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第五章
鎖
咲き終わり、散る際になった白薔薇は見苦しい。醜く腐り落ちていくさまは、そう目にしたいものではない。
こうしてサンルームの窓から庭を臨んでいると、スミスさんが忙しなく行き来する姿が否が応でも目に入る。どうやら小人の靴屋は庭仕事の手伝いはしないらしい。白薔薇の氷山を美しく保つために、彼は余念なく立ち働いている。
「コウは、なんだか感じが変わったな」
なんとなく互いに保っていた沈黙を、ショーンが破った。
「そうかな?」と僕は曖昧に受け流した。それは今一番考えたくない、一番考えなくてはならないことだから。けれどやはり気になって、一呼吸も置かない内に訊ね返していた。
「どんなふうに変わったと思う?」
「なんだかますます、」
儚い――。
ショーンはそう口に出してしまうことを避けるように、不明瞭な発音で口をもごつかせている。けれどもそれで、その言葉の持つ意味が変わるわけではない。そして、コウ自身が変わるわけでもないのだ。
「綺麗になったよね。かわいいというよりも、綺麗になった。魂を奪われるよ。あんな彼をまじかに見ていると」
僕も彼と同じだ。口に出すと本当になってしまいそうで、言葉に変換することができない。だからそれ以外の意味で表そうとやっきになっている。僕はコウを取り戻したのに、こうして彼のそばをわずかに離れているだけでもう不安にかられている。
だが、僕が今抱えている不安は、以前のような、彼の心を疑心暗鬼で見つめる不信からではない。コウの僕への想いではなく、コウ自身のことなのだ。
彼を絡めとろうとする運命――。
コウを知れば知るほど、彼の謎は深まっていく。あれほどに深く心を共鳴させることができてなお、彼のなかの赤毛を読み解くことも、解き解して放つこともできなかったなんて――。それどころか、奴がコウの移行対象だと解った以上、安易に否定することさえできなくなった。ああ、このこともショーンに伝えておかねばならないのだった……。
ままならない現実に辟易する。
ショーンは僕の言葉に、「とっくにだろ?」と軽く肩をすくめて笑っているのに。
「ロンドンに戻ったら、赤毛、あぁ、いや、彼、ドラコとも仲直りするよ」
「本気で言ってるのかい?」
「不本意だけど、コウのためだ」
「どうしてまたそんな気になったんだ! コウがあんな目にあったっていうのに!」
しまった。そういえば奴の暗示を憂いている、と言ったばかりだ。その舌の根も乾かない内にこんなことを言われては、ショーンにしても納得できるはずがない。僕はいまだ、混乱したままなのか。
「彼らは日本から連れ立ってきた大切な友人同士だ、ってことが身に染みて解ったんだよ。彼にしてみれば、自分のいない間に僕にコウを盗られたような心持ちだったんだと思う。僕にしても、コウの心を疑い彼を邪険にしすぎていた。互いに大人げなかったんだ。反省してるんだよ」
言葉は淀みなく舌先を滑るけれど。
心にもないことが、どうしてこう次から次へと湧き出てくるのか自分でも不思議に思う。僕は決して赤毛のことを認めたわけでも、許したわけでもない。今だって奴を地中深くに埋めてやりたい気持ちは変わらない。けれどそうなると、コウも僕の許へは戻ってこられなくなる。どちらを選ぶか、となったら選択肢は一つしかない。
「俺はとても納得できないよ!」
「コウのためでも? これは本来コウとドラコの問題なんだ。第三者がとやかく言えることじゃないだろ」
「だからって、黙って指くわえて見ていられるわけないだろ! きみはいったい、どんな心境の変化で言ってるんだ!」
僕とコウ、僕と赤毛の問題だ。コウのなかに取り込まれている赤毛は、コウに対象化される心配はないとはいえ――。
恐れるものが、惹かれるもの。
コウにとっての赤毛は、まさしくそういうものなのだ。現実の赤毛にとってコウは何なのか、ということはいまだ判らない。だが夢のなかで、奴は自分の手足のようにコウを扱っていた。ここまでコウのなかで同一化された奴を引き剥がすには時間がかかる。本腰を入れて取り組めるようになるまでは、赤毛に、今回のような極端に走るまねをしてもらっては困るのだ。
それに今は――。
「きみもコウも、そろそろ新学期準備に戻らなくちゃならないだろ? 彼を頼んだよ。今も変わらず、僕たちには、きみしか頼れる奴はいないんだ」
「きみは、やっぱり、」
それまでの怒気を引っ込めて声を落としたショーンに、僕は黙って頷いてみせた。
「残るのか――」
「キャンパスの送別会には顔を出すつもりだよ」
「そうか、解った。一時休戦ってことだな。きみのいない間、奴がコウにむちゃをさせないよう俺が見張ってるよ」
「ありがとう。頼んだよ、ショーン」
不承不承ながらも強く頷いてくれたショーンに、僕もまた微笑んで頷き返した。
マーマイトとマーマレードは、どちらがマシか――。
さまざまな理由で受けつけたくないものは、この世にいくらだってある。それでも、毎日口にしなければならないなら、見るのも嫌なものよりは、まだ顔をしかめながらも我慢できる方を選ぶのは当然だろう。そうして食べつけてくれば、それなりに愛着も湧くし、思いがけない発見をしたりもするものなのだ。
少なくとも、ショーンとは意思の疎通ができる。彼には人間的な情もある。そして何よりも、もしもいずれ僕のライバルとしてコウを争うことになったとしても、彼にはコウを尊重できる心がある。
それに彼は、僕とコウの間に横たわる魔術的世界という大きな障壁に架かる、必要不可欠な橋でもあるのだ。
こうしてサンルームの窓から庭を臨んでいると、スミスさんが忙しなく行き来する姿が否が応でも目に入る。どうやら小人の靴屋は庭仕事の手伝いはしないらしい。白薔薇の氷山を美しく保つために、彼は余念なく立ち働いている。
「コウは、なんだか感じが変わったな」
なんとなく互いに保っていた沈黙を、ショーンが破った。
「そうかな?」と僕は曖昧に受け流した。それは今一番考えたくない、一番考えなくてはならないことだから。けれどやはり気になって、一呼吸も置かない内に訊ね返していた。
「どんなふうに変わったと思う?」
「なんだかますます、」
儚い――。
ショーンはそう口に出してしまうことを避けるように、不明瞭な発音で口をもごつかせている。けれどもそれで、その言葉の持つ意味が変わるわけではない。そして、コウ自身が変わるわけでもないのだ。
「綺麗になったよね。かわいいというよりも、綺麗になった。魂を奪われるよ。あんな彼をまじかに見ていると」
僕も彼と同じだ。口に出すと本当になってしまいそうで、言葉に変換することができない。だからそれ以外の意味で表そうとやっきになっている。僕はコウを取り戻したのに、こうして彼のそばをわずかに離れているだけでもう不安にかられている。
だが、僕が今抱えている不安は、以前のような、彼の心を疑心暗鬼で見つめる不信からではない。コウの僕への想いではなく、コウ自身のことなのだ。
彼を絡めとろうとする運命――。
コウを知れば知るほど、彼の謎は深まっていく。あれほどに深く心を共鳴させることができてなお、彼のなかの赤毛を読み解くことも、解き解して放つこともできなかったなんて――。それどころか、奴がコウの移行対象だと解った以上、安易に否定することさえできなくなった。ああ、このこともショーンに伝えておかねばならないのだった……。
ままならない現実に辟易する。
ショーンは僕の言葉に、「とっくにだろ?」と軽く肩をすくめて笑っているのに。
「ロンドンに戻ったら、赤毛、あぁ、いや、彼、ドラコとも仲直りするよ」
「本気で言ってるのかい?」
「不本意だけど、コウのためだ」
「どうしてまたそんな気になったんだ! コウがあんな目にあったっていうのに!」
しまった。そういえば奴の暗示を憂いている、と言ったばかりだ。その舌の根も乾かない内にこんなことを言われては、ショーンにしても納得できるはずがない。僕はいまだ、混乱したままなのか。
「彼らは日本から連れ立ってきた大切な友人同士だ、ってことが身に染みて解ったんだよ。彼にしてみれば、自分のいない間に僕にコウを盗られたような心持ちだったんだと思う。僕にしても、コウの心を疑い彼を邪険にしすぎていた。互いに大人げなかったんだ。反省してるんだよ」
言葉は淀みなく舌先を滑るけれど。
心にもないことが、どうしてこう次から次へと湧き出てくるのか自分でも不思議に思う。僕は決して赤毛のことを認めたわけでも、許したわけでもない。今だって奴を地中深くに埋めてやりたい気持ちは変わらない。けれどそうなると、コウも僕の許へは戻ってこられなくなる。どちらを選ぶか、となったら選択肢は一つしかない。
「俺はとても納得できないよ!」
「コウのためでも? これは本来コウとドラコの問題なんだ。第三者がとやかく言えることじゃないだろ」
「だからって、黙って指くわえて見ていられるわけないだろ! きみはいったい、どんな心境の変化で言ってるんだ!」
僕とコウ、僕と赤毛の問題だ。コウのなかに取り込まれている赤毛は、コウに対象化される心配はないとはいえ――。
恐れるものが、惹かれるもの。
コウにとっての赤毛は、まさしくそういうものなのだ。現実の赤毛にとってコウは何なのか、ということはいまだ判らない。だが夢のなかで、奴は自分の手足のようにコウを扱っていた。ここまでコウのなかで同一化された奴を引き剥がすには時間がかかる。本腰を入れて取り組めるようになるまでは、赤毛に、今回のような極端に走るまねをしてもらっては困るのだ。
それに今は――。
「きみもコウも、そろそろ新学期準備に戻らなくちゃならないだろ? 彼を頼んだよ。今も変わらず、僕たちには、きみしか頼れる奴はいないんだ」
「きみは、やっぱり、」
それまでの怒気を引っ込めて声を落としたショーンに、僕は黙って頷いてみせた。
「残るのか――」
「キャンパスの送別会には顔を出すつもりだよ」
「そうか、解った。一時休戦ってことだな。きみのいない間、奴がコウにむちゃをさせないよう俺が見張ってるよ」
「ありがとう。頼んだよ、ショーン」
不承不承ながらも強く頷いてくれたショーンに、僕もまた微笑んで頷き返した。
マーマイトとマーマレードは、どちらがマシか――。
さまざまな理由で受けつけたくないものは、この世にいくらだってある。それでも、毎日口にしなければならないなら、見るのも嫌なものよりは、まだ顔をしかめながらも我慢できる方を選ぶのは当然だろう。そうして食べつけてくれば、それなりに愛着も湧くし、思いがけない発見をしたりもするものなのだ。
少なくとも、ショーンとは意思の疎通ができる。彼には人間的な情もある。そして何よりも、もしもいずれ僕のライバルとしてコウを争うことになったとしても、彼にはコウを尊重できる心がある。
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