスト 4.
しばらくしてショーンが戻ってきた。「腹減ってるんだ。食い足りないよ」と言って。テーブルに残ったままのスコーンにまた手を伸ばしている。「持って上がれば」と提案すると、「コウがバズの勉強をみてやるのに、俺は邪魔みたいだからさ」と首をふる。
コウと彼を二人きりにするなんて冗談じゃない!
適当に理由をつけてその場を離れ、屋根裏部屋に続く階段を急いだ。
屋根裏までは空調設備はいき届いていない。風を通すためか、ドアは大きく開け放たれている。声高で楽しげな、筒抜けの会話に足が止まった。
「あんな並外れて綺麗な人に愛されるって――、それって、一つの災厄だと言っていいんじゃないの?」
「幸せすぎるってこと? やっぱり、アルのことを好きな、知らない誰かから恨まれたりするかな? アルはそんなことにならないように、すごく気をつけてくれてるんだけど」
「そうじゃなくて」
軽い声音で冗談めかしてはいるが、どこかもどかしげな会話は、そこでいったん途切れた。コウはバズの言葉の続きを待っているようだ。
それにしてもこの口調、コウに対して馴れ馴れしすぎる。
僕がいるときとはずいぶん態度が違うじゃないか。大人しそうに装ってはいるが、彼は見た目以上に狡猾らしい。自分の心ですら常識的な枠組みからはみ出すことを許せないショーンからにしてみれば、彼はコウに懐いているように見えるのかもしれない。だが、彼のコウに対するアプローチの仕方は、狙っているという方が相応しい。
「うん、でも分かるよ。コウが彼に夢中なのって。なんていうか、アルの微笑みってもう――、魔性だよね。見てるだけで魂を持っていかれるんじゃないかって、ぞくっとしたもの」
間を置いて継ぎ足されたのは、しょせん浅はかな子どもの洞察に基づいたものに過ぎない。僕がコウに夢中なのであって、コウはいつだって冷静なのに。
笑い声を漏らさないように、慌てて口許を拳で抑えて息を殺す。
「だからさ、そういう意味だよ。あんな人に恋しちゃったら、僕だったらきっと――、なにがなんだか分からなくなってしまうよ、きっとね」
「うん、そうだよ。その通り。でも、アルは優しいから。彼は僕よりずっと大人で、彼の世界は僕たちが出逢う前から、もっとちゃんと出来上がっているからさ、」
コウは照れくさそうに、一言、一言を噛みしめるように言葉をつなぐ。彼の僕への想いをこんなところで盗み聴いているなんて、とんでもなく、みっともない、恥ずかしいことを僕はしている。けれどそんなプライドよりも、コウの胸の内を聴きたい思いの方が勝っていた。この場に釘づけられ、動けなかった。
「僕が僕でいられるように、アルは僕の領域を大切にしてくれるんだ。僕の世界と彼の世界は別だけど、でも、それを無理なく重ねてくれる。とても狭い環の中でだけど、僕を大切にしてくれているのが解るから、嬉しくて、幸せだよ」
「ごちそうさま」
クスクス笑いながら、バズはこの話題を終わらせた。そしてさりげなく数学の質問に切り替えた。コウの僕への想いをこれ以上聴く気にはならなかったらしい。懸命な判断だ。コウから僕への不満や悪口を引き出せるわけがない。コウは年下の、物事を知らない未熟な子どもに甘えるような子じゃない。
コウがバズの誘導に引っ掛かることなく、生真面目に僕のことを語ってくれていたのが、なんともくすぐったくて。僕はきっと、自分が思っている以上に、コウを大切にできているのだ。あんなふうに言ってもらえるくらいには――。ただ気になるのは、僕はやはり、彼を僕の思惑の中に縛りつけてしまっているのではないかということ。僕という狭い世界に縛られ、コウは息苦しくはないだろうか?
「おーい、アル! マリーたちが帰ってきた! ミラもいるんだ! 二人を呼んで、下りてきてくれ!」
階下でショーンが叫んでいる。跳ねるように立ち上がった。きっと、コウたちにも聞こえている。一呼吸おいて、階下のショーンに「すぐ行く」と叫び返し、たった今呼びにきたように、開け放たれたドアを軽くノックした。
窓際の机についているのかと思いきや、コウはベッドに腰かけ、バズはその横に寝転んでテキストを開いている。これが勉強をみてもらう態度か! これだからコウは――。無防備すぎるにもほどがある!
不愉快から眉をよせた僕の顔を、コウはきょとんと見あげている。
「ショーンが呼んでるのかな? よく聞き取れなくて」
「マリーたちが戻ったって。来て、紹介するから」
コウではなく、バズに向かってあごをしゃくった。バズは僕を見た瞬間跳ね起きて、体裁悪げに赤面している。恥じ入るだけの自覚があるのなら、僕のコウに気安くするんじゃないよ。
冷ややかな視線を緩めてコウに歩みよる。コウだけを見つめて、ふわりと笑いかけた。
「あのスコーン、ショーンが全部食べてしまったよ。もうないのかな? きっとマリーはお冠だよ。またショーンとの大戦が始まるかもしれない」
「あ!」
いつもなら抜かりなく、その場にいない誰かのために取り分けているコウが、しまったとばかりに声をあげている。
「忘れてた」
両手で顔を覆って後悔にくれている。コウのせいじゃないのに。別にいいじゃないか、そんなこと。
「でも、ジャムはまだたっぷりあるから。何か別のスイーツを出すよ。マリーが喜ぶような」
コウは、僕を安心させるように笑みをくれた。僕は彼のようには、こんな些末で悩んだりしないって知っているくせに。コウは、マリーがつまらない愚痴で僕を煩わせることを、心配してくれているのだ。いつだって、コウの世界は僕を中心に回っている。
――はずなのに、コウの軌道は僕から逸れて、もうバズの方へ向いている。
僕を見て。
コウ、僕だけを見て――。
コウと彼を二人きりにするなんて冗談じゃない!
適当に理由をつけてその場を離れ、屋根裏部屋に続く階段を急いだ。
屋根裏までは空調設備はいき届いていない。風を通すためか、ドアは大きく開け放たれている。声高で楽しげな、筒抜けの会話に足が止まった。
「あんな並外れて綺麗な人に愛されるって――、それって、一つの災厄だと言っていいんじゃないの?」
「幸せすぎるってこと? やっぱり、アルのことを好きな、知らない誰かから恨まれたりするかな? アルはそんなことにならないように、すごく気をつけてくれてるんだけど」
「そうじゃなくて」
軽い声音で冗談めかしてはいるが、どこかもどかしげな会話は、そこでいったん途切れた。コウはバズの言葉の続きを待っているようだ。
それにしてもこの口調、コウに対して馴れ馴れしすぎる。
僕がいるときとはずいぶん態度が違うじゃないか。大人しそうに装ってはいるが、彼は見た目以上に狡猾らしい。自分の心ですら常識的な枠組みからはみ出すことを許せないショーンからにしてみれば、彼はコウに懐いているように見えるのかもしれない。だが、彼のコウに対するアプローチの仕方は、狙っているという方が相応しい。
「うん、でも分かるよ。コウが彼に夢中なのって。なんていうか、アルの微笑みってもう――、魔性だよね。見てるだけで魂を持っていかれるんじゃないかって、ぞくっとしたもの」
間を置いて継ぎ足されたのは、しょせん浅はかな子どもの洞察に基づいたものに過ぎない。僕がコウに夢中なのであって、コウはいつだって冷静なのに。
笑い声を漏らさないように、慌てて口許を拳で抑えて息を殺す。
「だからさ、そういう意味だよ。あんな人に恋しちゃったら、僕だったらきっと――、なにがなんだか分からなくなってしまうよ、きっとね」
「うん、そうだよ。その通り。でも、アルは優しいから。彼は僕よりずっと大人で、彼の世界は僕たちが出逢う前から、もっとちゃんと出来上がっているからさ、」
コウは照れくさそうに、一言、一言を噛みしめるように言葉をつなぐ。彼の僕への想いをこんなところで盗み聴いているなんて、とんでもなく、みっともない、恥ずかしいことを僕はしている。けれどそんなプライドよりも、コウの胸の内を聴きたい思いの方が勝っていた。この場に釘づけられ、動けなかった。
「僕が僕でいられるように、アルは僕の領域を大切にしてくれるんだ。僕の世界と彼の世界は別だけど、でも、それを無理なく重ねてくれる。とても狭い環の中でだけど、僕を大切にしてくれているのが解るから、嬉しくて、幸せだよ」
「ごちそうさま」
クスクス笑いながら、バズはこの話題を終わらせた。そしてさりげなく数学の質問に切り替えた。コウの僕への想いをこれ以上聴く気にはならなかったらしい。懸命な判断だ。コウから僕への不満や悪口を引き出せるわけがない。コウは年下の、物事を知らない未熟な子どもに甘えるような子じゃない。
コウがバズの誘導に引っ掛かることなく、生真面目に僕のことを語ってくれていたのが、なんともくすぐったくて。僕はきっと、自分が思っている以上に、コウを大切にできているのだ。あんなふうに言ってもらえるくらいには――。ただ気になるのは、僕はやはり、彼を僕の思惑の中に縛りつけてしまっているのではないかということ。僕という狭い世界に縛られ、コウは息苦しくはないだろうか?
「おーい、アル! マリーたちが帰ってきた! ミラもいるんだ! 二人を呼んで、下りてきてくれ!」
階下でショーンが叫んでいる。跳ねるように立ち上がった。きっと、コウたちにも聞こえている。一呼吸おいて、階下のショーンに「すぐ行く」と叫び返し、たった今呼びにきたように、開け放たれたドアを軽くノックした。
窓際の机についているのかと思いきや、コウはベッドに腰かけ、バズはその横に寝転んでテキストを開いている。これが勉強をみてもらう態度か! これだからコウは――。無防備すぎるにもほどがある!
不愉快から眉をよせた僕の顔を、コウはきょとんと見あげている。
「ショーンが呼んでるのかな? よく聞き取れなくて」
「マリーたちが戻ったって。来て、紹介するから」
コウではなく、バズに向かってあごをしゃくった。バズは僕を見た瞬間跳ね起きて、体裁悪げに赤面している。恥じ入るだけの自覚があるのなら、僕のコウに気安くするんじゃないよ。
冷ややかな視線を緩めてコウに歩みよる。コウだけを見つめて、ふわりと笑いかけた。
「あのスコーン、ショーンが全部食べてしまったよ。もうないのかな? きっとマリーはお冠だよ。またショーンとの大戦が始まるかもしれない」
「あ!」
いつもなら抜かりなく、その場にいない誰かのために取り分けているコウが、しまったとばかりに声をあげている。
「忘れてた」
両手で顔を覆って後悔にくれている。コウのせいじゃないのに。別にいいじゃないか、そんなこと。
「でも、ジャムはまだたっぷりあるから。何か別のスイーツを出すよ。マリーが喜ぶような」
コウは、僕を安心させるように笑みをくれた。僕は彼のようには、こんな些末で悩んだりしないって知っているくせに。コウは、マリーがつまらない愚痴で僕を煩わせることを、心配してくれているのだ。いつだって、コウの世界は僕を中心に回っている。
――はずなのに、コウの軌道は僕から逸れて、もうバズの方へ向いている。
僕を見て。
コウ、僕だけを見て――。
あなたにおすすめの小説
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
さよなら、永遠の友達
万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。
卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。
10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。