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第二章
ゲスト 7.
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「ドラコ!」
いつもよりも格段低い怒りを含んだ声音で、コウは赤毛を怒鳴りつけた。だが奴はコウを無視したまま返事もしない。
「ドラコ――!」
まずい――。コウは本気で怒っている。
「コウ、」
僕も椅子を引き立ちあがると、彼の両肩に手を添えた。
「グレイビーソースが足りないかもしれない。キッチンに残っているかな? それにワインも、もう一本くらい空けるだろ。買い置きはどこだろう?」
コウは肩越しに僕をキッと睨んだ。だが、はっとしたように眉を寄せ、ぎゅっと目を瞑る。
「うん――、見てくるよ」
やがて俯いてぽつりと呟くと、ふらり、テーブルを離れた。僕はそっと彼の肩を抱いてつき添った。コウは特に何も言わなかった。
キッチンに入る前に、コウはなぜか、コンコン、とドアをノックした。皆居間にいるのだから返事があるはずがないのに――。まるで返事がないことを確かめるように間を置いてから、彼はドアを開けた。そして、キッチンに入ってドアを閉めるなり、僕の胸に縋りついていた。
「ありがとう、アルビー。僕を止めてくれて――」
今にも泣きそうな声だ。可哀想に――。
赤毛のなにがコウをここまで追い詰めるのかを、あの状況から分析するのはひどく難解だ。けれど、怒りを爆発させてしまうことで、コウが後からどっぷり後悔することは、僕にだって容易に察しがつく。
「少し落ち着いた? 彼と話し合うのが困難なのなら、僕が間に入ってもかまわないんだよ。そんなふうに感情的になってしまうのも、抑えすぎてしまうのも、どちらも辛いだろ?」
「アル――、ありがとう。もう平気だよ」
コウはゆるゆると僕を抱きしめる腕から力を抜く。
「アルは大人だね。僕は、そんなきみにいつだって助けられてるんだ」
泣きそうな顔をしたまま、コウは微笑んでくれる。僕のために――。僕にこれ以上心配かけまいと――。
どうしても、僕には言えない? 話せない?
コウの、こんな笑みを見せられるたびに、胸が掻きむしられる。大切に想われている心地良さと、真逆の痛みが同時に走る。そうだよ、コウ。僕は心が痛い、痛いんだ――。僕ではきみの役には立てない、そう宣言されているようで――。
ふわり、とコウはもう一度僕に身を寄せた。
「ドラコは不安なんだよ。僕がきみのことを好きすぎて、彼との約束を――、忘れてしまうんじゃないか、って。だから僕ときみの関係を邪魔したいんだ。でも、負けないよ。僕はきみが好きなんだもの。やらなきゃいけないことはやらなきゃならないって解ってる。でも、きみのことも、どっちも僕には諦められるようなことじゃないんだ」
自分に言い聞かせでもしているような彼の声は、苛立たしげで哀しげでもある。僕にはいまだに、赤毛とコウとの関係性が掴めない。コウは僕を愛してくれている、それを疑っているわけではないのだけれど――。
けれど僕と天秤にかけるだけの重さが、赤毛にもあることも確かなのだ。僕とコウとの間にある愛とは違うにしても、赤毛とコウとの間にあるのが愛ではない、と言い切ることが僕にはできない。だって、コウは――。
子どもの頃から人としての自分を確立するように教えられてきたコウは、甘えるのが苦手だ。依存と、相手を信頼し頼ることは違うのに。すべてを自分一人で背負いこんで、荷を分け合おうとはしない。
僕と対等であろうと、いつも転びそうなほどに背伸びして――。
僕はコウ一人くらい抱えこんだところで、つまづくことも、倒れることもないのに。きみに対しての想いだけは、そんな軟ではないと自負しているのに。こんな僕の想いはコウには届かないのだろうか――。
――人としてのきみが好きだよ。
赤毛だって、ショーンだって、マリーのことも、あのバズって子も、きみは好きなんだろ? 人として――。彼らと僕に違いはあるの? セックスするか、しないか、それだけの差でしかないんじゃないの?
コウは僕以外を知らないだけ――。
きっと深くは考えていない。セックスする相手が恋人。僕という「人」は、コウにとってそれだけのものにすぎないかもしれない、なんて――。
僕の手の中にいるコウは、小さくて可愛い子リスのようなのに、彼の心は固い胡桃の殻に覆われていて、僕には頑なに触れさせてはくれない。そして僕は、この殻を壊して彼のなかに侵入するほどの野蛮さは持ち合わせていない。赤毛と違って――。赤毛は間違いなく、コウの内側にいるのに。僕はいつまでたっても、こうしてコウの輪郭をなぞるだけ――。
「アル?」
僕を見あげたコウが、背伸びして軽いキスをくれた。僕はきっと深刻な顔をしていて、彼を不安にさせたのだろう。
「ワインをもっていかなきゃ。それにソースも」
「そうだった。この一本でお終いにしないとね。ショーンがいるとあっという間に空いてしまう」
「それにミラも。ほら、皆でピクニックに行ったとき。ぐいぐい飲むからハラハラし通しだったよ。ほんと、僕だけなんだね、お酒がだめなのって……」
「別にいいじゃないか。酒なんていくら飲めたって、そんな楽しいものでもないよ」
「そうかなぁ。皆、楽しそうだけど――」
しょせん、刹那の憂さ晴らしにすぎない。酒も、セックスも――。
コウはそんな一時の酩酊なんて知らなくていい。優しくて甘い、ふわふわしたスイーツのような、そんな恋だけを味わってくれていればいいのだ。
いつもよりも格段低い怒りを含んだ声音で、コウは赤毛を怒鳴りつけた。だが奴はコウを無視したまま返事もしない。
「ドラコ――!」
まずい――。コウは本気で怒っている。
「コウ、」
僕も椅子を引き立ちあがると、彼の両肩に手を添えた。
「グレイビーソースが足りないかもしれない。キッチンに残っているかな? それにワインも、もう一本くらい空けるだろ。買い置きはどこだろう?」
コウは肩越しに僕をキッと睨んだ。だが、はっとしたように眉を寄せ、ぎゅっと目を瞑る。
「うん――、見てくるよ」
やがて俯いてぽつりと呟くと、ふらり、テーブルを離れた。僕はそっと彼の肩を抱いてつき添った。コウは特に何も言わなかった。
キッチンに入る前に、コウはなぜか、コンコン、とドアをノックした。皆居間にいるのだから返事があるはずがないのに――。まるで返事がないことを確かめるように間を置いてから、彼はドアを開けた。そして、キッチンに入ってドアを閉めるなり、僕の胸に縋りついていた。
「ありがとう、アルビー。僕を止めてくれて――」
今にも泣きそうな声だ。可哀想に――。
赤毛のなにがコウをここまで追い詰めるのかを、あの状況から分析するのはひどく難解だ。けれど、怒りを爆発させてしまうことで、コウが後からどっぷり後悔することは、僕にだって容易に察しがつく。
「少し落ち着いた? 彼と話し合うのが困難なのなら、僕が間に入ってもかまわないんだよ。そんなふうに感情的になってしまうのも、抑えすぎてしまうのも、どちらも辛いだろ?」
「アル――、ありがとう。もう平気だよ」
コウはゆるゆると僕を抱きしめる腕から力を抜く。
「アルは大人だね。僕は、そんなきみにいつだって助けられてるんだ」
泣きそうな顔をしたまま、コウは微笑んでくれる。僕のために――。僕にこれ以上心配かけまいと――。
どうしても、僕には言えない? 話せない?
コウの、こんな笑みを見せられるたびに、胸が掻きむしられる。大切に想われている心地良さと、真逆の痛みが同時に走る。そうだよ、コウ。僕は心が痛い、痛いんだ――。僕ではきみの役には立てない、そう宣言されているようで――。
ふわり、とコウはもう一度僕に身を寄せた。
「ドラコは不安なんだよ。僕がきみのことを好きすぎて、彼との約束を――、忘れてしまうんじゃないか、って。だから僕ときみの関係を邪魔したいんだ。でも、負けないよ。僕はきみが好きなんだもの。やらなきゃいけないことはやらなきゃならないって解ってる。でも、きみのことも、どっちも僕には諦められるようなことじゃないんだ」
自分に言い聞かせでもしているような彼の声は、苛立たしげで哀しげでもある。僕にはいまだに、赤毛とコウとの関係性が掴めない。コウは僕を愛してくれている、それを疑っているわけではないのだけれど――。
けれど僕と天秤にかけるだけの重さが、赤毛にもあることも確かなのだ。僕とコウとの間にある愛とは違うにしても、赤毛とコウとの間にあるのが愛ではない、と言い切ることが僕にはできない。だって、コウは――。
子どもの頃から人としての自分を確立するように教えられてきたコウは、甘えるのが苦手だ。依存と、相手を信頼し頼ることは違うのに。すべてを自分一人で背負いこんで、荷を分け合おうとはしない。
僕と対等であろうと、いつも転びそうなほどに背伸びして――。
僕はコウ一人くらい抱えこんだところで、つまづくことも、倒れることもないのに。きみに対しての想いだけは、そんな軟ではないと自負しているのに。こんな僕の想いはコウには届かないのだろうか――。
――人としてのきみが好きだよ。
赤毛だって、ショーンだって、マリーのことも、あのバズって子も、きみは好きなんだろ? 人として――。彼らと僕に違いはあるの? セックスするか、しないか、それだけの差でしかないんじゃないの?
コウは僕以外を知らないだけ――。
きっと深くは考えていない。セックスする相手が恋人。僕という「人」は、コウにとってそれだけのものにすぎないかもしれない、なんて――。
僕の手の中にいるコウは、小さくて可愛い子リスのようなのに、彼の心は固い胡桃の殻に覆われていて、僕には頑なに触れさせてはくれない。そして僕は、この殻を壊して彼のなかに侵入するほどの野蛮さは持ち合わせていない。赤毛と違って――。赤毛は間違いなく、コウの内側にいるのに。僕はいつまでたっても、こうしてコウの輪郭をなぞるだけ――。
「アル?」
僕を見あげたコウが、背伸びして軽いキスをくれた。僕はきっと深刻な顔をしていて、彼を不安にさせたのだろう。
「ワインをもっていかなきゃ。それにソースも」
「そうだった。この一本でお終いにしないとね。ショーンがいるとあっという間に空いてしまう」
「それにミラも。ほら、皆でピクニックに行ったとき。ぐいぐい飲むからハラハラし通しだったよ。ほんと、僕だけなんだね、お酒がだめなのって……」
「別にいいじゃないか。酒なんていくら飲めたって、そんな楽しいものでもないよ」
「そうかなぁ。皆、楽しそうだけど――」
しょせん、刹那の憂さ晴らしにすぎない。酒も、セックスも――。
コウはそんな一時の酩酊なんて知らなくていい。優しくて甘い、ふわふわしたスイーツのような、そんな恋だけを味わってくれていればいいのだ。
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