178 / 219
第四章
化身 8
抱きしめていたはずのコウがいない。僕の触れる先から空気に溶けて、僕を包んでくれているのだ。僕もこの輪郭を棄てて、コウのなかに混じりたい。一つになりたい。コウと永遠に。
この原初の海に還ること――。
それが究極なのではないかと思うんだ。
僕たちは大地の揺りかごに揺さぶられ、虹色に揺らめく波になって、打ち寄せ、また返しながらながら揺蕩うんだ。繰り返される鼓動と、彼の歌う子守歌を聴きながら。
「コウ――」
「いい加減にしろ!」
悪夢だ――。僕の組み伏せていたコウが奴になった。
「コウはどこ?」
「おまえが溶かしたんだろうが! さっさと、どけ! このナルシストが!」
「なんできみが出てくるんだ? きみはただのエネルギーなんだろ? そのまま燃え尽きてくれればいいのに……」
「死にたいのか! 馬鹿も休み休みに言え!」
「この世界が死だっていうのなら、それもいいかなって思えるけどな。コウとこんなにも一つでいられるのなら――」
「おまえがそうやってこいつを喰うことばかり考えるから、こいつはどんどん希薄になって消えかかってるんだろうが!」
「コウが空気になるなら僕もそうなるよ。僕はコウのなかにいるんだもの」
忌々しい赤毛から身体を離し、黒々とした大地にそのまま腰を据えた。ああ、確かにこの空気はコウだ。僕はこんなにも楽に呼吸ができる。全身でコウを感じることができる。
「おまえはよくても、こいつはそんなこと望んじゃいない」
「きみとの約束があるから?」
改めて、赤毛をまじまじと見つめた。地面の上であぐらをかいている奴は、動作こそ粗暴でふてぶてしいけれど、確かにコウの身体だ。ただ、顔つきと入れ墨だけが違っている。赤毛の火焔には、コウのような緑の蔦の絡まりはない。
「ああ、そうだ。きみに一言言いたかったんだよ。あの入れ墨! コウの説明ではとても納得できなかったよ。コウは消せないって言っていたけど、きみになら消せるんだろ? 消してくれ。あのままじゃコウが可哀想すぎるし、僕も不愉快だ」
「おまえって奴は、どこまでも自分本位なんだな!」
「きみに言われるいわれはないね。きみがのっとっているコウを返してくれさえすれば済む話じゃないか」
赤毛はこれみよがしに、大きく息をつく。息、というよりも小さな焔だ。まるで御伽噺の火を吐く龍か、サーカスの芸人だな――。などと想像している僕の頭のなかには奴は感心がないらしく、こんな挑発には乗ってくることはなく、言いたいことだけをのたまわっている。
「おまえなぁ――。いい加減にこいつにしがみつくのをやめろ。こいつはおまえの栄養じゃないし、酸素ボンベでもないんだぞ。俺とこいつとの仲はな、太古から定められた血の契約に基づいているんだ。おまえがとやかく口出しできることじゃないんだよ。だいたい、おまえこそ地の精霊の末裔のくせに、精霊の力を私事ばかりに使いやがって!」
「話をすり替えるんじゃないよ。事の発端はきみだろう? だが、今はそのことを言っているんじゃない。彼の入れ墨のことを話してるんだ」
「だからそれは、コウが説明しただろうが! おまえはその模様で前以上に地の精霊の霊気を帯びて道を作っちまってるし、おまえが横にいるだけで、こいつはこっちの世界に引きずり込まれちまうんだよ。そのための防衛じゃないか!」
「コウは逆のことを言っていたけどね。僕がいないと眠りに堕ちるって――」
「だからそれは、」と言いかけて赤毛は派手にため息をついた。
「これだから頭の悪い奴は嫌なんだ」
こっちのセリフだ!
納得させるだけの根拠を持ち合わせていないくせに、理解できないのを相手の能力不足のせいにする。きみの知性の方を疑いたいね。などと言い合っていてもしかたがない。
空気が震えている。コウが不安に思っているのだ。
「コウ、戻ってきて」と宙に向かって手を伸ばした。キラリと光った糸を手繰って、金の毬を持つコウの手を掴む。そこからコウが固まっていく。コウが形作られていく。
「良かった」
立ちあがって、コウの肩を抱いた。コウが可視化された分、見おろした赤毛は逆に透き通っている。
「ここがコウの内的世界なら、べつに、きみはコウの形のなかにいなきゃいけないってわけでもないんだろ? コウ、行こうか」
「アル、ちょっと待って」
コウがまた、困ったように瞳で縋る。まだこの赤毛を庇うのか、とうんざりした思いが湧きあがる。
「違うんだ。きみはすっかり忘れてしまっているみたいだけど、ショーンを捜さないと。彼が火の精霊の人形を持っているんだろ? あれを壊さないと、たぶん、出口につながらないと思うんだ。そうだろ、ドラコ?」
コウの眼差しが赤毛に向けられる。奴は不貞腐れたように座ったまま動かない。周囲の景色はすっかりもとの青々とした森のなか。
そうだ、忘れていた。ショーンのことよりも、僕はここでの儀式、僕の知らなかったスティーブを見たことを思いだしていた。
まったく、すっぽりと、忘れていたのだ。そんな自分にようやく気づき、愕然としてしまっていた。
この原初の海に還ること――。
それが究極なのではないかと思うんだ。
僕たちは大地の揺りかごに揺さぶられ、虹色に揺らめく波になって、打ち寄せ、また返しながらながら揺蕩うんだ。繰り返される鼓動と、彼の歌う子守歌を聴きながら。
「コウ――」
「いい加減にしろ!」
悪夢だ――。僕の組み伏せていたコウが奴になった。
「コウはどこ?」
「おまえが溶かしたんだろうが! さっさと、どけ! このナルシストが!」
「なんできみが出てくるんだ? きみはただのエネルギーなんだろ? そのまま燃え尽きてくれればいいのに……」
「死にたいのか! 馬鹿も休み休みに言え!」
「この世界が死だっていうのなら、それもいいかなって思えるけどな。コウとこんなにも一つでいられるのなら――」
「おまえがそうやってこいつを喰うことばかり考えるから、こいつはどんどん希薄になって消えかかってるんだろうが!」
「コウが空気になるなら僕もそうなるよ。僕はコウのなかにいるんだもの」
忌々しい赤毛から身体を離し、黒々とした大地にそのまま腰を据えた。ああ、確かにこの空気はコウだ。僕はこんなにも楽に呼吸ができる。全身でコウを感じることができる。
「おまえはよくても、こいつはそんなこと望んじゃいない」
「きみとの約束があるから?」
改めて、赤毛をまじまじと見つめた。地面の上であぐらをかいている奴は、動作こそ粗暴でふてぶてしいけれど、確かにコウの身体だ。ただ、顔つきと入れ墨だけが違っている。赤毛の火焔には、コウのような緑の蔦の絡まりはない。
「ああ、そうだ。きみに一言言いたかったんだよ。あの入れ墨! コウの説明ではとても納得できなかったよ。コウは消せないって言っていたけど、きみになら消せるんだろ? 消してくれ。あのままじゃコウが可哀想すぎるし、僕も不愉快だ」
「おまえって奴は、どこまでも自分本位なんだな!」
「きみに言われるいわれはないね。きみがのっとっているコウを返してくれさえすれば済む話じゃないか」
赤毛はこれみよがしに、大きく息をつく。息、というよりも小さな焔だ。まるで御伽噺の火を吐く龍か、サーカスの芸人だな――。などと想像している僕の頭のなかには奴は感心がないらしく、こんな挑発には乗ってくることはなく、言いたいことだけをのたまわっている。
「おまえなぁ――。いい加減にこいつにしがみつくのをやめろ。こいつはおまえの栄養じゃないし、酸素ボンベでもないんだぞ。俺とこいつとの仲はな、太古から定められた血の契約に基づいているんだ。おまえがとやかく口出しできることじゃないんだよ。だいたい、おまえこそ地の精霊の末裔のくせに、精霊の力を私事ばかりに使いやがって!」
「話をすり替えるんじゃないよ。事の発端はきみだろう? だが、今はそのことを言っているんじゃない。彼の入れ墨のことを話してるんだ」
「だからそれは、コウが説明しただろうが! おまえはその模様で前以上に地の精霊の霊気を帯びて道を作っちまってるし、おまえが横にいるだけで、こいつはこっちの世界に引きずり込まれちまうんだよ。そのための防衛じゃないか!」
「コウは逆のことを言っていたけどね。僕がいないと眠りに堕ちるって――」
「だからそれは、」と言いかけて赤毛は派手にため息をついた。
「これだから頭の悪い奴は嫌なんだ」
こっちのセリフだ!
納得させるだけの根拠を持ち合わせていないくせに、理解できないのを相手の能力不足のせいにする。きみの知性の方を疑いたいね。などと言い合っていてもしかたがない。
空気が震えている。コウが不安に思っているのだ。
「コウ、戻ってきて」と宙に向かって手を伸ばした。キラリと光った糸を手繰って、金の毬を持つコウの手を掴む。そこからコウが固まっていく。コウが形作られていく。
「良かった」
立ちあがって、コウの肩を抱いた。コウが可視化された分、見おろした赤毛は逆に透き通っている。
「ここがコウの内的世界なら、べつに、きみはコウの形のなかにいなきゃいけないってわけでもないんだろ? コウ、行こうか」
「アル、ちょっと待って」
コウがまた、困ったように瞳で縋る。まだこの赤毛を庇うのか、とうんざりした思いが湧きあがる。
「違うんだ。きみはすっかり忘れてしまっているみたいだけど、ショーンを捜さないと。彼が火の精霊の人形を持っているんだろ? あれを壊さないと、たぶん、出口につながらないと思うんだ。そうだろ、ドラコ?」
コウの眼差しが赤毛に向けられる。奴は不貞腐れたように座ったまま動かない。周囲の景色はすっかりもとの青々とした森のなか。
そうだ、忘れていた。ショーンのことよりも、僕はここでの儀式、僕の知らなかったスティーブを見たことを思いだしていた。
まったく、すっぽりと、忘れていたのだ。そんな自分にようやく気づき、愕然としてしまっていた。
あなたにおすすめの小説
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
さよなら、永遠の友達
万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。
卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。
10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。