夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

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第四章

彼岸 

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 眠りというものは秘密そのものだ。人は眠ることで、自分とは相容れない何かを処理する。それは本人にも正体の知れない漠然とした恐怖だったり、認めたくない憎しみのような自分自身の攻撃性だったり。良い人間でいるということは、そんな何かを眠りの果てしない奥行に引き渡し、そっと隠し棄てるということだ。


 コウはよくショーンのことを、「いいやつ」だと言い現わしていた。まったく同意する。

 この朝食の席で、彼は昨夜僕たちの間にピシリと入った亀裂などすっかり忘れたように、実に楽しげに興奮して喋っている。カトラリーを両手に握りしめたまま、トーストやソーセージを切り分けることさえ忘れている。
 ショーンは、僕がどんな口を挟む間もないほど饒舌だ。けれどその防衛の裏側では、親の顔色を窺う幼い子どものように、僕の拒絶を怖れているのだ。僕は充分にこんな彼を理解している。特に驚くこともない。彼はその実待っているのだということも解っている。僕の受容、僕の赦しを――。

 こんな彼を、コウは諍いがあっても蟠りを持たずに接してくれる、できたヤツ、と言っていた。僕の抱える不安には敏感なコウなのに、その鋭敏さが他者に向けられることはない。彼のアンテナは、常に僕だけに向けられていた。



 ショーンの要求ニードを満たすために、集中して耳を傾ける。自らの浅はかさに傷ついた彼が自分自身を立て直すために、これから必要なものを処方してあげる。僕たちにとって、大切なことだものね。

 まずは、彼のお喋りの間合いを掴んで適切な質問。

「つまり、昨夜のあの場所がかなめってことでいいんだね」
「そう、そうなんだよ、アル。仕掛ける場所はどこでもいいってわけじゃないんだ。場所と時間、それに時節も条件のうちに入ると思う。それから――、」

 彼はさらに熱を入れて喋り続ける。

「ありがとう。参考になるよ。きみの誠意に、僕は本当に助けられてる」 

 承認。

「きみの膨大な知識と探究心は、僕にはとても追いつけないものだもの。こうしてコウのために力を貸してもらえて、本当に嬉しいよ。人と触れ合うことの苦手な彼が、きみだけはすんなり受け容れられたのも解るよ。そのことで僕はきみに嫉妬していたくらいだもの」

 評価。

「アル……。コウは俺にとっても大切な友人なんだ。当然のことだよ」
「協力して、必ずコウの心を取り戻そうね。彼が目覚めてからも、いい友人でいてやってくれ。こんな――、そうそう起こり得ない事件に巻きこまれたからって、コウの責任じゃないんだ」
「解ってるよ、アル。ヤツはコウをきみに渡したくないだけだよ。コウの気持ちなんて全然考えてないんだ。俺だって、そんなあいつを認めることはできないよ」

 その通り。きみは今まで通り、僕とコウのために力を貸してくれればいいんだ。僕が何をいったところで、きみにとってのコウは異物だ。どれほど憧れたところで、きみが僕に成り代わることはない。けれど、そんなきみでも、その恐れをオブラートに包んだまま、コウを大切にすることはできるだろう。それでいい。それがきみの器なのだから。コウのような膨大な容量キャパシティを、僕は君に期待したりはしないさ。


「ありがとう」と、微笑して頷く僕を見遣り、ショーンは安心を得て口を噤んだ。
 そして今は食べる方に専念している。僕はようやく静けさを手にいれ、サンルームの外に視線を流す。陽射しが目に痛いほど眩しい。今朝は風がないようで、白薔薇アイスバーグはたおやかに佇むだけ。

「コウが――」
「なんだって?」
「夢の話をしてくれたことがあるんだ」

 陽に輝く氷山のような白薔薇をぼやりと見据えて、思いだすまま喋っていた。

「彼を連れてここに来て、ロンドンに戻った日だったかな。コウは疲れて自分の部屋に戻って寝ていたんだ。故郷の夢を見ていたって。田舎に続くトンネルをぬけると、いきなりこの館の上空に出たそうだよ。そして空からこの庭に降りたって、白薔薇アイスバーグを一輪摘んで大切に抱いて持ち帰ったって。そして目覚めたら、僕のベッドで僕を抱きしめていたってわけさ」

 目覚めたら――。
 コウにとっての僕は、この白い薔薇だったのかな。

 あまりにも現実にそぐわない解釈に苦笑が漏れる。

「ごちそうさま」
「あ、食べ終わった? もういいの?」

 彼の皿はまだ食べかけのままだ。

「いや、食べるよ」と、ショーンは咀嚼しながら笑っている。

白薔薇アイスバーグか――。花のジャムって意外に旨いよな。ちょと変わった味だけど、香りが良くて上品で飽きないよ。コウが食わしてくれたのと同じだよな。忘れられない味に再会できて嬉しかったよ!」



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