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第三章
隠れ家 6.
コウの指先が探るように動いて、僕の手を握る。ぎゅっ、と絶対に放すものかといっているように――。
コウの温もりが伝わってくる。彼の不安も。だから僕もその手を強く握り返した。こうしてコウが信じてくれるなら、僕は絶対にきみを裏切ったりはしない。その不安を受けとめて、安心をあげる。
「コウ、戻って休もう。ここでうたた寝してるくらいなら、部屋でしっかり休養を取った方がいいよ」
本当は病院へ、と言いたかったけれど、こうして手を握ってみると特に熱があるわけでも、低体温に陥っているわけでもない。横になっていたときよりも、顔色もずいぶん良くなっている。検査は受けるべきなのだろうが、今すぐにと切羽詰まったものでもなさそうで。
けれどコウはまた黙り込んで、覚束ない視線をゆらゆらと漂わせている。彼自身から溢れでた不安に溺れてしまっているかのように。
僕を見て、コウ。僕の上に留まって。そんな不安に流されたりしないで。
彼の視界の中で、エリックが笑っているからだ。
彼から見たコウはおそらく、臆病な、怯えた小うさぎのようなもの。脆弱な、取るに足りないものでしかない。彼はコウを舐めきっていて、獲物をいたぶる狐のような眼つきで彼を見ている。
コウは、こういった手合いには免疫がないのだ。エリックのはったりを真に受けて委縮してしまっている。
「コウ――」
エリックが椅子から立ちあがった。
僕の呼びかけなど耳に入っていないのか、びくりと震えてコウの指先に力が入る。ゆっくりとエリックは僕たちに歩み寄る。にこやかな笑みを湛えて。
そしておもむろに、甘えるように赤毛の肩を抱いた。
「彼もめでたくお目覚めになったことだし、気付けに何か一杯作ってやろうか? きみも飲むだろ、何がいい?」
そうだ。僕は肝心なことを忘れていたのだ。エリックに偶然出会ったのは、彼がこの建物から出てきたときだった。それはつまり、彼はコウがどんな状態でいるのかを知っていたということだ。
あるいは彼が、あることないこと言い立てて、コウを追い詰めたのか。
例えようのない不快感を、ずしりとみぞおちの辺りに感じた。どす黒い憎悪。初めて、なのではないだろうか。エリックに対してこんな想いを抱いたのは。
僕は彼が嫌いじゃなかった。彼の痛烈で、ある種残酷な一面も知らないわけではなかったけれど。それが僕に向けられたことはなかったから。僕は、彼に対して親近感さえ抱いていたのに。
鬱陶しい。
今ほど彼のことを疎ましく感じたことはない。彼はただ、ここにいるだけだというのに。それだけでコウを脅かしているのだから。
こんな僕の心境の変化はおそらく彼にも伝わっている。エリックは人一倍勘がいいから。そうして彼は、きっとますます僕にまといついてくることになるのだ。僕を失うことを怖れて――。
そうならないように、今日まで慎重に、少しづつ彼との距離をあけてきたのに、僕はしくじったということだ。
この赤毛に掻乱されて。
結局、奴がすべての元凶なのだ。本来なんの関係もない連中までも巻き込みながら、僕とコウの間に水を差す。邪魔をする。
だが赤毛はさっきまでの勢いはどこへやら、今は唇をへの字に結んだままじっとコウを睨めつけているだけだった。自分にもたれかかっているエリックにすら、なんの反応も見せないまま。
コウが自分の思い通りにならないことが、信じられないのだろう。コウが僕の手を握ったまま放さないことが――。
当然だ。いつまでも、縁故の義理でコウを縛れると思うな。コウは僕を選んだのだ。僕とともにあることを。
銀髪の少女は、不安そうな瞳で赤毛とコウを代わる代わる見つめている。不思議なことに、彼女の表情筋は人形のように動かないのに、瞳はそれを補って雄弁だ。もしかすると、言葉が通じていないのかもしれない。彼女はこの状況で、一度も口をきいていない。
コウはずいぶん親しげに彼女に接していたけれど――。
彼女のことよりなにより、責めるような赤毛の視線に耐えかねてか、コウは顔を伏せた。赤毛は、ギリッと、聞こえるほどの歯ぎしりをして、踵を返した。エリックと一緒に。銀髪の少女もすぐに彼らの後を追い、一度だけ、ちらりとコウを振り返った。
コウは、彼らが室内に戻って見えなくなってからやっと、ふっとそれまでの緊張を解いた。
「きみが僕を繋ぎとめてくれるから、僕はこちら側の人間でいられるんだ」
僕を見あげ、コウは大きなトパーズの瞳をさらに大きく見開いて言った。
「きみの存在が僕の現実なんだよ」
倒れかかるように抱きついてくる。背中に腕を回して抱きしめてくる。コウとは思えないほどの力強さで。
「アル、ごめん。僕はどうしたって、きみを諦めることができないみたいだ。こんな僕は、きみには相応しくない、って解っているのに」
「それが、きみが時間をかけて考えて出した結論?」
「ごめん」
「コウ、きみの英語は充分通じるけれどね、ここでの表現は間違えているよ。こういう場面ではね、英国では、愛してる、って言うんだ。それだけでいい」
コウは僕の首に腕を回し、背伸びして顔を寄せた。僕にだけ聴こえるように、そっとその言葉を囁くために――。
コウの温もりが伝わってくる。彼の不安も。だから僕もその手を強く握り返した。こうしてコウが信じてくれるなら、僕は絶対にきみを裏切ったりはしない。その不安を受けとめて、安心をあげる。
「コウ、戻って休もう。ここでうたた寝してるくらいなら、部屋でしっかり休養を取った方がいいよ」
本当は病院へ、と言いたかったけれど、こうして手を握ってみると特に熱があるわけでも、低体温に陥っているわけでもない。横になっていたときよりも、顔色もずいぶん良くなっている。検査は受けるべきなのだろうが、今すぐにと切羽詰まったものでもなさそうで。
けれどコウはまた黙り込んで、覚束ない視線をゆらゆらと漂わせている。彼自身から溢れでた不安に溺れてしまっているかのように。
僕を見て、コウ。僕の上に留まって。そんな不安に流されたりしないで。
彼の視界の中で、エリックが笑っているからだ。
彼から見たコウはおそらく、臆病な、怯えた小うさぎのようなもの。脆弱な、取るに足りないものでしかない。彼はコウを舐めきっていて、獲物をいたぶる狐のような眼つきで彼を見ている。
コウは、こういった手合いには免疫がないのだ。エリックのはったりを真に受けて委縮してしまっている。
「コウ――」
エリックが椅子から立ちあがった。
僕の呼びかけなど耳に入っていないのか、びくりと震えてコウの指先に力が入る。ゆっくりとエリックは僕たちに歩み寄る。にこやかな笑みを湛えて。
そしておもむろに、甘えるように赤毛の肩を抱いた。
「彼もめでたくお目覚めになったことだし、気付けに何か一杯作ってやろうか? きみも飲むだろ、何がいい?」
そうだ。僕は肝心なことを忘れていたのだ。エリックに偶然出会ったのは、彼がこの建物から出てきたときだった。それはつまり、彼はコウがどんな状態でいるのかを知っていたということだ。
あるいは彼が、あることないこと言い立てて、コウを追い詰めたのか。
例えようのない不快感を、ずしりとみぞおちの辺りに感じた。どす黒い憎悪。初めて、なのではないだろうか。エリックに対してこんな想いを抱いたのは。
僕は彼が嫌いじゃなかった。彼の痛烈で、ある種残酷な一面も知らないわけではなかったけれど。それが僕に向けられたことはなかったから。僕は、彼に対して親近感さえ抱いていたのに。
鬱陶しい。
今ほど彼のことを疎ましく感じたことはない。彼はただ、ここにいるだけだというのに。それだけでコウを脅かしているのだから。
こんな僕の心境の変化はおそらく彼にも伝わっている。エリックは人一倍勘がいいから。そうして彼は、きっとますます僕にまといついてくることになるのだ。僕を失うことを怖れて――。
そうならないように、今日まで慎重に、少しづつ彼との距離をあけてきたのに、僕はしくじったということだ。
この赤毛に掻乱されて。
結局、奴がすべての元凶なのだ。本来なんの関係もない連中までも巻き込みながら、僕とコウの間に水を差す。邪魔をする。
だが赤毛はさっきまでの勢いはどこへやら、今は唇をへの字に結んだままじっとコウを睨めつけているだけだった。自分にもたれかかっているエリックにすら、なんの反応も見せないまま。
コウが自分の思い通りにならないことが、信じられないのだろう。コウが僕の手を握ったまま放さないことが――。
当然だ。いつまでも、縁故の義理でコウを縛れると思うな。コウは僕を選んだのだ。僕とともにあることを。
銀髪の少女は、不安そうな瞳で赤毛とコウを代わる代わる見つめている。不思議なことに、彼女の表情筋は人形のように動かないのに、瞳はそれを補って雄弁だ。もしかすると、言葉が通じていないのかもしれない。彼女はこの状況で、一度も口をきいていない。
コウはずいぶん親しげに彼女に接していたけれど――。
彼女のことよりなにより、責めるような赤毛の視線に耐えかねてか、コウは顔を伏せた。赤毛は、ギリッと、聞こえるほどの歯ぎしりをして、踵を返した。エリックと一緒に。銀髪の少女もすぐに彼らの後を追い、一度だけ、ちらりとコウを振り返った。
コウは、彼らが室内に戻って見えなくなってからやっと、ふっとそれまでの緊張を解いた。
「きみが僕を繋ぎとめてくれるから、僕はこちら側の人間でいられるんだ」
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「きみの存在が僕の現実なんだよ」
倒れかかるように抱きついてくる。背中に腕を回して抱きしめてくる。コウとは思えないほどの力強さで。
「アル、ごめん。僕はどうしたって、きみを諦めることができないみたいだ。こんな僕は、きみには相応しくない、って解っているのに」
「それが、きみが時間をかけて考えて出した結論?」
「ごめん」
「コウ、きみの英語は充分通じるけれどね、ここでの表現は間違えているよ。こういう場面ではね、英国では、愛してる、って言うんだ。それだけでいい」
コウは僕の首に腕を回し、背伸びして顔を寄せた。僕にだけ聴こえるように、そっとその言葉を囁くために――。
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