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第三章
迷路 3.
「思わないよ。きみこそ、なぜそんなふうに思うの?」
濡れて頬に貼りついている彼の黒髪を指先で整えてあげながら、できるだけ優しく微笑み返した。
どうやらコウは、なんでもかんでも自己関連づけをして自分を罰したい気分らしい。僕の身体のヘナタトゥーの状態が彼のせいだなどと、どう考えてもおかしいことに気づいていないのだ。でもこんな不可解な強迫観念をもってしまったのは、僕が彼を責めたててしまったから、なのかもしれない。
「僕がそれに触れたからなんだ。そうやって活性化させてしまったきみの三脚巴が、今度は逆に僕の気脈を狂わせた。だから彼は、僕に防御を施すしかなかったんだ。それが、彼が僕の身体にこの模様を入れた理由だよ」
コウは息を継ぐ間もないほどのひと息で喋っていた。まるで蛇口を捻りでもしたように。
「それなら僕のヘナタトゥーさえ消えてしまえば、赤毛はきみの身体のこの模様を消してくれるの?」
僕はできるわけのないことを、あえて尋ねていた。コウに刻まれた入れ墨は、たんに皮膚の上から描いただけのヘナタトゥーとは明らかに違う。消すことはおそらく無理なのだろう。
「ごめん――。きみの身体の模様はもう、消えることはないんだと思う。だから彼は、僕の身体にも対になる火焔模様を刻んだんだ。僕を守るために。そしてもうひとつの理由は、きみと結びつけるため――。僕はきみを巻きこむことだけは、どうしても嫌だって言ったのに。アル、本当にごめん」
「べつにかまわないよ。消えないなら消えないで。身体に墨が入っているくらい、今どき大したことでもないさ。もともと好きで入れていたんだし。ね?」
そんなことよりも、この模様がコウの体調不良の原因だということの方が気になっていたのだ。つまりそれは、この特殊な模様が彼の潜在的な不安を呼び覚まし、無意識に揺さぶりをかけていたということだ。赤毛は、そんなコウの不安に対して呪術的な施術をした、とそういうことになる。
要は僕のせいだ、と赤毛は言いたいのだ。そしてコウも、それが解っていて肝心の僕にはなにも言えなかった、ということ――。たかだかこんな図案ひとつのことなのに。
「もっと早く言ってくれれば良かったのに――。その火焔の入れ墨を施されたことできみの体調が良くなるのなら、僕は我慢するしかないようだね。赤毛と同じ模様だってのが腹が立つけど、きみの健康には変えられない。しかたないな、我慢するよ」
彼を抱きしめて、薄く桜色に染まっているうなじにキスを落とした。そろそろ湯からあがる方がいいかもしれない。コウがのぼせてしまう。
きっとコウは、僕のなかなか消えないヘナタトゥーを気に病んで、変に呪術的な意味づけをして、こんな物語を創りあげてしまったのだ。この辺りの彼の特殊な思考回路が理解できなかったのは、仕方のないことだと思う。でもこうして話してくれてみれば、まったく大したことじゃない。
明らかに僕の情報不足だったのだ。コウを構成する知識の世界、呪術的な意味づけに、僕はあまりにも昏すぎたのだ。コウを喜ばせようと思って選んだこの模様が彼の不安に結びつくなんて、考えもしなかった。コウだって、そんな素振りは見せなかったのに――。
いや、違う、そうじゃなかった。
僕が模様の中心となる背中を見せたとき、あのとき、コウは――。
ふっと意識が記憶の海に沈みこむ。
溺れる。絡めとられる。不快感。不安。巻きこまれるような。
怖かった――。
そうだ。コウは、決して喜んでなんかいなかった。今と同じ、彼のかき消えてしまいそうな存在の薄さに、僕は恐怖さえ感じていたではないか――。
思わずコウを強く抱きしめていた。彼の存在を確かめようと。
「アル、大丈夫だよ。僕はちゃんとここにいる」
見透かしたように、コウが僕の手に彼の手を重ねてくれていた。
「どうしてきみは、僕の心が読めるの?」
そう。いつもそうなのだ。なにも言わなくても、コウには僕が解るのだ。そして、僕を捉えてくれる。僕の心が霧散してしまう前に。
「きみのことが、好きだからかな」
身動ぎしてコウは僕に向き直り、僕を抱きしめてくれた。
「――彼は、ドラコは意地悪になった。前はあんな奴じゃなかったのに。彼は僕に怒っているんだ。こんなやり方をしなくたって、他にも方法はあったはずなんだ。この模様は、きみを好きになった僕への罰でもあるんだ。ごめん、アルビー、僕の疎さが、配慮のなさが、きみを傷つけてしまった」
「コウ、彼のしたことで、きみが謝るんじゃないよ」
「うん――」
「きみがこうして話してくれて、僕は安心したよ。きみのために僕にできることがあるのなら、なんだってしてあげたい」
「――うん」
僕を抱きしめるコウの腕に力が籠る。
「でも一番に、ここから出ようか。のぼせてしまう」
片腕でコウを抱え、片手でバスタブの縁を掴んで勢い良く立ちあがった。コウの身体がズシリと重く感じられた。それはそのままコウの存在の重さだ。僕はこの重みに安堵していた。
バスローブで彼を包み、タオルで彼の髪を拭こうとすると、「きみも早く着替えて」と、怒られた。彼の頭にバサリと大判のバスタオルを被せた。彼が髪を拭いているのを横目で見ながら、急いで服を脱ぎすてバスローブを羽織る。念をいれて首にタオルもかけておく。チラリと目に入った肩口に、エリックのつけた噛み痕が紫になって残っていたのだ。
僕には予想もつかないことがコウの心をかき乱し不安定にすると解った以上、もうこれ以上、コウを変に刺激したくはなかったのだ。
濡れて頬に貼りついている彼の黒髪を指先で整えてあげながら、できるだけ優しく微笑み返した。
どうやらコウは、なんでもかんでも自己関連づけをして自分を罰したい気分らしい。僕の身体のヘナタトゥーの状態が彼のせいだなどと、どう考えてもおかしいことに気づいていないのだ。でもこんな不可解な強迫観念をもってしまったのは、僕が彼を責めたててしまったから、なのかもしれない。
「僕がそれに触れたからなんだ。そうやって活性化させてしまったきみの三脚巴が、今度は逆に僕の気脈を狂わせた。だから彼は、僕に防御を施すしかなかったんだ。それが、彼が僕の身体にこの模様を入れた理由だよ」
コウは息を継ぐ間もないほどのひと息で喋っていた。まるで蛇口を捻りでもしたように。
「それなら僕のヘナタトゥーさえ消えてしまえば、赤毛はきみの身体のこの模様を消してくれるの?」
僕はできるわけのないことを、あえて尋ねていた。コウに刻まれた入れ墨は、たんに皮膚の上から描いただけのヘナタトゥーとは明らかに違う。消すことはおそらく無理なのだろう。
「ごめん――。きみの身体の模様はもう、消えることはないんだと思う。だから彼は、僕の身体にも対になる火焔模様を刻んだんだ。僕を守るために。そしてもうひとつの理由は、きみと結びつけるため――。僕はきみを巻きこむことだけは、どうしても嫌だって言ったのに。アル、本当にごめん」
「べつにかまわないよ。消えないなら消えないで。身体に墨が入っているくらい、今どき大したことでもないさ。もともと好きで入れていたんだし。ね?」
そんなことよりも、この模様がコウの体調不良の原因だということの方が気になっていたのだ。つまりそれは、この特殊な模様が彼の潜在的な不安を呼び覚まし、無意識に揺さぶりをかけていたということだ。赤毛は、そんなコウの不安に対して呪術的な施術をした、とそういうことになる。
要は僕のせいだ、と赤毛は言いたいのだ。そしてコウも、それが解っていて肝心の僕にはなにも言えなかった、ということ――。たかだかこんな図案ひとつのことなのに。
「もっと早く言ってくれれば良かったのに――。その火焔の入れ墨を施されたことできみの体調が良くなるのなら、僕は我慢するしかないようだね。赤毛と同じ模様だってのが腹が立つけど、きみの健康には変えられない。しかたないな、我慢するよ」
彼を抱きしめて、薄く桜色に染まっているうなじにキスを落とした。そろそろ湯からあがる方がいいかもしれない。コウがのぼせてしまう。
きっとコウは、僕のなかなか消えないヘナタトゥーを気に病んで、変に呪術的な意味づけをして、こんな物語を創りあげてしまったのだ。この辺りの彼の特殊な思考回路が理解できなかったのは、仕方のないことだと思う。でもこうして話してくれてみれば、まったく大したことじゃない。
明らかに僕の情報不足だったのだ。コウを構成する知識の世界、呪術的な意味づけに、僕はあまりにも昏すぎたのだ。コウを喜ばせようと思って選んだこの模様が彼の不安に結びつくなんて、考えもしなかった。コウだって、そんな素振りは見せなかったのに――。
いや、違う、そうじゃなかった。
僕が模様の中心となる背中を見せたとき、あのとき、コウは――。
ふっと意識が記憶の海に沈みこむ。
溺れる。絡めとられる。不快感。不安。巻きこまれるような。
怖かった――。
そうだ。コウは、決して喜んでなんかいなかった。今と同じ、彼のかき消えてしまいそうな存在の薄さに、僕は恐怖さえ感じていたではないか――。
思わずコウを強く抱きしめていた。彼の存在を確かめようと。
「アル、大丈夫だよ。僕はちゃんとここにいる」
見透かしたように、コウが僕の手に彼の手を重ねてくれていた。
「どうしてきみは、僕の心が読めるの?」
そう。いつもそうなのだ。なにも言わなくても、コウには僕が解るのだ。そして、僕を捉えてくれる。僕の心が霧散してしまう前に。
「きみのことが、好きだからかな」
身動ぎしてコウは僕に向き直り、僕を抱きしめてくれた。
「――彼は、ドラコは意地悪になった。前はあんな奴じゃなかったのに。彼は僕に怒っているんだ。こんなやり方をしなくたって、他にも方法はあったはずなんだ。この模様は、きみを好きになった僕への罰でもあるんだ。ごめん、アルビー、僕の疎さが、配慮のなさが、きみを傷つけてしまった」
「コウ、彼のしたことで、きみが謝るんじゃないよ」
「うん――」
「きみがこうして話してくれて、僕は安心したよ。きみのために僕にできることがあるのなら、なんだってしてあげたい」
「――うん」
僕を抱きしめるコウの腕に力が籠る。
「でも一番に、ここから出ようか。のぼせてしまう」
片腕でコウを抱え、片手でバスタブの縁を掴んで勢い良く立ちあがった。コウの身体がズシリと重く感じられた。それはそのままコウの存在の重さだ。僕はこの重みに安堵していた。
バスローブで彼を包み、タオルで彼の髪を拭こうとすると、「きみも早く着替えて」と、怒られた。彼の頭にバサリと大判のバスタオルを被せた。彼が髪を拭いているのを横目で見ながら、急いで服を脱ぎすてバスローブを羽織る。念をいれて首にタオルもかけておく。チラリと目に入った肩口に、エリックのつけた噛み痕が紫になって残っていたのだ。
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