夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
194 / 219
第四章

夢の跡 8.

 夢というものは、どうしてこうも無茶苦茶なんだろう。

 コウと連れ立って山道を上りながら、彼が説明してくれたアーノルドの世界でのことをずっと考えていたのだ。

 コウの心と、僕を想うコウの心、そして囚われていたコウの魂。一人の人間がいくつもの形に分裂している。これはコウ自身が、統合された人格をもつ自分というものをイメージすることができないからだろう、と。

 それに、僕の知る現実でのアーノルドと、コウの見たアーノルドの内的世界の落差についても。

 妄想のアビーと、魂のアビー。ここでも分裂している二つの人格。

 魂のアビー、コウはアーノルドの内的世界で自分を良心的に守ってくれていた彼女が本当の彼女で、アーノルドを傷つける彼女は妄想、とみているようだった。だが僕は、魂の彼女はアーノルドの信じる彼女の愛で、妄想のアビーは、彼の超自我ではないかと考えている。
 僕を知ることで崩れ始めたという彼の内的世界のアビー。表層の意識でどれほど否認してみても、無意識は僕を認識したことで、彼の罪を断罪し責め苛んだのではないだろうか。彼女アビーの想いを知りながら、彼女の大切な赤ん坊を、彼は殺して奪ったのだから。
 むしろ魂のアビーという彼女の愛の形が、それでも彼の内側に残り続けていた方が奇跡のように思える。それほどに、彼は彼女に愛されていたのだろうか。まごうことなく信じられるほどに――。


 それとも本当に、彼のそばに魂のアビーがいたのなら――。

 
 ふと浮かんだその考えに、僕は苦笑って首を振った。
 常若の国ティル・ナ・ノーグというものが本当に在って、僕たちはそこへ行ってきた、ということになり兼ねない気がして。明快な理解よりも、むしろあやふやでいい加減な夢のすること、としておいた方がいいような気がする。


「どうしたの?」
 コウがおっとりと僕を見あげる。
「疲れない?」と僕は尋ねた。「こんなに歩くのは、まだきついんじゃないの?」
「大丈夫だよ」
 そう言いながらも、コウの呼吸は少し早くなっている。歩くペースを落として「捉まって」と僕は腕を差しだした。
「アルは、今でもやっぱり、こうして一緒に歩いているときが一番幸せを感じるの?」
 コウは僕の腕をとって、ペースを整えていく。
「そうだね。今は、息が合ってるって感じられるときだけじゃなくて、いつでもだよ。コウが同じ世界にいてくれているだけで幸せだよ」
「それでアルが幸せを感じてくれるなら、僕も頑張れる」
 コウは微笑んで、さらにしっかり腕を絡ませてくる。だが、この言葉に僕の心臓はドクンと跳ねあがっていた。

 頑張るって、何を?

 毎日を、日常を――。そんな単語が浮かんだ想像を打ち消している。脳裏に浮かべることすら、僕は拒んでいる。考えたくない。



「アル、着いたよ」
 コウが軽く首を傾げて僕を見ている。気がつくと、柔らかな茜色に包まれた木立ちの前で立ち止まっていた。「ああ」と生返事をして、反対の手に持っていた袋から箱を取りだし、彼に渡した。

 僕はここに留まり、コウは一人で何もない空き地のなかへと進んでいく。円形の黒土の中央に佇むと、両掌に正方形の箱をのせてゆっくりと頭上に捧げ持つ。目を瞑り、口のなかでなにかを唱えているけれど、僕には聴き取れない。

 コウの声に応えるように、風が、ざわざわと重たげな葉を茂らせた枝を揺する。数多の葉を落とし巻き込みながら、辺りの樹々を駆け巡っている。やがてその風は中心に集まりコウの髪をかき散らし、彼のシャツをバタバタと煽り始める。
 ブォッと巻きあげた一陣に箱の蓋が飛ばされ、内から粒子が舞いあがる。樹々の狭間から差し込む金色の陽射しを浴びて螺旋に光る粒子の渦のなかに、一瞬、虹色に煌めいた人影が見えた。だが、風を防いでいた腕をおろして、すがめていた眼を開けたときにはもう、そこにはコウがひとり、ほっとしたように笑っているだけだ。



「戻ろうか」
 コウは空の箱を袋に戻すと、僕の手をとった。「うん」と返事して歩きだす。

「今回は火で焼かなかったんだね」
「アル、気が気じゃなかったんだろ? 火あぶりにされるー、ってさ」
「内心ね」

 冗談めかして笑うコウに、肩をすくめてみせる。
 コウは人形を壊すところも僕には見せなかったのだ。自分にそっくりの形代かたしろの破壊が、陰惨なイメージとして僕の心に取り込まれ、影を落としてしまってはいけないからだという。

「虹のたもとにちゃんと届くように、シルフに託したよ」
「戻らないアーノルドの心は、今はそこにいるの?」
「ううん」とコウは残念そうに首を振る。
「目を瞑ったままなんだと思う」
「現実の身体のなかで?」
「うん」
「じゃ、あの人形は?」
「アビーに」
「アーノルドは、いつかアビーの魂に逢えるのかな――」
「大丈夫」

 彼の魂はいつまでもアビーを求めたまま彷徨い続けるのではないか、と脳裏を過った僕の不安に対して、コウは自信ありげに微笑んで強く頷いた。

「ほら、きみの渡してくれたキノコの菌糸の玉、あれをアビーに預けてあるからね。廃墟になってしまったけれど、あれはアーノルドの心の世界と繋がっているんだ。糸を手繰って、彼はアビーの許へたどり着けるよ。――いつか」

 きっとそう遠くない、いつか――。

 
 押し黙ったコウの肩に、腕を回した。

 コウが今考えていることに、心が痛んだ。誰が悪いんじゃない。コウのせいなんかではもちろんない。きみは気づいただけ。本当に、それだけだ。

 彼の創り上げた世界ゆがみを無に帰すこと――。
 僕に強く絡みついていた過去を断ち切るために、本当は、僕がすべきことだったのだろう。けれどスティーブは、僕を父を殺すオイディプス王にしたくはなかったのだと思う。僕がその罪を背負って生きていくことを嘆いてくれたのだ。それもまた、養父ちちとしての、僕という息子への愛なのだと思う。



「きみが魔法は嫌いだと言った理由が、解ったような気がするよ」

 ふと思いだした記憶の欠片が、口を突いてでていた。

「うん」と小さな声でコウは答えた。


 自然の摂理に反した人の願いが、人の運命を歪ませる。たったひとつの歪みが、やがて連鎖して大きな歪みのチェーンとなって、時空間までも軋ませていく。その歪みを探しだし正していくのがコウの枷――。


 そんな願い、初めから持たなければいいのだ。

 ――と、解っていても、人は願わずにはいられないのだろう。

 この幸せの永続を求めずにはいられない。


 コウの手に深く指を絡ませ、握りしめる。
 今、この瞬間、僕の手のひらに握りこむ。

 永遠を包含する玉響の時を――。
 

 



*****


超自我……自我と無意識をまたいだ構造で、ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想などを自我と無意識に伝える機能を持つ。




感想 4

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。