夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
63 / 219
第二章

ショーン 5.

 なんというか、こいつは――。

 一頻り喋って喉が渇いた、とキッチンにたったショーンのいぬ間に、複雑な想いで考え込んでしまっていた。

 彼が話してくれたのは、イースター休暇中のコウとの旅行のことだ。彼らが旅先で出会ったフランス人カップルのコリーヌとミシェルには、旅の最終に加わった僕も逢っている。あまりいい印象はない。コウにとっても、僕自身にとっても。
 その時の彼女、コリーヌと、ショーンは成り行きで関係を持ったらしい。それをコウに知られてしまった。
 そのコウの反応が――。自分たちの友情もこれで終わりか、と覚悟を決めるしかないほど冷淡なものだったのだ、とショーンは肩をすくめて言った。一見普通に話してはくれる。けれど絶対に目を合わそうとはしてくれない。彼の方から話しかけてくることもしない。殻に籠ってしまい黙り込む。眠っているのか、眠っているふりをしているのか、その場にいても自分だけ存在しないように振舞う。
 
 まるで、さっきのコウじゃないか――。

 だが、ショーンやマリーには普通に話しかけていた。コウのあの態度は彼らのせいではなく、僕に向けられたものだ。僕に対する、軽蔑と嫌悪――。

 やるせない――。

 そんなもの、ただの誤解に過ぎないのに。僕はエリックのことなんて、どうとも思っていないのだから。
 コウがこの場にいたなら、すぐにでも抱きしめて安心させてあげるのに――。

 それにしても、エリックのあんな馬鹿げた策略に引っ掛かるなんて、なんてコウらしいんだろう!

 解せないコウの態度に納得を得て、思わずくすくすと笑いがこみ上げていた。可愛い。焼きもちを焼いてくれていたなんて。
 バズといるこの瞬間だって、きっとコウは僕のことを考えている。僕を失う不安で胸をいっぱいにして、憂いているに違いない。
 コウの傍にいない間も、僕は彼の内側を埋め尽くしているのだ。肥大し、広がり、覆い尽くして。他の誰をも彼のなかに侵入させないほど、隙間なく。

 ――嫉妬はいいカンフル剤になるよ。

 確かに、エリック、きみの言う通りだ。コウは僕から逃げだすことでより強く僕に結びつけられ、赤毛さえ、その心から閉めだしているに違いない。

 僕はコウに愛されている。

 それならば、彼が戻ったら、速やかにこの誤解を解いてあげればいいだけだ。コウを安心させてあげ、ますます僕でいっぱいに満たしてあげればいい。いやそれよりも、コウを追いかけていくべきだろうか。行き先は判っているのだ。


 
 どちらがより効果的だろうか、と考えているうちにショーンが戻ってきた。冷えたビールを二本手にして。そんな気分じゃないのだが――。

「そういえば、日曜日の食事当番もドラコに任せることになったのかな? 本来ならコウの当番日だろ? アル、なにか聴いてるかい?」

 一本を僕の傍に置き、ショーンはそのまま、くいとビールを煽る。食事当番のことなど頭から抜け落ちていた。答えられるはずもなく頭を横に振る。

「今の食事に不満はないんだけどさ、コウの作る日本食がふと食べたくなるんだよな。もとはといえば、あいつの負担を減らすための変更だってのにさ」

 彼は「俺もずいぶん贅沢になっちまったよ。食事にこだわることなんてなかったのにさ」と言い足して苦笑いだ。
 その感覚は僕にも共通するものがある。コウはなにか新しいメニューに挑戦する度に、僕の反応をそれは楽しみにしてうきうきと心弾ませてくれるから。そんな彼の小さな期待、自己肯定に応える機会がここしばらくなくなってしまっているのはつまらない。赤毛は、コウと僕の共有する大切なひと時をこうして奪っているともいえる。

 だが――、「コウはきみの母親じゃないんだ。彼にきみを満足させてくれ、っていうのも違う気がするよ」と、ショーンにはやんわりと伝えた。
 コウへの無意識の依存を、ショーンもいい加減気づくべきだ。彼が疲れ果ててしまう前に。

 やはりコウのところへ行こう。バズがいたってかまうものか、とそう決めて、小さな水滴に覆われたビールをショーンの前にトンッと置き直して立ちあがった。


「解ってるって。だいいち俺の母親はコウみたいにできた奴じゃないよ。身勝手で、だらしなくてさ――」
 ショーンは投げ遣りな口調で薄笑いを浮かべながら、僕を引き留めるように見あげた。これから出かけるから、と断りを入れかけた瞬間、ショーンの目は誇らしげに細められ、皮肉げに歪められていた口許は無邪気にほころんだ。僕は彼のその変化に戸惑い、言葉は喉元で留まったまま発する機会を失ってしまった。

「だからあの時、コウが言ってくれた言葉にさ、本当に感動したんだ」

 彼の表情に相応しい内容が、滑らかに滑りだす。だが僕には意味が判らない。

 どの言葉なのだ? まるで話が続かない。旅先でのアバンチュールがコウにばれて、軽蔑されて、そこまでしか聴いていないのだから。

 好き勝手に喋っているときのショーンは、聴き手のことなどまるで眼中にない。時系列は跳ぶわ、誰の話をしているのか判らなくなるわで、あっという間についていけなくなる。とはいえ、彼がどうやってコウと仲違いせずに終わったのかは気になる。それに、ショーンがコウのどんな性質に惹きつけられたのかも――。
 自動的に再び座り直し、カップに残っていた冷めたコーヒーを口に運んだ。

「あ、ビールよりそっちの方がよかったのかな? 淹れてこようか?」
「いや、いいよ。それよりきみの情事のあとの話。どうなったんだって?」

 時々解りづらい点に口を挟みながら、その「感動した」時点から遡っての経緯を聴いた。結果知り得たのは、理解に遠い御伽噺ファンタジー世界の話は、僕にはやはりついていけないということ。それがコウの重大なトラウマにかかわることだと、解ってはいるのだが。

 だが、ショーンとの共通認識の上にある、コウのある種潔癖な倫理観についての見解よりも、向かい酒とばかりにグイグイとビールを煽り、度を越して饒舌になっているショーンから零れ落ちる本音の方が、僕には益になったのかもしれない。

 それは確かに、僕の杞憂をひとつ払拭してくれるものだったのだから――。

 
 


感想 4

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。