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第三章
影 5
「それで彼は、ドレイクはどこに?」
すぐにでもコウを連れてここを出るつもりだったのに、自分でも思いがけず、赤毛のことを尋ねていた。なぜだろう。彼らの話していた「虹のたもと」という言葉が気にかかっていたのだろうか。
「ん? たぶん、そのへんにいるんじゃないかな? 僕は寝てたから。マークス、知らないかな?」
コウが身体を傾けて僕越しに尋ねる。僕も後ろを振り返る。
マークスと呼ばれた双子の片割れが、大きな頭をブルブルと横に振っていた。
「ご存じあげませんとも!」
「えっと、じゃあ、スペンサーなら知ってるかな?」
フロックコートが大きくぶれて、また分裂したかのようにもう一人が現れた。手には大きなティーポットを抱えている。だが、こっちの男にしろ同じようにでっぷりと膨らんだ頬をブルブルと揺するだけだ。
「コウ様、ご存知あげませんとも!」
「そうなの? 変だな。ドラコの奴、どこへ行ったんだろう?」
コウはきょとんと首を傾げている。
「でも、どうして? アルは、彼になにか話でもあるの?」と、コウが僕の顔を覗きあげる。
「いないなら別にいいんだ。それより僕は今日からバカンスだよ、コウ。きみの体調さえ問題ないなら、すぐにでも出発したい」
本音は、赤毛ときっちり話をつけたかった。コウに彼とのしがらみを断ち切って、けじめをつけてほしかったのだ。今のままでは僕だって安心できない。でも、そんな悠長なことは言ってられない気がしていたのも嘘じゃない。
コウはすぐに赤毛に流される。僕のことなんか忘れて、赤毛の幼稚な感情を優先させる。今だって、ほら。
「うん――、でも、そうだね、なんだかバタバタしてただろ。旅行のこと、まだドラコに話せてないんだ。だから、」
「彼の許可が必要なの?」
僕から視線を逸らして、考えこむように眉根をよせたコウの顎を指で持ちあげ上向かせた。驚いたように見開かれている彼の瞳を覗きこむ。
コウ。
きみは、僕のコウだよね?
すっ、と視線が逸らされる。
「ちょっと待ってよ、アル。旅行っていっても、まだなんの準備もしてないのに」
「要らない。必要なものくらい着いてから買えばいいじゃないか」
「そんなわけにはいかないよ。マリーにもショーンにだって、何も言ってないんだ。家だって放ったままだし」
「いつになったらきみは、家政婦をやめて僕の恋人になってくれるの?」
無性に苛立っていた。こんなことを言うつもりなんてなかったのに。こんなときでさえ、彼の思考は、僕よりも家を綺麗に保つ方を優先させる。それがいつものコウなのに、なぜだか許せなかったのだ。
「僕は――」
大きく目を見開いたまま、コウは声を詰まらせる。
「ごめん。違う、そうじゃないんだ。ちょっと待って、アル。いきなりすぎて」
「いきなりって、僕はもっと以前から話してるよ。マリーやショーンだって知ってる。準備ができていないのは君だけじゃないか」
どうだっていい。あの二人のことなんて。事後承諾だって文句を言われる筋合いはない。僕がバカンス中だってことくらい彼らだって知っている。それをなんだって、いない間の彼らの食事だの、精神状態だのまで考えてやらなきゃいけないんだ? 子どもじゃあるまいし。
コウは僕のことを考えるのが嫌なのだ。だから家事に逃げる。マリーやショーンに逃げる。今だって、ただ僕から逃げようとしている。
「ごめん」
「どうして僕に謝るの? 僕と行く気なんてないから?」
「違――、」
コウを殴りつけたい衝動に駆られていた。彼の両腕を掴む手は、このまま握りつぶしそうに力が入っていた。コウは柔らかいのに。大して筋肉もない細い腕、簡単に折れてしまいそうな――。
「違うんだ、アルビー」
はっと我に返って、思わず掴んでいた手を離していた。僕の内に湧きあがっていた衝動を怖れたコウに、突き飛ばされるかと思った。
だが彼は僕の胸に頬をつけて、僕を強く抱きしめていた。
「違うんだ」
コウはもう一度繰り返した。
「ごめん。旅行に行くのが嫌だとか、そんなんじゃないんだ。だけど、今の僕は――」
コウが顔を起こして僕を見あげる。苦しげに揺れる琥珀色の瞳。僕の存在が、こんなにもきみを苦しめている。
「好きだよ、アル。信じて。それだけは、なにがあっても変わらない」
コウ、そんな悲しげな顔をして愛を語るんじゃないよ。僕を愛することできみが不幸のなかにいるのなら、それは、この愛は間違っているってことじゃないの?
こうやってきみは、いつもいつも、僕を底なしの不安に突き落とすんだ。
すぐにでもコウを連れてここを出るつもりだったのに、自分でも思いがけず、赤毛のことを尋ねていた。なぜだろう。彼らの話していた「虹のたもと」という言葉が気にかかっていたのだろうか。
「ん? たぶん、そのへんにいるんじゃないかな? 僕は寝てたから。マークス、知らないかな?」
コウが身体を傾けて僕越しに尋ねる。僕も後ろを振り返る。
マークスと呼ばれた双子の片割れが、大きな頭をブルブルと横に振っていた。
「ご存じあげませんとも!」
「えっと、じゃあ、スペンサーなら知ってるかな?」
フロックコートが大きくぶれて、また分裂したかのようにもう一人が現れた。手には大きなティーポットを抱えている。だが、こっちの男にしろ同じようにでっぷりと膨らんだ頬をブルブルと揺するだけだ。
「コウ様、ご存知あげませんとも!」
「そうなの? 変だな。ドラコの奴、どこへ行ったんだろう?」
コウはきょとんと首を傾げている。
「でも、どうして? アルは、彼になにか話でもあるの?」と、コウが僕の顔を覗きあげる。
「いないなら別にいいんだ。それより僕は今日からバカンスだよ、コウ。きみの体調さえ問題ないなら、すぐにでも出発したい」
本音は、赤毛ときっちり話をつけたかった。コウに彼とのしがらみを断ち切って、けじめをつけてほしかったのだ。今のままでは僕だって安心できない。でも、そんな悠長なことは言ってられない気がしていたのも嘘じゃない。
コウはすぐに赤毛に流される。僕のことなんか忘れて、赤毛の幼稚な感情を優先させる。今だって、ほら。
「うん――、でも、そうだね、なんだかバタバタしてただろ。旅行のこと、まだドラコに話せてないんだ。だから、」
「彼の許可が必要なの?」
僕から視線を逸らして、考えこむように眉根をよせたコウの顎を指で持ちあげ上向かせた。驚いたように見開かれている彼の瞳を覗きこむ。
コウ。
きみは、僕のコウだよね?
すっ、と視線が逸らされる。
「ちょっと待ってよ、アル。旅行っていっても、まだなんの準備もしてないのに」
「要らない。必要なものくらい着いてから買えばいいじゃないか」
「そんなわけにはいかないよ。マリーにもショーンにだって、何も言ってないんだ。家だって放ったままだし」
「いつになったらきみは、家政婦をやめて僕の恋人になってくれるの?」
無性に苛立っていた。こんなことを言うつもりなんてなかったのに。こんなときでさえ、彼の思考は、僕よりも家を綺麗に保つ方を優先させる。それがいつものコウなのに、なぜだか許せなかったのだ。
「僕は――」
大きく目を見開いたまま、コウは声を詰まらせる。
「ごめん。違う、そうじゃないんだ。ちょっと待って、アル。いきなりすぎて」
「いきなりって、僕はもっと以前から話してるよ。マリーやショーンだって知ってる。準備ができていないのは君だけじゃないか」
どうだっていい。あの二人のことなんて。事後承諾だって文句を言われる筋合いはない。僕がバカンス中だってことくらい彼らだって知っている。それをなんだって、いない間の彼らの食事だの、精神状態だのまで考えてやらなきゃいけないんだ? 子どもじゃあるまいし。
コウは僕のことを考えるのが嫌なのだ。だから家事に逃げる。マリーやショーンに逃げる。今だって、ただ僕から逃げようとしている。
「ごめん」
「どうして僕に謝るの? 僕と行く気なんてないから?」
「違――、」
コウを殴りつけたい衝動に駆られていた。彼の両腕を掴む手は、このまま握りつぶしそうに力が入っていた。コウは柔らかいのに。大して筋肉もない細い腕、簡単に折れてしまいそうな――。
「違うんだ、アルビー」
はっと我に返って、思わず掴んでいた手を離していた。僕の内に湧きあがっていた衝動を怖れたコウに、突き飛ばされるかと思った。
だが彼は僕の胸に頬をつけて、僕を強く抱きしめていた。
「違うんだ」
コウはもう一度繰り返した。
「ごめん。旅行に行くのが嫌だとか、そんなんじゃないんだ。だけど、今の僕は――」
コウが顔を起こして僕を見あげる。苦しげに揺れる琥珀色の瞳。僕の存在が、こんなにもきみを苦しめている。
「好きだよ、アル。信じて。それだけは、なにがあっても変わらない」
コウ、そんな悲しげな顔をして愛を語るんじゃないよ。僕を愛することできみが不幸のなかにいるのなら、それは、この愛は間違っているってことじゃないの?
こうやってきみは、いつもいつも、僕を底なしの不安に突き落とすんだ。
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