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第四章
大地 2
――虹だぞ!
「虹だ!」
赤毛とコウの声が被る。遠い空に架かる巨大な虹は、ホリゾントの空で見た虹とは明らかに違う神秘的な輝きを帯びている。
「四大精霊の人形が壊されたんだ! 急いで、アル! 出口が開く!」
コウが僕の腕を引っ張る。だが、足を踏みだしかけて、コウは、はっとしたように動きを止め、僕を見上げた。
「アル、好きだよ。――もしきみが、ここを通り抜ける間に僕のことが嫌になったとしても、僕はそれを受け入れる覚悟はできているから。きみは、きみの心のままに」
「コウ、ここがきみの心のなかだとしても、僕がどう思うかを決めるのは僕自身だよ。僕の心はいつだってきみに向かうことを、僕はもう充分に知っている」
不安に揺れるコウの瞼に、キスを落とした。唇にも――。
「僕の手を離さないで」と、コウをもう一度抱きしめてから彼の手を取った。
コウが一歩足を進める。とたんに景色が消え、コウも消えた。でも不安には思わなかった。たとえ何も見えなくても、僕を包んでくれているコウを感じていた。足元に地面があるのかさえ定かではない闇に、僕も一歩、また一歩と足を踏みだす。
この足裏に感じる弾力はなんだろう――。まるで、人の皮膚のうえを歩いているような。じっと地面に目を凝らした。慣れてくると、漆黒は濡羽色がかって光を帯びていく。だがこの感触が何で、どこを歩いているのかは皆目見当がつかない。履いていたはずの靴はいつの間にか消え、素足にこの人肌の感触を感じていた。それはやがて粒々とした丸みを帯びた砂利に変わり、シャリシャリと幽かな音をたて始める。仄かな光を帯びて、互いに囁き交わしているのだ。
意味をなさない重なり合う声。じっとりとまといつく不快な温度。背中が熱い。僕を取り込もうと、数多の手がその砂利のなかから伸びてくる。渦巻が僕から溢れだし、それらを寄せつけないように竜巻を作って僕を守る。
涙がボロボロと溢れていた。
これはコウの感情だ。僕は今、コウになって、彼の来た道を歩んでいる。幼いころをこの河原で過ごしてきた、彼の記憶を見ているのだ。
僕が今、足の下に踏みつけているのは、人の魂の敷き詰められた彼岸の河原だ。原初の大海に戻ることのできないまま、凝固し留まり続ける怨嗟の想いだ。
これが、コウの認識する「虹のたもと」なのだ。
そして、ここが彼の育った場所。彼が、恐れ、愛する、彼の故郷――。
この数多の魂たちを原初の海に還すことが、彼の役目だというのか――。
なぜ、たかだか一個人が、そんな役割を負わされなければならないのだ? 血の契約だかなんだか知らないが、奴はどうも、コウの優しさにつけこんでいるような気がしてやるせない。
僕の感じるコウの哀しみに、僕は怒りを感じていた。コウの優しさに、憐れみに縋ろうとするこれらの手を、踏みしだき蹴散らしながら僕は進んだ。
渡すものか――。コウは生きた人間で、彼自身の生を生きなければならない。恨みつらみに囚われて、凝った魂にかまっている暇などない。
僕の怒りから火焔が生まれる。
トリスケルの渦が、この玉砂利ごと焔を噴きあげ、空を赤々と染めた。
なんて美しい焔だろう、と、僕としたことが、これがあの赤毛の真の姿だと解っていながら見とれてしまった。
奴の焔は、愛なのか――。
コウの涙でしっとりと心地良く湿ったこれらの凝りを乾かして、焔で浄化し始原に戻す。絡み合い、螺旋にうねり吹きすさぶ、焔の渦。
その中心に僕がいた。
焼かれているのは僕自身だ。
凝った魂――、それこそが僕自身の姿だった。
僕もコウに縋りつく、ひとかけらの礫にすぎないのだ。
コウの心にその重さを叩きつけ、波紋を作ることで自らの存在を確認する。水鏡に自らを映して愛を語っていたにすぎないナルキッソスだ。
奴の焔は熱くはなかった。
コウがこんな僕を、それでも抱えてくれているから――。
この数多の礫のなかから、コウは僕を拾いあげた。僕を胸に抱いたまま、焔に熔けて始原の海へ還っていった。
赤毛の焔で焼き尽くされた僕は、トリスケルの渦のなかで攪拌され、凝固し、再び生まれる。泡から生まれたビーナスのように――。
コウという始原の海から、この大地へと再び産み落とされるのだ。
すべてを焼き尽くした焔がなだらかにその矛先を大地の許へ収めたとき、闇色に戻ったこの空間に、ぽかりと光を帯びた扉が見えた。
そこから続く、一筋の白い道。
ロンドンの赤毛のアパートメントから白い道を巡ってここへたどり着いたように、僕はこれからまたこの道をたどって還るのだ。
僕たちの生きる世界へ。
「虹だ!」
赤毛とコウの声が被る。遠い空に架かる巨大な虹は、ホリゾントの空で見た虹とは明らかに違う神秘的な輝きを帯びている。
「四大精霊の人形が壊されたんだ! 急いで、アル! 出口が開く!」
コウが僕の腕を引っ張る。だが、足を踏みだしかけて、コウは、はっとしたように動きを止め、僕を見上げた。
「アル、好きだよ。――もしきみが、ここを通り抜ける間に僕のことが嫌になったとしても、僕はそれを受け入れる覚悟はできているから。きみは、きみの心のままに」
「コウ、ここがきみの心のなかだとしても、僕がどう思うかを決めるのは僕自身だよ。僕の心はいつだってきみに向かうことを、僕はもう充分に知っている」
不安に揺れるコウの瞼に、キスを落とした。唇にも――。
「僕の手を離さないで」と、コウをもう一度抱きしめてから彼の手を取った。
コウが一歩足を進める。とたんに景色が消え、コウも消えた。でも不安には思わなかった。たとえ何も見えなくても、僕を包んでくれているコウを感じていた。足元に地面があるのかさえ定かではない闇に、僕も一歩、また一歩と足を踏みだす。
この足裏に感じる弾力はなんだろう――。まるで、人の皮膚のうえを歩いているような。じっと地面に目を凝らした。慣れてくると、漆黒は濡羽色がかって光を帯びていく。だがこの感触が何で、どこを歩いているのかは皆目見当がつかない。履いていたはずの靴はいつの間にか消え、素足にこの人肌の感触を感じていた。それはやがて粒々とした丸みを帯びた砂利に変わり、シャリシャリと幽かな音をたて始める。仄かな光を帯びて、互いに囁き交わしているのだ。
意味をなさない重なり合う声。じっとりとまといつく不快な温度。背中が熱い。僕を取り込もうと、数多の手がその砂利のなかから伸びてくる。渦巻が僕から溢れだし、それらを寄せつけないように竜巻を作って僕を守る。
涙がボロボロと溢れていた。
これはコウの感情だ。僕は今、コウになって、彼の来た道を歩んでいる。幼いころをこの河原で過ごしてきた、彼の記憶を見ているのだ。
僕が今、足の下に踏みつけているのは、人の魂の敷き詰められた彼岸の河原だ。原初の大海に戻ることのできないまま、凝固し留まり続ける怨嗟の想いだ。
これが、コウの認識する「虹のたもと」なのだ。
そして、ここが彼の育った場所。彼が、恐れ、愛する、彼の故郷――。
この数多の魂たちを原初の海に還すことが、彼の役目だというのか――。
なぜ、たかだか一個人が、そんな役割を負わされなければならないのだ? 血の契約だかなんだか知らないが、奴はどうも、コウの優しさにつけこんでいるような気がしてやるせない。
僕の感じるコウの哀しみに、僕は怒りを感じていた。コウの優しさに、憐れみに縋ろうとするこれらの手を、踏みしだき蹴散らしながら僕は進んだ。
渡すものか――。コウは生きた人間で、彼自身の生を生きなければならない。恨みつらみに囚われて、凝った魂にかまっている暇などない。
僕の怒りから火焔が生まれる。
トリスケルの渦が、この玉砂利ごと焔を噴きあげ、空を赤々と染めた。
なんて美しい焔だろう、と、僕としたことが、これがあの赤毛の真の姿だと解っていながら見とれてしまった。
奴の焔は、愛なのか――。
コウの涙でしっとりと心地良く湿ったこれらの凝りを乾かして、焔で浄化し始原に戻す。絡み合い、螺旋にうねり吹きすさぶ、焔の渦。
その中心に僕がいた。
焼かれているのは僕自身だ。
凝った魂――、それこそが僕自身の姿だった。
僕もコウに縋りつく、ひとかけらの礫にすぎないのだ。
コウの心にその重さを叩きつけ、波紋を作ることで自らの存在を確認する。水鏡に自らを映して愛を語っていたにすぎないナルキッソスだ。
奴の焔は熱くはなかった。
コウがこんな僕を、それでも抱えてくれているから――。
この数多の礫のなかから、コウは僕を拾いあげた。僕を胸に抱いたまま、焔に熔けて始原の海へ還っていった。
赤毛の焔で焼き尽くされた僕は、トリスケルの渦のなかで攪拌され、凝固し、再び生まれる。泡から生まれたビーナスのように――。
コウという始原の海から、この大地へと再び産み落とされるのだ。
すべてを焼き尽くした焔がなだらかにその矛先を大地の許へ収めたとき、闇色に戻ったこの空間に、ぽかりと光を帯びた扉が見えた。
そこから続く、一筋の白い道。
ロンドンの赤毛のアパートメントから白い道を巡ってここへたどり着いたように、僕はこれからまたこの道をたどって還るのだ。
僕たちの生きる世界へ。
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