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第四章
儀式 3
この期に及んでショーンの露わにした漠然とした戸惑いは、ふわりとした期待に包まれていた僕を、またもやどろりとした不安の沼に叩き落とした。その汚泥に喉を塞がれ急に息が苦しくなる。視界が彩度を落として暗く澱む。
目を瞑って、ゆっくり、ゆっくり呼吸を整える。
今日、僕たちは、コウと赤毛の一度失敗したこの儀式を執り行うのだ。
おそらく赤毛は、再びこの術に挑んだはずなのだ。そしてあのナイツブリッジのアパートメントで異界の扉を開き、コウの心を閉じこめる術にまで発展させたに違いない。
それを逆回転させて、捉えた精霊との契約を反故にする。もともと論理的な根拠など皆無に等しい、ショーンの解釈に依存した行き当たりばったりの計画だ。不安に思うのも当然だろう。けれど僕だって、今のこの状況にいつまでも耐えられるものじゃない。
コウを諦めるか、僕までが彼のようにおかしくなってしまうか、そんなぎりぎりの精神状態だといっていい。
唯一頼っているショーンにこうした不安を見せられて、彼の邪魔をしないように、などと悠長なことは、もう言っていられない。何が彼をそんなに不安にさせるのか。どんな根拠に基づいているのか。それが過剰に危険視してしまっているだけの内容であれば、適正化してやればいいし、逆に彼の対処能力の評価を上げて、不安の度合いを下げてやってもいい。
どの程度の予測に基づいた不安なのか、まずそこからだ。申し訳ないが、介入させてもらうよ。
これから僕たちが行う予定の、「精霊を使役する」儀式の詳細、彼が何に戸惑っているのかを詳しく尋ねた。
ショーンは儀式魔術には精通していると自負している。だから僕は以前にも、コウに関する情報収集も兼ねて、彼が友人と取り組んだという儀式魔術について尋ねたことがある。そのことでは、コウの機嫌を損ねてしまって――。彼は僕に魔術的な世界に触れられるのが嫌なのだということを、きつく認識させられた。
コウにとって触れられたくないもの。そしてそれは取りも直さず、彼の精神的外傷に触れるものなのだ。
ショーンはなんともいえない表情をしている。不安と、自負と、好奇心とが入り混じったような。そして少し苛ついた調子で、納得のいかないという点を語ってくれた。
僕たちは、アーノルドと赤毛は同じ魔法陣を使用している、それはつまるところ同じ魔術を用いている、という大前提の上に立っている。
それが、ハムステッドの家にあるアビーの人形に描かれた異界の扉の魔法陣と、ナイツブリッジの赤毛のアパートメントの天井に描かれていた魔法陣だ。
魔法陣の描かれた人形を壊すことで、異界との扉を開けて施された術を破ることができるだろう、というのはそもそもコウの見解だった。そこからこの方法は、同じ場所にいるはずのコウをも解放することになるのではないか、と発展させたのが僕の仮説だ。だがそのためには、母の形見でもある人形を破壊しなければならない。
そこでショーンが考察したのが、アーノルドの仕切ったもう一つの儀式、精霊召喚の儀式だ。これは、赤毛とコウが執り行ったハムステッドヒースでの物質変容の儀式と同じなのではないか、と僕たちは推察した。コウがそれ以外の儀式を行ったという話を僕もショーンも聴いたことはなかったし、ショーンによれば、手順として精霊召喚は儀式に必須ということからだ。
この辺りから僕にはついていけないショーン独自の理論になるのだが、同じ魔法陣を用いる、ということは、召喚される精霊は同じということになるらしい。アーノルドはアビーの魂を異界に閉じ込めると同時に、その魔術をより強固にするために、四大精霊の人形でもって彼らの力を封印している。
僕たちは新しくアーノルドが作った四大精霊の人形を用いて、また新たに精霊を召喚し、コウの目覚めを願い、儀式の終わりに作法通りに人形を破壊する。儀式を仕切った当事者は違っていても、そこに作用している精霊の力は同じだから、コウにかけられている魔法もそれで解かれることになる。要は、コウの目覚めを願う願わないは大して問題ではなく、その後の破壊に意味がある。目的は四大精霊の封印を解くことなのだ。
今ショーンが抱いている不安は、ここに来て、つまりノートの翻訳を終えてみて判明した事実が、実に様々な矛盾点を含んでいた、ということだった。
確かにコウはあの時、アーノルドの耳許で、「僕も同じ儀式を執り行ったことがあります」と言ったのだ。
だが、ショーンがコウから聴いた儀式の概要は、ノートの記載と異なっていた。コウたちの儀式は、火の精霊の人形しか用いていないのだ。四大精霊ではなく、火の精霊の召喚と使役の術、とショーンは受け取っていた。彼は、この儀式は四大精霊すべてではなく、個々の精霊を呼びだす儀式として考えていたのだ。ところが、ノートでは四大精霊すべてを一堂に会するもの、とあるらしい。
「でも、おかしいのはそこだけじゃないんだ」
とショーンは息をついて、コーヒーを一口こくりと飲んだ。
「こういう儀式ってな、使役する精霊を囲う魔法陣と、魔術師を守る魔法円って別々に描くものなんだよ。でもノートの魔法陣は、その二つが重なっているんだ。超自然の精霊の力を人間の身体で引き受けるなんて、滅茶苦茶だよ。今までみたこともない様式なんだ」
これの危険評価――、なんて、僕に測れるわけがないだろ。想像がつかない。はたして、危険なのかどうかすら……。
さすがに、なんて応えればいいのか判らない。
ショーンは、そんなことを本気で信じているのか? そして、コウも――。
僕には解読し難い世界だから、彼を呼び、彼に頼ったんじゃないか。なんとか僕に理解できる言葉に翻訳できないものか、と考えながら、僕もおもむろに、コーヒーカップに手を伸ばした。
目を瞑って、ゆっくり、ゆっくり呼吸を整える。
今日、僕たちは、コウと赤毛の一度失敗したこの儀式を執り行うのだ。
おそらく赤毛は、再びこの術に挑んだはずなのだ。そしてあのナイツブリッジのアパートメントで異界の扉を開き、コウの心を閉じこめる術にまで発展させたに違いない。
それを逆回転させて、捉えた精霊との契約を反故にする。もともと論理的な根拠など皆無に等しい、ショーンの解釈に依存した行き当たりばったりの計画だ。不安に思うのも当然だろう。けれど僕だって、今のこの状況にいつまでも耐えられるものじゃない。
コウを諦めるか、僕までが彼のようにおかしくなってしまうか、そんなぎりぎりの精神状態だといっていい。
唯一頼っているショーンにこうした不安を見せられて、彼の邪魔をしないように、などと悠長なことは、もう言っていられない。何が彼をそんなに不安にさせるのか。どんな根拠に基づいているのか。それが過剰に危険視してしまっているだけの内容であれば、適正化してやればいいし、逆に彼の対処能力の評価を上げて、不安の度合いを下げてやってもいい。
どの程度の予測に基づいた不安なのか、まずそこからだ。申し訳ないが、介入させてもらうよ。
これから僕たちが行う予定の、「精霊を使役する」儀式の詳細、彼が何に戸惑っているのかを詳しく尋ねた。
ショーンは儀式魔術には精通していると自負している。だから僕は以前にも、コウに関する情報収集も兼ねて、彼が友人と取り組んだという儀式魔術について尋ねたことがある。そのことでは、コウの機嫌を損ねてしまって――。彼は僕に魔術的な世界に触れられるのが嫌なのだということを、きつく認識させられた。
コウにとって触れられたくないもの。そしてそれは取りも直さず、彼の精神的外傷に触れるものなのだ。
ショーンはなんともいえない表情をしている。不安と、自負と、好奇心とが入り混じったような。そして少し苛ついた調子で、納得のいかないという点を語ってくれた。
僕たちは、アーノルドと赤毛は同じ魔法陣を使用している、それはつまるところ同じ魔術を用いている、という大前提の上に立っている。
それが、ハムステッドの家にあるアビーの人形に描かれた異界の扉の魔法陣と、ナイツブリッジの赤毛のアパートメントの天井に描かれていた魔法陣だ。
魔法陣の描かれた人形を壊すことで、異界との扉を開けて施された術を破ることができるだろう、というのはそもそもコウの見解だった。そこからこの方法は、同じ場所にいるはずのコウをも解放することになるのではないか、と発展させたのが僕の仮説だ。だがそのためには、母の形見でもある人形を破壊しなければならない。
そこでショーンが考察したのが、アーノルドの仕切ったもう一つの儀式、精霊召喚の儀式だ。これは、赤毛とコウが執り行ったハムステッドヒースでの物質変容の儀式と同じなのではないか、と僕たちは推察した。コウがそれ以外の儀式を行ったという話を僕もショーンも聴いたことはなかったし、ショーンによれば、手順として精霊召喚は儀式に必須ということからだ。
この辺りから僕にはついていけないショーン独自の理論になるのだが、同じ魔法陣を用いる、ということは、召喚される精霊は同じということになるらしい。アーノルドはアビーの魂を異界に閉じ込めると同時に、その魔術をより強固にするために、四大精霊の人形でもって彼らの力を封印している。
僕たちは新しくアーノルドが作った四大精霊の人形を用いて、また新たに精霊を召喚し、コウの目覚めを願い、儀式の終わりに作法通りに人形を破壊する。儀式を仕切った当事者は違っていても、そこに作用している精霊の力は同じだから、コウにかけられている魔法もそれで解かれることになる。要は、コウの目覚めを願う願わないは大して問題ではなく、その後の破壊に意味がある。目的は四大精霊の封印を解くことなのだ。
今ショーンが抱いている不安は、ここに来て、つまりノートの翻訳を終えてみて判明した事実が、実に様々な矛盾点を含んでいた、ということだった。
確かにコウはあの時、アーノルドの耳許で、「僕も同じ儀式を執り行ったことがあります」と言ったのだ。
だが、ショーンがコウから聴いた儀式の概要は、ノートの記載と異なっていた。コウたちの儀式は、火の精霊の人形しか用いていないのだ。四大精霊ではなく、火の精霊の召喚と使役の術、とショーンは受け取っていた。彼は、この儀式は四大精霊すべてではなく、個々の精霊を呼びだす儀式として考えていたのだ。ところが、ノートでは四大精霊すべてを一堂に会するもの、とあるらしい。
「でも、おかしいのはそこだけじゃないんだ」
とショーンは息をついて、コーヒーを一口こくりと飲んだ。
「こういう儀式ってな、使役する精霊を囲う魔法陣と、魔術師を守る魔法円って別々に描くものなんだよ。でもノートの魔法陣は、その二つが重なっているんだ。超自然の精霊の力を人間の身体で引き受けるなんて、滅茶苦茶だよ。今までみたこともない様式なんだ」
これの危険評価――、なんて、僕に測れるわけがないだろ。想像がつかない。はたして、危険なのかどうかすら……。
さすがに、なんて応えればいいのか判らない。
ショーンは、そんなことを本気で信じているのか? そして、コウも――。
僕には解読し難い世界だから、彼を呼び、彼に頼ったんじゃないか。なんとか僕に理解できる言葉に翻訳できないものか、と考えながら、僕もおもむろに、コーヒーカップに手を伸ばした。
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