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第四章
彼岸 5
書斎のドアをノックして開けると、ショーンがビックリ箱の人形のようにソファーから飛びあがった。
「アル、大丈夫なのか! 倒れたんだって?」
「ああ、うん、大したことないよ。疲労だと思う。あまり眠れていなかったからかな」
額に落ちていた髪を、ぎこちなくかきあげた。ショーンは矢継ぎ早に体調を気遣う言葉を並べてくれているのだが、あまり耳には入らなかった。少し、恥ずかしかったのだと思う。
ここへ来る前にコウの部屋へ寄ったのだ。僕がつけた傷痕が、コウの肌から消えているか確かめたくて――。
思った通り、痣はかなり薄くなっていた。だが、赤い火焔はますます鮮やかに燃え盛り、コウの肌を縛っていた。影のように浮きでていた薄緑の線は今では若芽が伸びるようで、くっきりと火焔と絡み合っている。
赤毛は、どこまでコウを呪縛すれば気がすむのだろう――。
二重、三重にコウを絡めとられている気がして堪らなかった。僕のつけた罪の痕跡は消えても、奴はこうもはっきりとコウのうえに自らの優位を示して見せるのだ。どうしようもなく無力感に打ちひしがれていた。
そして、エリックの姿が大気に溶けてかき消えていったように、コウのなかの僕も消えてしまっているのではないかと、怖くて――。つい、コウの鎖骨のうえに、僕の印を残してしまった。
ショーンの顔を見たとたんに、そんなことをしてしまう自分の幼稚さが恥ずかしくなった。
「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないのか? 無理するなよ、アル。寝てた方がいいんじゃないのか?」
「平気だよ。寝てなんていられない。それより――」
スミス夫人との会話を彼に話した。予想した通り、彼女は赤毛の雇っている料理人の身内だったこと。彼女自身、かなり魔術的世界に傾倒しているようだということ。
台所に置かれていた妖精への貢ぎ物に、やはりショーンも気づいていたのだ。それだけではなく、そんな妖精のための小さな仕掛けが、この館はいろんな箇所で見受けられるのだという。
朝食時に、「妖精の環」の証拠を掴むところまでいければいい、と話していたのだ。まずは何のためにあんなものを作ったのか。そして目的に沿って利用するための儀式や呪文も当然あるはずだから、それを聴きだせるものなら――、と。
それなのに、あろうことか僕はそのことをすっかり忘れて、まったく関係のないことを口走って彼女を警戒させてしまったあげく、交渉するだけの集中力すら欠いて昏倒してしまったなんて。情けなさすぎるだろ。
彼にその旨を告白しながら、ああ、だから僕はコウに甘えに行ったのか、とようやく気づいた。赤毛と繋がる何かに触れる度に、それは僕のなかに怒りを生むのだ。そして制御できないほどの欲望と結びついて無意識にコウに向かって放たれる。コウに受け止めてほしいと僕を駆りたてる。
これは依存だ。コウは僕の獣に喰われるための餌じゃない。解っているのに、眠っている彼でもかまわない、とそんな自分が溢れそうだった。またコウを傷つけてしまいそうだった。
きみは、僕のものなのだから――、と。
抜けられない、この呪縛から。がんじがらめなのは僕の方だ。
「アル、大丈夫か?」
自分自身に集中しすぎて埋没してしまっていた僕に、気遣うショーンの眼差しが注がれている。
「ああ、ごめん。ぼやっとしてしまっていた。早くこの状態から抜け出さないとね。コウが可哀想すぎる」
僕は、僕自身を憐れんでいるだけなのに。問題の所在をコウにすり替える。きみのために頑張っているんだ、と自分自身に言い聞かす。きみのいない僕、という自分に耐えられないだけなのに――。
何度も、何度も気づかされるんだ。きみを喰い尽くした僕に――。
本当に、きみは、いるのだろうか?
僕にとっての、唯一の実在。僕を埋めるきみ。きみの不在に圧し潰される。
「アル、しっかりしろよ。コウにかけられた魔法を解けるのは、きっと、きみしかいないんだからさ」
気休めにもならない。どうしてそう思うの? と、小首を傾げた。
「御伽噺ってのは、ハッピーエンドって決まってるんだよ。他人の恋路を邪魔する悪い魔法使いはやっつけられるのさ!」
嘘つきのショーン。御伽噺は残酷だ。きみはその背景を知っているのに――。コウのように。彼のように僕を励ますために、美しい嘘を創りあげる。まるでアーノルドの世界だ。
二人は、いつまでも幸せにくらしました。めでたし。めでたし。
終わりのない永遠は、変わることのない沈黙のことだ。そんなもの、死しかないだろうに――。
「死ねば、コウに逢えるのかな――」
永遠のある場所にコウがいるのなら。
「馬鹿を言うなよ。コウの身体はこっち側にあるんだぞ。それを置き去りにして行くのかよ」
ショーンの声のトーンが下がっていた。怒りを含んだ厳しい眼差しが僕を睨めつけている。
「誤解だよ。僕が死にたい、って話じゃない。虹のたもとって場所のことさ、死んだペットが飼い主を待つ楽園の意味もあった、ってことを思いだしていたんだ。つまり、冥界の入り口なわけだよね。アビーの魂もそこにいる、っていうのはまだ納得できるけれど、どうしてコウの暗示に使われたのが同じ魔法陣なんだろうね? 虹のたもとには、もっと別の意味もあるのかな、って――」
微笑して返したのだけど、彼の表情は変わらなかった。そしてそのまま視線を逸らして考えこんでしまった。
どうも最近いけない。話が脱線してばかりだ。疲れているのだろうか。そうだ。僕は疲れているんだ。
コウの不在に打ちのめされて――。
「アル、大丈夫なのか! 倒れたんだって?」
「ああ、うん、大したことないよ。疲労だと思う。あまり眠れていなかったからかな」
額に落ちていた髪を、ぎこちなくかきあげた。ショーンは矢継ぎ早に体調を気遣う言葉を並べてくれているのだが、あまり耳には入らなかった。少し、恥ずかしかったのだと思う。
ここへ来る前にコウの部屋へ寄ったのだ。僕がつけた傷痕が、コウの肌から消えているか確かめたくて――。
思った通り、痣はかなり薄くなっていた。だが、赤い火焔はますます鮮やかに燃え盛り、コウの肌を縛っていた。影のように浮きでていた薄緑の線は今では若芽が伸びるようで、くっきりと火焔と絡み合っている。
赤毛は、どこまでコウを呪縛すれば気がすむのだろう――。
二重、三重にコウを絡めとられている気がして堪らなかった。僕のつけた罪の痕跡は消えても、奴はこうもはっきりとコウのうえに自らの優位を示して見せるのだ。どうしようもなく無力感に打ちひしがれていた。
そして、エリックの姿が大気に溶けてかき消えていったように、コウのなかの僕も消えてしまっているのではないかと、怖くて――。つい、コウの鎖骨のうえに、僕の印を残してしまった。
ショーンの顔を見たとたんに、そんなことをしてしまう自分の幼稚さが恥ずかしくなった。
「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないのか? 無理するなよ、アル。寝てた方がいいんじゃないのか?」
「平気だよ。寝てなんていられない。それより――」
スミス夫人との会話を彼に話した。予想した通り、彼女は赤毛の雇っている料理人の身内だったこと。彼女自身、かなり魔術的世界に傾倒しているようだということ。
台所に置かれていた妖精への貢ぎ物に、やはりショーンも気づいていたのだ。それだけではなく、そんな妖精のための小さな仕掛けが、この館はいろんな箇所で見受けられるのだという。
朝食時に、「妖精の環」の証拠を掴むところまでいければいい、と話していたのだ。まずは何のためにあんなものを作ったのか。そして目的に沿って利用するための儀式や呪文も当然あるはずだから、それを聴きだせるものなら――、と。
それなのに、あろうことか僕はそのことをすっかり忘れて、まったく関係のないことを口走って彼女を警戒させてしまったあげく、交渉するだけの集中力すら欠いて昏倒してしまったなんて。情けなさすぎるだろ。
彼にその旨を告白しながら、ああ、だから僕はコウに甘えに行ったのか、とようやく気づいた。赤毛と繋がる何かに触れる度に、それは僕のなかに怒りを生むのだ。そして制御できないほどの欲望と結びついて無意識にコウに向かって放たれる。コウに受け止めてほしいと僕を駆りたてる。
これは依存だ。コウは僕の獣に喰われるための餌じゃない。解っているのに、眠っている彼でもかまわない、とそんな自分が溢れそうだった。またコウを傷つけてしまいそうだった。
きみは、僕のものなのだから――、と。
抜けられない、この呪縛から。がんじがらめなのは僕の方だ。
「アル、大丈夫か?」
自分自身に集中しすぎて埋没してしまっていた僕に、気遣うショーンの眼差しが注がれている。
「ああ、ごめん。ぼやっとしてしまっていた。早くこの状態から抜け出さないとね。コウが可哀想すぎる」
僕は、僕自身を憐れんでいるだけなのに。問題の所在をコウにすり替える。きみのために頑張っているんだ、と自分自身に言い聞かす。きみのいない僕、という自分に耐えられないだけなのに――。
何度も、何度も気づかされるんだ。きみを喰い尽くした僕に――。
本当に、きみは、いるのだろうか?
僕にとっての、唯一の実在。僕を埋めるきみ。きみの不在に圧し潰される。
「アル、しっかりしろよ。コウにかけられた魔法を解けるのは、きっと、きみしかいないんだからさ」
気休めにもならない。どうしてそう思うの? と、小首を傾げた。
「御伽噺ってのは、ハッピーエンドって決まってるんだよ。他人の恋路を邪魔する悪い魔法使いはやっつけられるのさ!」
嘘つきのショーン。御伽噺は残酷だ。きみはその背景を知っているのに――。コウのように。彼のように僕を励ますために、美しい嘘を創りあげる。まるでアーノルドの世界だ。
二人は、いつまでも幸せにくらしました。めでたし。めでたし。
終わりのない永遠は、変わることのない沈黙のことだ。そんなもの、死しかないだろうに――。
「死ねば、コウに逢えるのかな――」
永遠のある場所にコウがいるのなら。
「馬鹿を言うなよ。コウの身体はこっち側にあるんだぞ。それを置き去りにして行くのかよ」
ショーンの声のトーンが下がっていた。怒りを含んだ厳しい眼差しが僕を睨めつけている。
「誤解だよ。僕が死にたい、って話じゃない。虹のたもとって場所のことさ、死んだペットが飼い主を待つ楽園の意味もあった、ってことを思いだしていたんだ。つまり、冥界の入り口なわけだよね。アビーの魂もそこにいる、っていうのはまだ納得できるけれど、どうしてコウの暗示に使われたのが同じ魔法陣なんだろうね? 虹のたもとには、もっと別の意味もあるのかな、って――」
微笑して返したのだけど、彼の表情は変わらなかった。そしてそのまま視線を逸らして考えこんでしまった。
どうも最近いけない。話が脱線してばかりだ。疲れているのだろうか。そうだ。僕は疲れているんだ。
コウの不在に打ちのめされて――。
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