夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
79 / 219
第三章

隠れ家 5.

 コウの頭を静かに下ろし、身体ごと振り返った。赤毛が威圧的に僕たちを見下ろしている。腰をおとしたまま、腕を広げて背後のソファーの座面についた。

 ――コウを守りたい。こいつが、これ以上コウに踏み込むことを許すわけにはいかない。

 赤毛の小憎たらしい顔を目にしたとたん、そんな想いが沸々と湧いていた。自分でも思いがけない熱をもって、想いは口から溢れでる。

「触るなって? それは僕のセリフだよ。きみにそんなことが言えた義理かい。コウをこんな目にあわせておいて――」
「それはお前じゃないか! お前のせいで、こいつの気脈がぐちゃぐちゃになって、使い物にならないから、こうして」
「使い物にならない? 彼に何をさせているの? コウはきみが自由にできる玩具ものじゃないよ。彼には彼の意志があるんだ。いい加減、きみはその幼稚な支配欲を手放すべきだね」

 タープテントの薄暗い影の中にいてさえ、燃える焔のように輝く奴の赤い髪が、怒りで揺らめいている。空気までもがピリピリと震えて。

「こいつの意志だ。ここにいるのも。こんな無茶をするのも! それもこれも、お前が、」
 と、低く脅しつけるような声音でなおも言いつのろうとしていたのに、赤毛は急に口を噤んだ。腹立たしげに眉をしかめ、身動ぎする。

 いつの間に――。

 赤毛の背後から、小さな女の子が顔を覗かせた。いや、小柄だけど幼くはないのかもしれない。コウと同じくらいか。

 短い銀の髪に銀の瞳。どこか覚えのある面差し――。

「どこかで逢ったことがあるかな?」

 僕をじっと見つめる不躾な眼差しに問いかけた。確かに、僕は彼女を覚えている。でも、どこで逢ったのかが思いだせない。
 眼前の少女は、何も答えずただ僕を見つめているだけだ。感情の籠らない鏡のような瞳で……。
 そうか、思いだした。アーノルドだ。父の眼差しに似ている。それに髪の毛さえ長ければ、この顔は彼の作った精霊の人形に生き写しなのだ。

「向こうに行ってろ!」

 赤毛が、彼の服の袖を握りしめている彼女の小さな手を乱暴に振り払う。彼女は人形のような無表情で赤毛を見あげ、ついでもう一度僕を、いや、僕の後ろに横たわったままでいるコウを眺める。

 カシャン――。

 突風が吹き、赤毛の背後にあるダイニングテーブルに並べられていたワイングラスが倒れた。タープテントが煽られて、バタバタと激しく音を立てる。激しい風圧に、僕は思わず目を瞑り、顔をよけていた。

 そのほんの一瞬。

 目を開けたすぐ傍に、彼女がいた。銀の瞳が心配そうにコウを見つめている。僕のガードを気にもせず腕の上からのしかかり、コウを抱きしめて心臓に耳を当てる。
 コウが――。
 起き上がることもできないコウが、ゆっくりと腕を持ちあげ、彼女の頭をかき抱いた。

「アル、大丈夫だよ、しっかり目が覚めたから」

 コウの瞳が僕を見ている。声も、さっきよりもずっとしっかりとして。
 彼女は頭を起こし、くるりと振り返る。赤毛を――。

「そこをどけ、白雪姫シュネービッチェン! コウ、目が覚めたのなら、こっちへ来い」

 鬱陶しい赤毛が、またわめきだす。冗談じゃないよ。

「それは無理だね。コウは僕が連れて帰る。見た目にも彼はこんなに衰弱してるんだ。病院に連れていくよ」
「必要ない」
「きみが決めることじゃないよ」
「そんなところへ行ったって、意味がないんだ。こいつにはな」

 また水掛け論だ。身勝手な赤毛とは話にならない。奴の言うことをコウが素直に聞いていると、こき使われたあげくに殺されてしまうだろう。

「アル、僕は平気だから。ちょっと、その、疲れているだけで――」

 コウが、やっと上半身を起こした。ふらつくのだろう。額を手で支えている。貧血も酷いのかもしれない。そんな彼に、あの子が心配そうに寄り添っている。
 どういう関係? と不快な感覚が心を過ったけれど、眼前の問題は彼女じゃない。

「疲れてるって、どうして? こんなになるまで何をしていたの?」

 赤毛は無視して、ソファーの端に腰を落とし、彼の肩を支えた。コウは今までのわだかまりなど忘れたように、素直に僕の肩に額をよせた。

「道を見失ってしまったんだよ。迷ってしまって。――でも、きみが呼んでくれた。僕が帰れるように。僕はきみを目指して帰ってきた。もう見失ったりしない。きみが、僕の還る大地なんだ」

 夢と現実がごっちゃになってしまっている。まだ混乱しているのだ。けれど夢の中でさえ、きみは僕を捜してくれていたんだね。

 コウは僕を待ってくれていたのだ。僕はもっと早く、ここにくればよかったのだ。

 コウをしっかりと抱きしめて、首をひねって赤毛を見た。コウの僕への想いを、いつだって踏みにじる赤毛。コウの優しさにつけ込んで、彼に甘えるだけの奴。
 当然、奴は僕を睨み返している。全身の毛を逆立てている猫みたいに殺気立って。

「アル、ありがとう。でも、僕がここにいることも、ここでしていることも、彼にやらされているわけじゃないんだ。僕の意志だよ。だから――」

 コウは腕を回して、僕を一度きゅっと抱きしめてから、静かに腕を解いて立ちあがった。「だから」に続く言葉は、声になる前に彼のなかに呑み込まれてしまった。

「シルフィ、心配かけたね。もう平気だから」と、コウは彼女に小さく笑いかける。

 そして彼は、なぜだか眩しげに目を眇めて見回した。日は傾いて、辺り周辺の明度は落ちてしまっているのに。その彼の視線が一か所で止まる。彼が見ているのは赤毛じゃない。タープテントの外だ。螺旋状に刈りこまれたトピアリーの横。こちらからの視界に入りづらく、会話を盗み聴くにはほど良い距離に置かれたガーデンセット、そこに座るエリックだ。

 厄介なのは赤毛だけではなかったことを、僕は完全に忘れていた。





感想 4

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。