51 / 219
第二章
夜
コウには、ああ言ったけれど、べつに赤毛が来ないなら来ないで僕は一向にかまわなかった。場の調和を壊していることに気づいたコウが、僕と一緒に来る気になってくれるならそれでいい。
コウの心を塞いでいる数の合わないスティーブの椅子のことは、僕だって気になる。赤毛とは嫌でも話さなければならないことだ。でも今じゃなくたっていいじゃないか。こんな忙しない状況下で話すべきことじゃない。それにできることなら僕も加わって、落ち着いて話せる機会を後から持てば、その方がずっといい――。
漠然とそんなふうに思っていたのに、意外にも赤毛は文句も言わず僕たちに従い、ナイトクラブについてきた。今は色とりどりに変化するライトが点滅しながら波打っている蛍光色のフロアで踊り狂っている。――どこまでも解らない奴だ。
コウはそんな赤毛に呆れているのか、驚いているのか、それとも安堵しているのか――。
まるでペットの首輪を外して自由に野原を駆け巡らせてやっている飼い主のような、そんな瞳で階下にいる奴を眺めている。あるいはやんちゃな子どもを見守る保護者というか。
こんなコウを見ていると苛立たしい。僕の横にいるのに僕を見ないコウ――。許しがたい屈辱を感じる。
フロアから僕たちのいる個室に向かってマリーやバズが大きく両手を振っている。コウも笑ってガラス越しに手をふり返して。向こうから見えはしないのに。気づいていないんだろうな。
「アル、ごめん。つきあわせちゃって。僕はこういう場所が苦手だから――」
コウが振り向いて僕の手をそっと握った。申し訳なさそうに。
「知ってる。かまわないよ、あそこにいるよりコウといる方が僕は楽しいもの」
コウの頬に軽くキスして、彼の肩に腕を回してフロアに視線を戻した。
透き通るような赤い髪が、点滅する光と闇の中、激しく伸び縮みしながら揺らめいている。まるで燃え盛る焔だ――。その一点に視線が引き寄せられる。赤毛を中心にぽっかりと空間が空いているからだ。あれだけ見物人がいて、奴にからんでいく強者はいないのか――。
「アル、ずいぶんご無沙汰していたじゃないか! 来てくれて嬉しいよ!」
雇われ店長の――。名前、なんだっけ? 忘れた。まぁ、いい。たいしたことじゃない。
その店長が新作のカクテルを「自信作だよ」と言いながら、手渡してくれた。
「彼は写すなよ」
「分かってるって」
ちら、とお愛想程度に店長はコウに微笑みかけた。カットフルーツの大皿に、フルートグラスに入ったノンアルコールカクテルがコウの前に置かれる。赤と白のグラデーションだ。コウは不思議そうに眺めている。可愛くて、思わず笑みが漏れた。軽く彼のグラスに僕のグラスを打ち合わせて乾杯すると、にやけた内心を誤魔化すように、くし型のオレンジの飾られた細長いグラスから冷えた透き通る赤を流し込んだ。
店長がさっそくスマートフォンで僕をカシャ、カシャと写している。その画像がSNSに投稿されれば、ほどなく灯りに羽虫が群がるように物見高い連中がよってくる。そんな関係で、僕はこういった店で料金を払ったことがない。
「カンパリベース?」
口に含んだカクテルは、きつい炭酸が細かな音を立てて弾け、オレンジの酸味とジンジャーが舌にピリピリくる刺激的なものだった。
「火の精霊ってカクテル名にするつもりなんだ。どうだい? きみのツレ、あの赤毛の子のイメージで作らせてみたんだ。さすがにきみが連れてくるだけのことはあるね、彼、最高にホットだよ!」
思わずグラスの中身をこいつの顔にぶちまけたくなった。コウの前で、さすがにそんな幼稚なマネはしなかったけれど――。
「あの赤毛の子の写真、撮ってもいいかな?」
僕はコウに視線を流した。大きく眼を見開いて店長を見ていたコウは、さっと彼の手にあるスマートフォンに目をやると、すぐさま何度も顔を横に振った。
「ダメ」とコウの代わりに声に出して答えてやった。
「アル――」
赤毛のことなぞ知ったこっちゃないが、コウがダメだというならダメなのだ。店長の懇願の瞳から、ついと視線を逸らす。
「まぁ、いいよ。今夜のきみも最高! ベストショットをもらえたからね。ほら」
ため息交じりで身を屈めて見せられたスマートフォンの画像は、彼が気にいるのも納得だ。艶やかなエナメルの白いソファーに、僕の黒いシャツと赤のカクテルがよく映えている。実態よりも二割増しゴージャスな店舗に見える。
これで僕の義務は果たしたわけだから、出口に向かって顎をしゃくった。これ以上、コウと二人の時間を邪魔されるのはかなわない。
「アル」
「ん?」
「ありがとう」
「何に対して?」
「いろんなこと――」
「例えば?」
ありがとう――、と言うわりに、コウは深刻そうな、複雑な表情をしている。とても喜んでいるようにはみえない。
どうしたの?
彼の頬を両手で挟んで上向かせた。やはり僕から目を逸らす。なぜだか分からない。さっきまで笑っていたのに――。
「ここの店長と関係したことはないよ」
たぶん――。記憶にある限りでは。酔っていたときのことは分からないけれど。
コウがきょとんと僕を見た。間髪入れずに笑われた。
「疑ったりしてないよ! ショーンに聞いてたもの。きみは大抵のこういう店では顔パスなんだって。ああやって写真で宣伝するんだろ? 僕も見たことがあるんだ」
「じゃあ、なんで――」
見間違い? ひどく不安そうな顔をしていたのに――。クスクス笑っているコウは、いつものコウに見える。
「ドラコは息抜きが必要だったんだ、って教えてくれた。それから、彼が問題を起こすんじゃないかって僕はピリピリしすぎてて、彼を苛立たせていたってこと。そのことばかりに囚われて、きみやみんなのことが見えてなかった。それもきみに指摘されるまで気づかなかったんだ。それで、すごく恥ずかしくて。――きみの方が僕よりずっと、ドラコのことを理解してくれていたんだね。ありがとう、アル」
一気にそれだけ言うとほっと息をついて、コウは僕の肩にもたれて頬を擦りつけてきた。それまでの緊張を解いて、安心しきったように。
――それは誤解だ、なんて、とても言えない。
コウにかかると僕みたいな人間でも、とてつもない善人にされてしまう。そして僕は、そんな彼を裏切ることだけはすまい、と思わずにはいられなくなってしまうのだ。
コウの心を塞いでいる数の合わないスティーブの椅子のことは、僕だって気になる。赤毛とは嫌でも話さなければならないことだ。でも今じゃなくたっていいじゃないか。こんな忙しない状況下で話すべきことじゃない。それにできることなら僕も加わって、落ち着いて話せる機会を後から持てば、その方がずっといい――。
漠然とそんなふうに思っていたのに、意外にも赤毛は文句も言わず僕たちに従い、ナイトクラブについてきた。今は色とりどりに変化するライトが点滅しながら波打っている蛍光色のフロアで踊り狂っている。――どこまでも解らない奴だ。
コウはそんな赤毛に呆れているのか、驚いているのか、それとも安堵しているのか――。
まるでペットの首輪を外して自由に野原を駆け巡らせてやっている飼い主のような、そんな瞳で階下にいる奴を眺めている。あるいはやんちゃな子どもを見守る保護者というか。
こんなコウを見ていると苛立たしい。僕の横にいるのに僕を見ないコウ――。許しがたい屈辱を感じる。
フロアから僕たちのいる個室に向かってマリーやバズが大きく両手を振っている。コウも笑ってガラス越しに手をふり返して。向こうから見えはしないのに。気づいていないんだろうな。
「アル、ごめん。つきあわせちゃって。僕はこういう場所が苦手だから――」
コウが振り向いて僕の手をそっと握った。申し訳なさそうに。
「知ってる。かまわないよ、あそこにいるよりコウといる方が僕は楽しいもの」
コウの頬に軽くキスして、彼の肩に腕を回してフロアに視線を戻した。
透き通るような赤い髪が、点滅する光と闇の中、激しく伸び縮みしながら揺らめいている。まるで燃え盛る焔だ――。その一点に視線が引き寄せられる。赤毛を中心にぽっかりと空間が空いているからだ。あれだけ見物人がいて、奴にからんでいく強者はいないのか――。
「アル、ずいぶんご無沙汰していたじゃないか! 来てくれて嬉しいよ!」
雇われ店長の――。名前、なんだっけ? 忘れた。まぁ、いい。たいしたことじゃない。
その店長が新作のカクテルを「自信作だよ」と言いながら、手渡してくれた。
「彼は写すなよ」
「分かってるって」
ちら、とお愛想程度に店長はコウに微笑みかけた。カットフルーツの大皿に、フルートグラスに入ったノンアルコールカクテルがコウの前に置かれる。赤と白のグラデーションだ。コウは不思議そうに眺めている。可愛くて、思わず笑みが漏れた。軽く彼のグラスに僕のグラスを打ち合わせて乾杯すると、にやけた内心を誤魔化すように、くし型のオレンジの飾られた細長いグラスから冷えた透き通る赤を流し込んだ。
店長がさっそくスマートフォンで僕をカシャ、カシャと写している。その画像がSNSに投稿されれば、ほどなく灯りに羽虫が群がるように物見高い連中がよってくる。そんな関係で、僕はこういった店で料金を払ったことがない。
「カンパリベース?」
口に含んだカクテルは、きつい炭酸が細かな音を立てて弾け、オレンジの酸味とジンジャーが舌にピリピリくる刺激的なものだった。
「火の精霊ってカクテル名にするつもりなんだ。どうだい? きみのツレ、あの赤毛の子のイメージで作らせてみたんだ。さすがにきみが連れてくるだけのことはあるね、彼、最高にホットだよ!」
思わずグラスの中身をこいつの顔にぶちまけたくなった。コウの前で、さすがにそんな幼稚なマネはしなかったけれど――。
「あの赤毛の子の写真、撮ってもいいかな?」
僕はコウに視線を流した。大きく眼を見開いて店長を見ていたコウは、さっと彼の手にあるスマートフォンに目をやると、すぐさま何度も顔を横に振った。
「ダメ」とコウの代わりに声に出して答えてやった。
「アル――」
赤毛のことなぞ知ったこっちゃないが、コウがダメだというならダメなのだ。店長の懇願の瞳から、ついと視線を逸らす。
「まぁ、いいよ。今夜のきみも最高! ベストショットをもらえたからね。ほら」
ため息交じりで身を屈めて見せられたスマートフォンの画像は、彼が気にいるのも納得だ。艶やかなエナメルの白いソファーに、僕の黒いシャツと赤のカクテルがよく映えている。実態よりも二割増しゴージャスな店舗に見える。
これで僕の義務は果たしたわけだから、出口に向かって顎をしゃくった。これ以上、コウと二人の時間を邪魔されるのはかなわない。
「アル」
「ん?」
「ありがとう」
「何に対して?」
「いろんなこと――」
「例えば?」
ありがとう――、と言うわりに、コウは深刻そうな、複雑な表情をしている。とても喜んでいるようにはみえない。
どうしたの?
彼の頬を両手で挟んで上向かせた。やはり僕から目を逸らす。なぜだか分からない。さっきまで笑っていたのに――。
「ここの店長と関係したことはないよ」
たぶん――。記憶にある限りでは。酔っていたときのことは分からないけれど。
コウがきょとんと僕を見た。間髪入れずに笑われた。
「疑ったりしてないよ! ショーンに聞いてたもの。きみは大抵のこういう店では顔パスなんだって。ああやって写真で宣伝するんだろ? 僕も見たことがあるんだ」
「じゃあ、なんで――」
見間違い? ひどく不安そうな顔をしていたのに――。クスクス笑っているコウは、いつものコウに見える。
「ドラコは息抜きが必要だったんだ、って教えてくれた。それから、彼が問題を起こすんじゃないかって僕はピリピリしすぎてて、彼を苛立たせていたってこと。そのことばかりに囚われて、きみやみんなのことが見えてなかった。それもきみに指摘されるまで気づかなかったんだ。それで、すごく恥ずかしくて。――きみの方が僕よりずっと、ドラコのことを理解してくれていたんだね。ありがとう、アル」
一気にそれだけ言うとほっと息をついて、コウは僕の肩にもたれて頬を擦りつけてきた。それまでの緊張を解いて、安心しきったように。
――それは誤解だ、なんて、とても言えない。
コウにかかると僕みたいな人間でも、とてつもない善人にされてしまう。そして僕は、そんな彼を裏切ることだけはすまい、と思わずにはいられなくなってしまうのだ。
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
さよなら、永遠の友達
万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。
卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。
10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。