夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

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第二章

ショーン 6.

 つまるところ、ショーンにとってのコウは、永遠に失ってしまった妹を転移した存在、ということだ。
 コウと同じ民俗学を専攻しながら、目に見えないものなど、からきし信じないこの男にとって、コウは、精霊や魂などというものよりも、よほど現実的リアルな対象なのだ。


 旅先でショーンは、コウに自身の背負う心的外傷トラウマの告白をしたのだそうだ。平静ではいられない場所にいる自分を、平素を装ってやり過ごすことに耐えられなかったのだ。内容は以前僕に話したものと、ほぼ同じ。事故だか事件なのかさえいまだに判らない、3つにもならない年齢で行方不明になった彼の妹のことだ。

 まだ幼かった彼が、生涯忘れることのできない喪失を体験することとなったその地に、そうして訪れることになったことを、コウは、と受けとったそうだ。

 ――きみは再びこの地に導かれ、レイラインを巡る旅に出るんだ。これはきっと、きみにとっての巡礼の旅なんだね。きっとどこかで、妹さんのいる彼の楽園アヴァロンと、きみの歩く道が重なる瞬間があるはずだよ。そのときは判らなくても、きっとあとから判るから。きみがここへ導かれてきた意味がさ。

 まるで、いつかどこかで重なるその道が目の前に視えているかのように遠くを眺めながら、歌うような口調で告げられたそうだ。だがその時点では、ショーンは彼の意味することがまったく理解できなかったらしい。
 彼にとって忌まわしい土地でしかないグラストンベリーを訪れたのは、車に同乗させてくれ、安上りで有意義な旅の道連れになってくれそうなカップルの提案だったからに過ぎない。旅の始発点として妥当な意見に反論の余地がなかったからだ。彼の意志とは関係なかったのだ。

 だが旅が進むに連れて、ショーンにも、コウと一緒にいる時間や空間が楽園と呼ばれる不思議な世界と重なっていると錯覚する瞬間ときが、確かにあったのだそうだ。それまで彼を圧し潰してきた罪悪感を、そこから生まれでる悲しみや怒りを、手放してすっと軽くなれるような一瞬が――。そうして楽園にいるはずの妹の姿を、コウのうえに重ねた。重ねることで、これまでどうしても埋めることのできなかった喪失を埋め、自分自身に意味を得た。


「妹のことなんてさ、いつだって俺にべったりで、弱っちくてわがままで、鬱陶しいって思ってたんだ。あんな面倒な奴、いなくなってしまえばいい、って――。それなのに、コウは俺を信じて疑わないんだ。俺があいつを、いまだに探してるって。ひどい目にあってるんじゃないかって、いまだに案じてるんだって――。とっくに諦めなんて、ついてるのにさ――」

 自嘲的な言葉とは裏腹に、ショーンの笑みは、皮肉ではなく誇らしさに彩られていた。彼を信じるコウに相応しい自分を、新しい自己イメージとして受け入れているのだ。ここにいるのはもう、妹を見失ったことを責められ、詰られ、責任を負わされ自我を潰された自分ではない。

 旅の間に、ショーンにとって、コウは単なる友人ではなくなっていた。妹に代わる二度と失いたくない大切な対象になったのだ。
 そしてコウは、自分のなかにぎりぎりの救いを見出したショーンのそんな想いを感じとり、持ち前の寛容さで以って、本来ならば反りの合わない性倫理の違いをも許し受け入れるに至った、おそらくそんなところだろう。

 ショーンはいまだ気づいていないようだが、彼の話のなかで、コリーヌは彼の母親と印象が被る。グループ行動しているときでも過分に自己を主張し、自己都合を優先する。その極めつけが、占いだ。
 彼の母親は占いの店に入っている間、ショーンに年端のいかない妹の面倒を見させていた。人混みのなかに放置された幼い少年が、わずかの隙に妹を見失ってしまったあとも、やはりこの母親は占いに頼った。娘を真剣に探し続けることよりも、妖精に攫われた、美しい異界で娘は幸せに暮らしている、と無責任に見切りをつけた。大きな喪失を抱えてしまった息子のことなど、思い遣ることもなく――。

 そしてその旅でも、コリーヌは体調の芳しくなかったコウを省みることなく、長時間彼らを待たせて占いに興じていたのだという。ショーンは母親への憎しみを、彼女によく似たコリーヌのうえに転移したのだ。そして、彼女とコウの間に立つことで、コウを守ろうとしたに違いない。かつて自分が経験したように、彼女の身勝手な自我に振り回されることで、コウが傷つけられ、失われてしまうことのないように。

 ショーンは女性という性を憎んでいる。そして、彼の母親と同じオカルティックな世界に浸っていても、どこまでも理性的で目の覚めているコウに惹かれているのは間違いない。おそらくは性的にも。

 けれど彼にとって、コウは妹なのだ。僕にとっては有難いことに――。

 なりふりかまわず守りたい存在だ。性的対象にはなり得ない。僕にとってのマリーがそうであるように。
 彼の抱くコウへの想いが、本当はなにに根ざしているかということに、ショーンもいつかは気づくかもしれない。でもそれは今ではない。ショーンが女性全般に母親への憎しみを転移している間は、コウという、守るべき妹の亡霊が彼には必要なのだから。

 マリーでは無理だろうな。彼女はショーンの憎しみを受け止める、そんな対象にはなりえないだろう。



 眼前で饒舌に喋り続けるショーンを、再び見据えた。話のなかで、彼はコウが赤毛と行ったという、ハムステッド・ヒースでの儀式のことにも触れていた。精霊を呼び出す儀式だ。その失敗がコウに大きなトラウマを負わせたということ。けれど、思っていたのと少し違う気がする。コウのトラウマに起因するのは、赤毛の存在そのもの――。火を扱うあの特異な奇術と、わざわいを招く彼の性格なのではないのか。

 やはり、ショーンやバズではない。問題は赤毛なのだ。

「そろそろコウたちの様子を見にいってくる」と、時計を指差してショーンを遮り、僕は今度こそ席を立った。




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