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第四章
取り替え子 7.
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彼ではない。とすると、ショーンは誰のことを指しているのだろう。
「前にも言ったけれど、ここに住んでいるのは、スミスさんと夫人だけだよ。彼らを想定してるの? それとも部外者? 敷地内といっても塀の外だから、この館の人間でなくても不思議ではないよね」
だが何のために? 魔術的な何かを施したがる人間なんて、この現代でそうそういるものではない、と僕は思うのだが、眼前にも一人いる以上、僕の認識がズレている可能性もなくはない。
そんな僕の視線に応えるように、ショーンはひょいと肩をすくめる。
「なんだか奇妙なんだよ、この家」
「どんなところが?」
「俺はコウみたいに感じる方じゃないからさ、上手く言えないんだけどな」
コウみたいに? 確かにコウは感受性が豊かだが、何を比べて感じるの、感じないの、と言っているのかが判らない。こういう論理をすっ飛ばした主観的な物言いをするときの彼は――。どうも、僕には言い辛いことを告げようとしている、ということだ。その証拠にショーンは、いつも以上に落着きのない様子で言い淀んでいる。
「コウは、何を感じているようにみえるのかな?」と、彼が話しやすくなるように、僕は語調を抑え、努めてゆっくりと発言した。
「あいつはさ、見えてるだろ? いろんなものがさ」
「僕にはよく判らないな、ショーン。コウには何が見えているの?」
「つまり、妖精とか精霊とか、幽霊とか、そういった霊的なものひっくるめてのいろいろだよ!」
僕がそのことを知っているのがさも当然のように、ショーンは呆れたとばかりに声を荒げる。僕はそんな彼を至って真面目な顔で見つめ返すしかない。
当然だろ。コウはまるで見えているように話す、豊かな想像力の持ち主だと言っていたのは、ショーン、きみじゃないか! それがいつから「彼は見えている」に変わったんだ?
「本人は隠したがっているみたいだから面と向かってこんな話をしたことはないんだけどさ。同じコースの奴ら、皆、言ってたんだよ。コウは本物だって!」
「本物――?」
「本物の魔術師だってことさ。知識だけじゃない。彼は精霊を使役できるんだって、そんな噂で持ちきりだったんだ」
「そんな話、初めて聞いたよ」
「そりゃ、きみや本人にこんなこと言える奴いないって。だから俺に言ってくるんだ。本当は皆、コウに興味津々だったのにさ、きみのステディだから遠慮して声もかけられなかったんだ。それに、彼の方も皆に馴染もうとしなかったしな。あいつ、同じ世界に生きてる人間って感じがしないって、皆言ってたんだ。そこが神秘的でいいんだけどさ、怖がってる奴もいたんだ」
――きみは何者?
そう、コウに尋ねたことがある。
――ただの臆病な人間だよ。きみに恋している、ね。
僕はただ「きみに恋してる」というコウの言葉が嬉しくて、このときの会話を深く考えることはなかった。けれど――。
気持ち悪い。
ショーンの話からまっさきに浮かんだのは、コウの恐れていたこの言葉だった。コウのなかに内在する怖れは、彼らの放つそんな視線のことだったのではないか。
ショーン自身に悪気はないのだろう。彼の視線のほとんどは、憧れと羨望に占められている。けれどそこにわずかにある、自分との「決定的な違い」への違和感。それが何かすら特定できない何かへの恐れ――。それを常にコウは感じ、意識し、抱えて生きてきたのではないだろうか。
「それは彼が東洋人だから、てことなのかな? まさか彼がそんな幼稚な連中のクラスにいたとはね。僕には受容できない感覚だな。コウは僕たちと同じ世界に生きている人間だ。同じ英国人同士でも僕ときみが違うように、コウときみも違う。違いなんてそれだけのことに過ぎない。同じ世界で生きていない、なんて僕にはとても思えないな」
ショーンははっとして顔色を変えた。
僕にしたって彼の言いたいことが人種差別などではないことは、重々承知している。だがこの感覚がコウに及ぼす影響は、これくらいの言い方をしなければ彼には伝わらないように思えたのだ。
「俺は、――コウを侮辱したり、差別するつもりで言ったんじゃないんだ」
「解ってるよ」
でも、コウはそれをずっと憂いていたんだ。自分の何が彼らを「気持ち悪がらせる」か判らないまま――。いや、解っていたのかもしれない。自分が彼らにそう思わせてしまう人間だということを理解していたんだ。魔術的世界に惹かれる自分を手放せない以上、阻害され恐れられる自分にならざるを得ないということを――。
「それに、いくらコウの雰囲気が独特だからといって、妖精が見えるは飛躍しすぎなんじゃないのかな?」
「でも、きみは不思議に思わないのかい?」
「コウの人並み外れた可愛さのこと?」
「そうじゃなくて! 視線だよ!」
「視線?」
「コウの視線、しょっちゅう何かを追ってるだろ? それに表情。誰かの声が聞こえてるみたいに、いきなり頷いたり」
これには僕の方が驚いた。コウのそんな特性が魔術的に意味づけられるなんて、僕の想像力を超えている。
こういう心が迷信を孕み、違いを許せない疑心暗鬼は、魔女狩りにまで発展していったのだろうか――。
「コウはたんに、想像力が豊かなんだよ。僕は彼のそんな眼差しや表情を見て、彼の思考が活発に動いているのだと楽しんでいたよ」
「え――」
「ごく普通だよ。眠っているときによく笑うのも、独り言を言うのも。度を越しているなら、孤独が過ぎる可能性や、何らかの病的症状の場合も考えなきゃならないけれど、コウは当てはまらないよ」
今度はショーンが呆気に取られたような間抜け面を僕に晒している。なんだか話が大幅にズレてしまった。コウの環境が垣間見れ、理解が深まったのはいいにしても――。
僕はこの想定外の腹立ちから、ショーンの違和感を追及することをすっかり忘れてしまっていたのだ。
「前にも言ったけれど、ここに住んでいるのは、スミスさんと夫人だけだよ。彼らを想定してるの? それとも部外者? 敷地内といっても塀の外だから、この館の人間でなくても不思議ではないよね」
だが何のために? 魔術的な何かを施したがる人間なんて、この現代でそうそういるものではない、と僕は思うのだが、眼前にも一人いる以上、僕の認識がズレている可能性もなくはない。
そんな僕の視線に応えるように、ショーンはひょいと肩をすくめる。
「なんだか奇妙なんだよ、この家」
「どんなところが?」
「俺はコウみたいに感じる方じゃないからさ、上手く言えないんだけどな」
コウみたいに? 確かにコウは感受性が豊かだが、何を比べて感じるの、感じないの、と言っているのかが判らない。こういう論理をすっ飛ばした主観的な物言いをするときの彼は――。どうも、僕には言い辛いことを告げようとしている、ということだ。その証拠にショーンは、いつも以上に落着きのない様子で言い淀んでいる。
「コウは、何を感じているようにみえるのかな?」と、彼が話しやすくなるように、僕は語調を抑え、努めてゆっくりと発言した。
「あいつはさ、見えてるだろ? いろんなものがさ」
「僕にはよく判らないな、ショーン。コウには何が見えているの?」
「つまり、妖精とか精霊とか、幽霊とか、そういった霊的なものひっくるめてのいろいろだよ!」
僕がそのことを知っているのがさも当然のように、ショーンは呆れたとばかりに声を荒げる。僕はそんな彼を至って真面目な顔で見つめ返すしかない。
当然だろ。コウはまるで見えているように話す、豊かな想像力の持ち主だと言っていたのは、ショーン、きみじゃないか! それがいつから「彼は見えている」に変わったんだ?
「本人は隠したがっているみたいだから面と向かってこんな話をしたことはないんだけどさ。同じコースの奴ら、皆、言ってたんだよ。コウは本物だって!」
「本物――?」
「本物の魔術師だってことさ。知識だけじゃない。彼は精霊を使役できるんだって、そんな噂で持ちきりだったんだ」
「そんな話、初めて聞いたよ」
「そりゃ、きみや本人にこんなこと言える奴いないって。だから俺に言ってくるんだ。本当は皆、コウに興味津々だったのにさ、きみのステディだから遠慮して声もかけられなかったんだ。それに、彼の方も皆に馴染もうとしなかったしな。あいつ、同じ世界に生きてる人間って感じがしないって、皆言ってたんだ。そこが神秘的でいいんだけどさ、怖がってる奴もいたんだ」
――きみは何者?
そう、コウに尋ねたことがある。
――ただの臆病な人間だよ。きみに恋している、ね。
僕はただ「きみに恋してる」というコウの言葉が嬉しくて、このときの会話を深く考えることはなかった。けれど――。
気持ち悪い。
ショーンの話からまっさきに浮かんだのは、コウの恐れていたこの言葉だった。コウのなかに内在する怖れは、彼らの放つそんな視線のことだったのではないか。
ショーン自身に悪気はないのだろう。彼の視線のほとんどは、憧れと羨望に占められている。けれどそこにわずかにある、自分との「決定的な違い」への違和感。それが何かすら特定できない何かへの恐れ――。それを常にコウは感じ、意識し、抱えて生きてきたのではないだろうか。
「それは彼が東洋人だから、てことなのかな? まさか彼がそんな幼稚な連中のクラスにいたとはね。僕には受容できない感覚だな。コウは僕たちと同じ世界に生きている人間だ。同じ英国人同士でも僕ときみが違うように、コウときみも違う。違いなんてそれだけのことに過ぎない。同じ世界で生きていない、なんて僕にはとても思えないな」
ショーンははっとして顔色を変えた。
僕にしたって彼の言いたいことが人種差別などではないことは、重々承知している。だがこの感覚がコウに及ぼす影響は、これくらいの言い方をしなければ彼には伝わらないように思えたのだ。
「俺は、――コウを侮辱したり、差別するつもりで言ったんじゃないんだ」
「解ってるよ」
でも、コウはそれをずっと憂いていたんだ。自分の何が彼らを「気持ち悪がらせる」か判らないまま――。いや、解っていたのかもしれない。自分が彼らにそう思わせてしまう人間だということを理解していたんだ。魔術的世界に惹かれる自分を手放せない以上、阻害され恐れられる自分にならざるを得ないということを――。
「それに、いくらコウの雰囲気が独特だからといって、妖精が見えるは飛躍しすぎなんじゃないのかな?」
「でも、きみは不思議に思わないのかい?」
「コウの人並み外れた可愛さのこと?」
「そうじゃなくて! 視線だよ!」
「視線?」
「コウの視線、しょっちゅう何かを追ってるだろ? それに表情。誰かの声が聞こえてるみたいに、いきなり頷いたり」
これには僕の方が驚いた。コウのそんな特性が魔術的に意味づけられるなんて、僕の想像力を超えている。
こういう心が迷信を孕み、違いを許せない疑心暗鬼は、魔女狩りにまで発展していったのだろうか――。
「コウはたんに、想像力が豊かなんだよ。僕は彼のそんな眼差しや表情を見て、彼の思考が活発に動いているのだと楽しんでいたよ」
「え――」
「ごく普通だよ。眠っているときによく笑うのも、独り言を言うのも。度を越しているなら、孤独が過ぎる可能性や、何らかの病的症状の場合も考えなきゃならないけれど、コウは当てはまらないよ」
今度はショーンが呆気に取られたような間抜け面を僕に晒している。なんだか話が大幅にズレてしまった。コウの環境が垣間見れ、理解が深まったのはいいにしても――。
僕はこの想定外の腹立ちから、ショーンの違和感を追及することをすっかり忘れてしまっていたのだ。
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