夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
78 / 219
第三章

隠れ家 4.

 エリックに案内されるままに豪奢なアパートメントの入り口をくぐり、直通のエレベーターを降りて、赤毛の所有するペントハウスに足を踏みいれた。

 無駄に広い――。

 エリックが躊躇なくドアを開けた先は、テラスを挟んでハイドパークを見下ろす窓が広がるリビングだ。景色を眺めるためにコの字型に設置された白いソファー。黒塗りの棚にモノトーンの写真の額。その横には白の胡蝶蘭。チョコレート色に塗装されたウォルナットの床に敷かれたラグも白だ。

 とても赤毛の趣味とは思えない。本当に、言われるままここをまるごと買った、ということだろうか。
 半ば呆れ返りながらぐるりと見回し、ふと天井に目をやった。

 ああ、やはり奴はコウと一緒に、ここに住んでいる。

 白い天井いっぱいに、焼け焦げたような燻ぶった黒い線で訳の分からない図形が描かれている。アーノルドの日記帳や、彼の人形のボディに描かれていたような――、魔法陣。おそらくは。

 
「おーい、ドラコ!」

 ぼんやりしていた僕を尻目に、エリックが大声で奴を呼んだ。

「お前に客だぞ!」

 招かれざる、ね。

 気を引き締めて奴が現れるのを待ったのに、コトリともしない。それにコウも――。どうも人の気配すらしないのが気にかかる。スマートフォンには、確かにコウはここにいると表示されているのに。


 エリックは赤毛を呼びながら、次々と部屋を覗いていった。当然、僕もその後に続く。ひと部屋が広いだけじゃない。いったい何部屋あるんだ? 使われている形跡のない幾つもの寝室を通りすぎ、キッチンや浴室も覗いていく。設備の揃ったジムまである。でも、肝心の彼らがいないなんて。

「豪華なモデルハウスを案内してもらって恐縮だけどね、僕にはこんな分不相応な物件は買えないよ。欲しいとも思わないしね」

 苛立たしさをたっぷりと皮肉に込めてエリックを睨むと、彼は軽く肩をすくめて、「ということは、テラスだな」、と今いる部屋のガラス戸を開けた。どうやら室内はすべて見終えたらしい。


 夕暮れにはまだ早い。けれど風は冷たい。開かれた窓から吹き込んでくる風に、ぶるりと身震いする。エリックはぐるりと巡らされたテラスの角に消え、すぐに戻ってきた。
「ここにはいないな。きっとメインテラスの方だな」と、くいと廊下を顎で示す。

 いくら広いといったって、たかだかアパートメントのペントハウスじゃないか。それが、こうも見つからないなんて――。
 コウがわざと僕から逃げているような気がして、堪らない。そんなはずないのに。現にスマートフォンの地図には、ちゃんと彼の現在地が表示されているのだから。
 苛立ちを隠せないまま、黙ってエリックの後に続いた。彼は、僕の焦りを楽しんでいるようだ。いるはずの彼らがいない、こんな状況に驚くこともなく――。そんなエリックもまた不可解だ。彼はこんな不条理な状況はとても嫌がる性質たちだったのに。


 振り出しのリビングに戻って、そこからまたテラスに出た。ウッドデッキで敷き詰められたテラスには、ところどころに丸や四角の形状に刈り込まれた植物の鉢やガーデンテーブルが置かれていて、ぱっと見、コウや赤毛がいるかどうかが判らない。それに、このテラスに面した別の部屋に続くタープテントの下は、陰になっていてここからはとりわけ見えづらい。だからだろうか。引き寄せられるようにそこへ足が向いた。


 当たりだ。

 タープの下のダイニングテーブルの向こう側に、隠れるようにベンチが置かれ、コウが横たわっていた。

 可哀想に――。

 彼の傍に膝をつき、そっと頬にかかる髪を掻きあげて、手のひらを当てて彼の温もりを確かめた。息をしていないんじゃないか、などとあり得ない想像をしてしまったほど、彼は憔悴していたのだ。
 想像すらしなかった。
 僕はただ――。
 コウが時間が欲しいと言ったから、僕はただ待つしかないのだ、と思っていた。彼がどんな状態でいるかなんて、思い遣ることもしないで。

「コウ、帰ろう」
 
 血の気のない、冷たい頬を緩く擦った。コウの瞳は、僕を見ているのに見ていない。コウの瞳に映っている自分が、ただの影のようで怖かった。

「きみは、いつだって僕を見つけてくれるんだね」

 コウは軽く目を細めたけれど、わずかな仕草はまだ夢のなかにいるみたいに儚くて虚ろで。これが僕に向けられた言葉なのか、僕には確信が持てなかった。

「コウ、一緒に帰ろう」

 じっと身じろぎもせず、僕を琥珀色の瞳に映すコウ。その首筋に手を差し入れて、頭を持ちあげた。ぐったりと重い。自分ではまるで力を入れることができないように。その重みに、腹の底から怒りが湧いていた。

 コウがこんな状態にいることに――。

 僕のせいだ。コウが僕から逃げていたのではない。僕がコウとの間にあった扉を閉めていたのだ。僕に怒っているコウを見たくなかったのは僕の方。こんな薄情な僕のところへ、コウが戻ってこれるはずがなかったのに。

 だけど、僕だけのせいじゃないはずだ。たった一週間のことでコウがここまでやつれ果てるなんて。
 赤毛はいったいコウに何をさせているんだ? どうしてこんな病的な状態にいるコウをほったらかしている? こんな――、まるで精気を吸い取られてしまったみたいになるまで。


「そいつに触るな」

 低く、重たい声が背後で響いた。
 振り向くまで、それが赤毛だとは判らなかったほどの――。





感想 4

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。