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第四章
儀式 2
霧のなか、コウを追いかけていた。
あと少しでコウと重なると思ったとき、彼は一本の樹になった。
遠くで誰かが子守歌を歌っている。
柔らかな囁くような声。懐かしいその声に、振り子時計の音が重なる。
振り子の振動が梢を揺らす。
さわさわ、さわさわ。
ほら、あの樹のてっぺんに僕がいる。不安定な梢の揺りかごに。
吹きつける風が梢を揺らす。
ざわざわ、ざわざわ、不穏に揺らす。
僕は恐怖で身をすくませて。早くこの枝から逃れたくてたまらない。
風が梢をへし折って、
僕は地面に真っ逆さま。
枝と一緒に叩きつけられ。叩きつけられ――。
飛び散る鮮血。艶やかに光る黒い棺。喪服の弔問客。泣き叫ぶ赤ん坊。白薔薇に囲まれ横たわる、動くことのない彼女――。彼は、両手で顔を覆って泣いている。
ああ、あのとき僕が失ったのは、僕を支える枝だったのだ。折れて落下した梢は二度と樹に返ることはない。彼は僕を棄て、同時に支える腕を自ら棄てた。
風はわざと梢を揺さぶる。赤ん坊を落とすための理由を与える。
吹きつける風。怯える僕。
落下――。
振り子時計が時を刻む。彼女の命を刻んで通り過ぎていく。
静寂が梢を揺すり、樹は子守歌を歌う。
「おやすみなさい、わたしの赤ちゃん、木のうえの赤ちゃん――」
月満ちて、僕を地上に落とすまで、貴女はこの歌を歌っていた。
アビー。
コウ。
アビー。
――コウ。
コウ――。
僕はこの枝を探していた。ずっと探していた。もう二度と、僕を落とすことのない枝を――。
コウが歌っている。囁くように歌っている。僕を抱いて。僕を育んでくれている。しっとりとした苔に覆われた柔らかな大地をくるりと捲り、僕を包んでくれている。僕はこの大地から生まれる朝陽になって、きみの腕から滑りでる。白く輝き、揺蕩う霧を薙ぎ払う。
広がる草原。霞む山々。そよ吹く風。虹――。
コウが、僕を呼んでいる。僕を待っていてくれている。
きみを、見つけた。
抜けるような蒼天。
「良かったな、曇らなくて。この空模様なら予定通り決行できるぞ」
カチャカチャと耳障りな音を立てて、ショーンがトーストを咀嚼しながら喋っている。昨夜はよく眠れたのだろう。すっきりとした顔をしている。僕は「ん」と微笑して応える。
「それで、きみのシナリオは完成したの? あと、僕にできることは?」
「んー、そうだな。まだ俺的には消化しきれていない面があるんだよ。だからもう少し検討したい。つまり、検討する時間がほしい」
「今日の予定を伸ばすの?」
「いや、それはない」
「了解。邪魔するなってことだね」
判ってはいたが、念を押して言葉にした。ショーンは苦笑って頷く。
「ここまできて今更って気もするんだがな。きみがアレを見つけてくれてホントに助かったよ。かなりな、違ってたんだよ、様式がさ――」
「そうなの?」
「コウから話を聴いたときはさ、これは絶対クローリーの儀式魔術の実践だって思ったんだ。だけど実際に見せてもらった魔法陣は形が違った。どう考えても『喚起』じゃなくて『召喚』だ。あのノートで確信が持てたよ。それも『憑依召喚』だったなんてな。こんな難解な儀式をコウが執り行ってたなんてさ」
「でも、失敗だったんだろ」
また専門用語の羅列だ。普段の彼なら簡単な説明を加えながら話してくれるのに、今の彼にはその余裕はないらしい。頭の中にあるものを一旦吐きだして混乱をまとめたい。それだけのために喋っているようだ。
僕にできること。それは思考の整理に繋がるように相槌を打つことくらいだろう。だから詳しく解説を求めて彼の思索を途切らせるような真似は敢えてしない。
「儀式をなぞるだけでも大変だったろうな、ってあのノートを読んで実感したよ。それをこれから俺が実践するんだって思うとさ、なんだか、震えがくるっていうかさ。正直、怖いよ」
怖い――。
「それは、コウの意識に働きかける効果はないかもしれないって意味なのかな?」
「成功するか、失敗するかってことじゃなくてさ――。この儀式の形式だよ。この『憑依召喚』って術はな、本来なら、自分が器になって神を呼び入れる、自分の身体に神を憑依させる『杯の技』っていわれるものなんだ。クローリーの儀式魔術では、普通、四大精霊にはこの『憑依召喚』の形式は使われない。精霊は人間よりも下の階層に属していて、人間が使役できるものだけど、同時にとても危険なんだ」
「危険って、どんなふうに?」
これはコウの行った儀式でもあるのだ。そして僕の知る彼の精神的外傷のひとつ。もっと深く理解できれば、コウに巣くう不安を取り除くことができるかもしれない。
僕は食い入るようにショーンを見つめていた。彼は落ち着きなく眼球を動かしながら、頭のなかで言葉を探っている。
「四大精霊ってのは、要するにさ、火、水、空気、土の四大元素のことなんだ。その精霊を自身に憑依させるって、水や空気、それに鉱物はともかくとしてさ、現象としての火を身体に呑みこむってことだよ。それを内観するってさ、ちょっと俺には想像できないよ」
彼は僕から顔を逸らし、サンルームの窓から遠く視線を投げやった。これから自分が取り仕切る儀式への不安なのか、それとも、その儀式をしくじったコウを想ってのものなのか――。
彼の眼差しには、霧のような不確かな戸惑いが滲みでていた。
*****
出典:マザーグース(Nursery Rhymes)から「Hush-a-by baby」
Hush-a-bye, baby, on the tree top,
When the wind blows the cradle will rock;
When the bough breaks the cradle will fall,
Down will come baby, cradle, and all.
***
アレイスター・クロウリー(Aleister Crowley ) :イギリスのオカルティスト、儀式魔術師
あと少しでコウと重なると思ったとき、彼は一本の樹になった。
遠くで誰かが子守歌を歌っている。
柔らかな囁くような声。懐かしいその声に、振り子時計の音が重なる。
振り子の振動が梢を揺らす。
さわさわ、さわさわ。
ほら、あの樹のてっぺんに僕がいる。不安定な梢の揺りかごに。
吹きつける風が梢を揺らす。
ざわざわ、ざわざわ、不穏に揺らす。
僕は恐怖で身をすくませて。早くこの枝から逃れたくてたまらない。
風が梢をへし折って、
僕は地面に真っ逆さま。
枝と一緒に叩きつけられ。叩きつけられ――。
飛び散る鮮血。艶やかに光る黒い棺。喪服の弔問客。泣き叫ぶ赤ん坊。白薔薇に囲まれ横たわる、動くことのない彼女――。彼は、両手で顔を覆って泣いている。
ああ、あのとき僕が失ったのは、僕を支える枝だったのだ。折れて落下した梢は二度と樹に返ることはない。彼は僕を棄て、同時に支える腕を自ら棄てた。
風はわざと梢を揺さぶる。赤ん坊を落とすための理由を与える。
吹きつける風。怯える僕。
落下――。
振り子時計が時を刻む。彼女の命を刻んで通り過ぎていく。
静寂が梢を揺すり、樹は子守歌を歌う。
「おやすみなさい、わたしの赤ちゃん、木のうえの赤ちゃん――」
月満ちて、僕を地上に落とすまで、貴女はこの歌を歌っていた。
アビー。
コウ。
アビー。
――コウ。
コウ――。
僕はこの枝を探していた。ずっと探していた。もう二度と、僕を落とすことのない枝を――。
コウが歌っている。囁くように歌っている。僕を抱いて。僕を育んでくれている。しっとりとした苔に覆われた柔らかな大地をくるりと捲り、僕を包んでくれている。僕はこの大地から生まれる朝陽になって、きみの腕から滑りでる。白く輝き、揺蕩う霧を薙ぎ払う。
広がる草原。霞む山々。そよ吹く風。虹――。
コウが、僕を呼んでいる。僕を待っていてくれている。
きみを、見つけた。
抜けるような蒼天。
「良かったな、曇らなくて。この空模様なら予定通り決行できるぞ」
カチャカチャと耳障りな音を立てて、ショーンがトーストを咀嚼しながら喋っている。昨夜はよく眠れたのだろう。すっきりとした顔をしている。僕は「ん」と微笑して応える。
「それで、きみのシナリオは完成したの? あと、僕にできることは?」
「んー、そうだな。まだ俺的には消化しきれていない面があるんだよ。だからもう少し検討したい。つまり、検討する時間がほしい」
「今日の予定を伸ばすの?」
「いや、それはない」
「了解。邪魔するなってことだね」
判ってはいたが、念を押して言葉にした。ショーンは苦笑って頷く。
「ここまできて今更って気もするんだがな。きみがアレを見つけてくれてホントに助かったよ。かなりな、違ってたんだよ、様式がさ――」
「そうなの?」
「コウから話を聴いたときはさ、これは絶対クローリーの儀式魔術の実践だって思ったんだ。だけど実際に見せてもらった魔法陣は形が違った。どう考えても『喚起』じゃなくて『召喚』だ。あのノートで確信が持てたよ。それも『憑依召喚』だったなんてな。こんな難解な儀式をコウが執り行ってたなんてさ」
「でも、失敗だったんだろ」
また専門用語の羅列だ。普段の彼なら簡単な説明を加えながら話してくれるのに、今の彼にはその余裕はないらしい。頭の中にあるものを一旦吐きだして混乱をまとめたい。それだけのために喋っているようだ。
僕にできること。それは思考の整理に繋がるように相槌を打つことくらいだろう。だから詳しく解説を求めて彼の思索を途切らせるような真似は敢えてしない。
「儀式をなぞるだけでも大変だったろうな、ってあのノートを読んで実感したよ。それをこれから俺が実践するんだって思うとさ、なんだか、震えがくるっていうかさ。正直、怖いよ」
怖い――。
「それは、コウの意識に働きかける効果はないかもしれないって意味なのかな?」
「成功するか、失敗するかってことじゃなくてさ――。この儀式の形式だよ。この『憑依召喚』って術はな、本来なら、自分が器になって神を呼び入れる、自分の身体に神を憑依させる『杯の技』っていわれるものなんだ。クローリーの儀式魔術では、普通、四大精霊にはこの『憑依召喚』の形式は使われない。精霊は人間よりも下の階層に属していて、人間が使役できるものだけど、同時にとても危険なんだ」
「危険って、どんなふうに?」
これはコウの行った儀式でもあるのだ。そして僕の知る彼の精神的外傷のひとつ。もっと深く理解できれば、コウに巣くう不安を取り除くことができるかもしれない。
僕は食い入るようにショーンを見つめていた。彼は落ち着きなく眼球を動かしながら、頭のなかで言葉を探っている。
「四大精霊ってのは、要するにさ、火、水、空気、土の四大元素のことなんだ。その精霊を自身に憑依させるって、水や空気、それに鉱物はともかくとしてさ、現象としての火を身体に呑みこむってことだよ。それを内観するってさ、ちょっと俺には想像できないよ」
彼は僕から顔を逸らし、サンルームの窓から遠く視線を投げやった。これから自分が取り仕切る儀式への不安なのか、それとも、その儀式をしくじったコウを想ってのものなのか――。
彼の眼差しには、霧のような不確かな戸惑いが滲みでていた。
*****
出典:マザーグース(Nursery Rhymes)から「Hush-a-by baby」
Hush-a-bye, baby, on the tree top,
When the wind blows the cradle will rock;
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