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第四章
書斎 6
寝室へ戻ってコウにパジャマを着せ、またベッドに横たえた。窓を全開して風を通した。気のせいか、コウが嬉しそうにみえる。
この窓辺から、見るでもなく作業小屋を見おろしていた。ドアが開いているのだ。彼は今日もあそこへいるのだろうか。彼女の人形を壊して作り直しているのかもしれない。そうなると、迂闊にあそこへ行くわけにもいかないだろう。彼は作業を邪魔されることを極端に嫌う。それだけは、スミス夫人にきつく注意されているのだ。僕が彼を下手に刺激して、後のとばっちりを引き受けさせられるのは彼女なのだから――。
とはいえショーンの手前、僕だけが遊んでいるというわけにもいかない。彼の妻の面談ということで、彼と話す機会を持てないかスミス夫人から訊いてもらえないか頼んでみるか。
「コウ」
さらさらの黒髪をくしゃりと撫でた。
「行ってくるね。なにかきみに繋がる手がかりを得られるように、祈っていて」
――もちろん! 僕はいつだってきみと一緒にいるよ、アル。
アル――、と、そんなコウの声が、僕のなかで木霊する。
一階への階段を下りているところで、ちょうどスミス夫人に出くわした。彼女は大きなトレーを抱えている。彼の朝食の器を下げてきたところらしい。
「彼は朝食も向こうなの?」
「そうなんですよ。昨夜遅くに戻ってらして、また日の昇るころには向かわれて。だからしばらくは――、」と夫人は言葉を切って、顔をしかめてみせる。
「彼から面談を頼まれているんだけど、僕は、どうするべきなのかな?」
「ああ! 旦那さまもおっしゃってました。お昼をご一緒にって。ですから、それ以外の時間は作業場の方には、」
「うん、解ってる。ショーンにも庭にでないように言っておくよ」
「ええ、お願いしますね! ところで坊ちゃん方、ずいぶん早起きされてたみたいですけど、そろそろお腹がお好きなんじゃないですか?」
料理自慢の彼女は、僕にあれこれと食べさせるのが趣味のようなものだ。加えて僕よりもさらによく食べるショーンの食べっぷりに、昨夜はかなりの上機嫌だった。僕も彼女のご機嫌を損ねないように、勧められるままにお茶をもらってショーンに持っていくことにした。
「お持ちしますよ」と言われたのだが、手ぶらで書斎に行くのも勝手が悪い。午前中の忙しい時間帯に手間をかけるのは申し訳ないから、と僕も台所まで行き、彼女の用意を待つことにする。
生家といっても、ここへ入ったのは初めてだ。つい物珍しさから、辺りを見回した。アビーの気配を感じるような、そんな空気はここにはない。ここはスミス夫人の領域だ。整然と片づけられてはいるけれど、アーノルドの書斎に感じるような怪しさもなく、彼女らしい利便性と温かさに満ちている。
柔らかな風合いのパイン材の食器棚から、大小のフライパンの下がる壁、揃いのブリキキャニスターの置かれたシェルフに使い込まれたコンロへと視線を流し、ふと窓枠で目が留まった。
「あれはミルクかな? ビスケットも。ここにも妖精が来るの? それにあれは、」と、僕は頭のなかで記憶を探る。少し離れた箇所にもう一つグラスが置かれていたのだ。なんだか見覚えのある澄んだ赤い液体が入っている。「ラズベリー酒?」と、根拠もなく浮かんできた名前を呟く。
「そうなんですよ、坊ちゃん! 旦那さまがね、かかさず置いて下さってるんです。本当にお優しい旦那さま!」
「ラズベリー酒が好きなの?」
彼が甘い果実酒が好きだなんて初耳だ。訝しむ僕に、スミス夫人は全身で喜びを表現しているような大袈裟な手振りで、「それはもう! 皆、大好きですとも!」と大声で応えた。
皆――、て誰のことなんだろう? 夫人とご主人?
なんだか、こんな会話を最近したような――。
まじまじとスミス夫人を見つめていると、彼女の輪郭がぼやけていくような、変な気分になってきた。
「その緑のストール、素敵だね。よく似あってる」
「まぁ、坊ちゃん! ありがとうございます!」
スミス夫人は大柄な身体を揺すってにこにこと嬉しそうだ。そして僕たちのために、ティーセットにスコーンをのせた皿をつけてくれた。それからココットに入ったたっぷりのクロテッドクリームに、ジャム、白薔薇の――。
「スミス夫人は、いつからここで働いてくれてるんだっけ?」
「そうですねぇ、もう、かれこれ30年以上になりますかねぇ!」
「彼の介護のために家に来てくれたわけじゃなかったんだね」
「そうですとも! 坊ちゃんがこんな小さなころから存じあげてるんですよ」
両手で赤ん坊を抱えるようにしてみせ、朗らかに笑っている彼女の輪郭がぼやけてみえる……。
僕はこの不明瞭な視界を振り払おうと軽く頭を振り、彼女にお礼を言って、早々に台所を後にした。
この窓辺から、見るでもなく作業小屋を見おろしていた。ドアが開いているのだ。彼は今日もあそこへいるのだろうか。彼女の人形を壊して作り直しているのかもしれない。そうなると、迂闊にあそこへ行くわけにもいかないだろう。彼は作業を邪魔されることを極端に嫌う。それだけは、スミス夫人にきつく注意されているのだ。僕が彼を下手に刺激して、後のとばっちりを引き受けさせられるのは彼女なのだから――。
とはいえショーンの手前、僕だけが遊んでいるというわけにもいかない。彼の妻の面談ということで、彼と話す機会を持てないかスミス夫人から訊いてもらえないか頼んでみるか。
「コウ」
さらさらの黒髪をくしゃりと撫でた。
「行ってくるね。なにかきみに繋がる手がかりを得られるように、祈っていて」
――もちろん! 僕はいつだってきみと一緒にいるよ、アル。
アル――、と、そんなコウの声が、僕のなかで木霊する。
一階への階段を下りているところで、ちょうどスミス夫人に出くわした。彼女は大きなトレーを抱えている。彼の朝食の器を下げてきたところらしい。
「彼は朝食も向こうなの?」
「そうなんですよ。昨夜遅くに戻ってらして、また日の昇るころには向かわれて。だからしばらくは――、」と夫人は言葉を切って、顔をしかめてみせる。
「彼から面談を頼まれているんだけど、僕は、どうするべきなのかな?」
「ああ! 旦那さまもおっしゃってました。お昼をご一緒にって。ですから、それ以外の時間は作業場の方には、」
「うん、解ってる。ショーンにも庭にでないように言っておくよ」
「ええ、お願いしますね! ところで坊ちゃん方、ずいぶん早起きされてたみたいですけど、そろそろお腹がお好きなんじゃないですか?」
料理自慢の彼女は、僕にあれこれと食べさせるのが趣味のようなものだ。加えて僕よりもさらによく食べるショーンの食べっぷりに、昨夜はかなりの上機嫌だった。僕も彼女のご機嫌を損ねないように、勧められるままにお茶をもらってショーンに持っていくことにした。
「お持ちしますよ」と言われたのだが、手ぶらで書斎に行くのも勝手が悪い。午前中の忙しい時間帯に手間をかけるのは申し訳ないから、と僕も台所まで行き、彼女の用意を待つことにする。
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柔らかな風合いのパイン材の食器棚から、大小のフライパンの下がる壁、揃いのブリキキャニスターの置かれたシェルフに使い込まれたコンロへと視線を流し、ふと窓枠で目が留まった。
「あれはミルクかな? ビスケットも。ここにも妖精が来るの? それにあれは、」と、僕は頭のなかで記憶を探る。少し離れた箇所にもう一つグラスが置かれていたのだ。なんだか見覚えのある澄んだ赤い液体が入っている。「ラズベリー酒?」と、根拠もなく浮かんできた名前を呟く。
「そうなんですよ、坊ちゃん! 旦那さまがね、かかさず置いて下さってるんです。本当にお優しい旦那さま!」
「ラズベリー酒が好きなの?」
彼が甘い果実酒が好きだなんて初耳だ。訝しむ僕に、スミス夫人は全身で喜びを表現しているような大袈裟な手振りで、「それはもう! 皆、大好きですとも!」と大声で応えた。
皆――、て誰のことなんだろう? 夫人とご主人?
なんだか、こんな会話を最近したような――。
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「まぁ、坊ちゃん! ありがとうございます!」
スミス夫人は大柄な身体を揺すってにこにこと嬉しそうだ。そして僕たちのために、ティーセットにスコーンをのせた皿をつけてくれた。それからココットに入ったたっぷりのクロテッドクリームに、ジャム、白薔薇の――。
「スミス夫人は、いつからここで働いてくれてるんだっけ?」
「そうですねぇ、もう、かれこれ30年以上になりますかねぇ!」
「彼の介護のために家に来てくれたわけじゃなかったんだね」
「そうですとも! 坊ちゃんがこんな小さなころから存じあげてるんですよ」
両手で赤ん坊を抱えるようにしてみせ、朗らかに笑っている彼女の輪郭がぼやけてみえる……。
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