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第四章
書斎 3
一頻り喋り終えると、「でもこれは最後の切り札にとっておくよ」とショーンは小さく息をついて、再び書架へと戻っていった。今度は本を一冊一冊抜きだして、中身が本当に印刷物か確かめている。「手伝うよ」と言って僕も同じようにしてみたのだが、かなりの時間を費やしても、目当てのものは見つからなかった。そのうちに、スミス夫人が「お食事はどうなさいますか?」と訊きにきた。「よくここにいると判ったね」と訝しむと、「旦那様が、お夕食は失礼する、とおっしゃられたんですよ」と朗らかな返事があった。彼から、僕たちが、というよりもショーンがここにいることを聞いてきたらしい。
僕たちはいったん作業を止めて、食事を採ることにした。僕はその前に寝室へより、コウに変わりはないか確認する。夏の宵は遅く、窓外は未だ明るくコウを柔らかな光で包んでいる。だが食事を終えて戻ってくるころには日も落ちているだろう、とカーテンを引いた。その時、庭の隅にある作業小屋には、すでに煌々と灯りがともっているのに気がついた。
彼は一日中あそこで何をしているのだろう――。
気にはなったけれど、特に深く考えることもなく、僕はショーンの待つ食堂へ向かった。
食事を終えるとまた書斎へ戻って、ノート探しの再開だ。スミス夫人にお茶を頼み、僕たちは延々と蔵書漁りを繰り返す。
さすがに疲れた。
ショーンに断りを入れ、ソファーに横たわった。停止しかかっている頭で、ぼんやりと彼を眺めていた。彼はノートだけを探しているんじゃない。使えそうな儀式儀礼を記した魔術関連の蔵書はないかと、いちいち本に目を通しているのだ。すでにその類が机の上にひと山築かれている。飽きもせずに同じ作業を淡々と繰り返している彼に、とんでもない集中力だな、と感心しきりだ。
「俺のことは気にしなくていいよ。疲れてるんだろ。寝てろよ」
ふっと顔をこちらに向けて、ショーンは真顔でそう言った。
「役に立てなくて申し訳ない」
「何言ってんだ。これは俺の専門分野だからさ、任せとけって」
照れくさそうに笑う彼に安堵したのか、身体から急速に力が抜けていた。鼓膜に刻まれた規則的な振り子の音が大きくなり、急速に僕を眠りの深みに引き込んでいた。
振り子時計の音に、梢のざわめきが重なる。濃い夜の匂い。柔らかな土の感触。ごつごつした樹の幹に感じる心地良い痛み――。
ざわざわ、クスクス、囁きかわす秘め事に隠微な空気が震えている。
密度のあるしっとりとした夜気に包まれる、ひやりと冷たい肌。それはほどなく熱に犯され、窯変し始める。弛緩しきった身体に感覚だけが鋭敏に覚めて。頭は痺れ、思考は麻痺する――。
そんなセックスをするのは嫌いじゃなかった。
以前、バニーに言われた通り。僕は相手の顔なんて見ていない。名前すら知らない。そんなもの必要なかった。僕は僕の感覚で確かめているだけだ。誰かを認知したいわけじゃない。親密な関係性なんて、はなからいらない。
ただ時折、確かめずにはいられなくなるだけだ。
僕の不在を――。
僕はいる、なんて言う奴らは嘘つきだ。僕はどこにもいはしない。そう信じて疑わなかった。
僕は、裸の王さまの服のようなもの。
魔術師の作った、誰にも見えない魔法の服だ。僕は本気で信じていた。彼に見えない僕が、他の誰かにだって見えるはずがないと――。
でも、スティーブとアンナは違う。彼らは魔術師を信じていたから。彼らは魔術師が僕を作ったことを知っていたから、見えなくても気にしない。見えてるように大切に僕を扱ってくれた。
僕は魔術師の造形物。誰にも見えないのに、見えると言わせる虚栄の虚構。
「ある」と言わないと、変な奴だって思われる。だから彼らは「見える」と言う。
――最高だよ。きみみたいに綺麗な子を見たことがない。
――あなたみたいに素敵な人、ほかにないわ。
ほら、御伽噺のセリフそのままじゃないか。誰もがほめそやす美しい服。僕を身につけることで虚栄を満たす。彼らのための虚色の装いだ。本当は見えてないくせに。だからこそ、彼らは妄想のままに僕を褒めちぎる。彼らの夢に僕を着せる。何色にでも染まり、どんなふうにでも形作れる美しい服――。
そんな彼らが僕に触れる。僕の形をなぞる。僕は僕自身の輪郭に反応する。その瞬間、僕は僕の不在を実感するのだ。まるで灼熱のマグマを抱える地表。僕の内側で脈打つそれを実感する。彼らの妄想の服の内側に、僕は、僕の代わりに狂暴な獣を見出した。
――きみは、絶えまなく働き続けるきみの心の活動から、解放されたくなったんだね。
バニーの部屋の固いカウチに横たわっていた。温かい空気。コーヒーの香り。穏やかに、時計が時を刻む音。
バニーは僕のこの認識を、歪んだ心の活動だと言った。
絶え間なく、方向感もなく、反応し続けて止まらない自動思考。それが突然ショートして、情動が堰を切って溢れでる。それに翻弄されて、本物の心を捉まえることができないのだと。
そうじゃないんだ、バニー。僕は捉まえることができてるよ。マリーのなかに見出した僕の喪失がそれなんだ。その空漠で僕は僕の獣を育んだ。それに慰められたんだ。だけど、もう足りない。それだけじゃ満足できなくなったんだよ。僕はマリーを喰い尽くしてしまったんだ。
だからあそこへ行くんだよ、バニー。僕の不在を確かめに。顔も名前もないあの場所で、薄皮一枚挟んで僕の獣を解き放つ。喰い尽くし、喰い尽くされて空っぽになる。この空漠こそが、僕を安心させてくれるんだ。
世界は嘘で満ち満ちている。
本能衝動こそが僕を形作る魔術。
そうだろ、そうだよね、バニー。
きみは僕の欲望を捉まえた。
だけど、きみにだって僕を見つけることはできないじゃないか。
だってほら、いないだろ、そんなものはどこにも――。
――アル、きみの獣には名前があるんだ。
僕たちは、それを「怒り」と呼んでいる。
僕たちはいったん作業を止めて、食事を採ることにした。僕はその前に寝室へより、コウに変わりはないか確認する。夏の宵は遅く、窓外は未だ明るくコウを柔らかな光で包んでいる。だが食事を終えて戻ってくるころには日も落ちているだろう、とカーテンを引いた。その時、庭の隅にある作業小屋には、すでに煌々と灯りがともっているのに気がついた。
彼は一日中あそこで何をしているのだろう――。
気にはなったけれど、特に深く考えることもなく、僕はショーンの待つ食堂へ向かった。
食事を終えるとまた書斎へ戻って、ノート探しの再開だ。スミス夫人にお茶を頼み、僕たちは延々と蔵書漁りを繰り返す。
さすがに疲れた。
ショーンに断りを入れ、ソファーに横たわった。停止しかかっている頭で、ぼんやりと彼を眺めていた。彼はノートだけを探しているんじゃない。使えそうな儀式儀礼を記した魔術関連の蔵書はないかと、いちいち本に目を通しているのだ。すでにその類が机の上にひと山築かれている。飽きもせずに同じ作業を淡々と繰り返している彼に、とんでもない集中力だな、と感心しきりだ。
「俺のことは気にしなくていいよ。疲れてるんだろ。寝てろよ」
ふっと顔をこちらに向けて、ショーンは真顔でそう言った。
「役に立てなくて申し訳ない」
「何言ってんだ。これは俺の専門分野だからさ、任せとけって」
照れくさそうに笑う彼に安堵したのか、身体から急速に力が抜けていた。鼓膜に刻まれた規則的な振り子の音が大きくなり、急速に僕を眠りの深みに引き込んでいた。
振り子時計の音に、梢のざわめきが重なる。濃い夜の匂い。柔らかな土の感触。ごつごつした樹の幹に感じる心地良い痛み――。
ざわざわ、クスクス、囁きかわす秘め事に隠微な空気が震えている。
密度のあるしっとりとした夜気に包まれる、ひやりと冷たい肌。それはほどなく熱に犯され、窯変し始める。弛緩しきった身体に感覚だけが鋭敏に覚めて。頭は痺れ、思考は麻痺する――。
そんなセックスをするのは嫌いじゃなかった。
以前、バニーに言われた通り。僕は相手の顔なんて見ていない。名前すら知らない。そんなもの必要なかった。僕は僕の感覚で確かめているだけだ。誰かを認知したいわけじゃない。親密な関係性なんて、はなからいらない。
ただ時折、確かめずにはいられなくなるだけだ。
僕の不在を――。
僕はいる、なんて言う奴らは嘘つきだ。僕はどこにもいはしない。そう信じて疑わなかった。
僕は、裸の王さまの服のようなもの。
魔術師の作った、誰にも見えない魔法の服だ。僕は本気で信じていた。彼に見えない僕が、他の誰かにだって見えるはずがないと――。
でも、スティーブとアンナは違う。彼らは魔術師を信じていたから。彼らは魔術師が僕を作ったことを知っていたから、見えなくても気にしない。見えてるように大切に僕を扱ってくれた。
僕は魔術師の造形物。誰にも見えないのに、見えると言わせる虚栄の虚構。
「ある」と言わないと、変な奴だって思われる。だから彼らは「見える」と言う。
――最高だよ。きみみたいに綺麗な子を見たことがない。
――あなたみたいに素敵な人、ほかにないわ。
ほら、御伽噺のセリフそのままじゃないか。誰もがほめそやす美しい服。僕を身につけることで虚栄を満たす。彼らのための虚色の装いだ。本当は見えてないくせに。だからこそ、彼らは妄想のままに僕を褒めちぎる。彼らの夢に僕を着せる。何色にでも染まり、どんなふうにでも形作れる美しい服――。
そんな彼らが僕に触れる。僕の形をなぞる。僕は僕自身の輪郭に反応する。その瞬間、僕は僕の不在を実感するのだ。まるで灼熱のマグマを抱える地表。僕の内側で脈打つそれを実感する。彼らの妄想の服の内側に、僕は、僕の代わりに狂暴な獣を見出した。
――きみは、絶えまなく働き続けるきみの心の活動から、解放されたくなったんだね。
バニーの部屋の固いカウチに横たわっていた。温かい空気。コーヒーの香り。穏やかに、時計が時を刻む音。
バニーは僕のこの認識を、歪んだ心の活動だと言った。
絶え間なく、方向感もなく、反応し続けて止まらない自動思考。それが突然ショートして、情動が堰を切って溢れでる。それに翻弄されて、本物の心を捉まえることができないのだと。
そうじゃないんだ、バニー。僕は捉まえることができてるよ。マリーのなかに見出した僕の喪失がそれなんだ。その空漠で僕は僕の獣を育んだ。それに慰められたんだ。だけど、もう足りない。それだけじゃ満足できなくなったんだよ。僕はマリーを喰い尽くしてしまったんだ。
だからあそこへ行くんだよ、バニー。僕の不在を確かめに。顔も名前もないあの場所で、薄皮一枚挟んで僕の獣を解き放つ。喰い尽くし、喰い尽くされて空っぽになる。この空漠こそが、僕を安心させてくれるんだ。
世界は嘘で満ち満ちている。
本能衝動こそが僕を形作る魔術。
そうだろ、そうだよね、バニー。
きみは僕の欲望を捉まえた。
だけど、きみにだって僕を見つけることはできないじゃないか。
だってほら、いないだろ、そんなものはどこにも――。
――アル、きみの獣には名前があるんだ。
僕たちは、それを「怒り」と呼んでいる。
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