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第五章
鎖 3
コウの部屋へ行く前に、台所へよってブラウン兄弟のことを尋ねた。スミス夫人は嬉しそうに、にこにこしながらも首を横に振る。
「また別の甥っ子たちなんですよ! 庭仕事の手伝いにきてくれてるんですよ! 花がら摘みが忙しいって主人が愚痴ってましたらね、あの子たちすぐに――、」
延々と続きそうな夫人のお喋りから意識を庭に向けた。誰の姿が見えるわけでもないのに、所々で花群が不自然に揺れている。どうやら彼らはしゃがんでいて白薔薇の陰に隠れてしまい、ここからは見えないだけらしい。
「お顔を合わせるようなことがございましたら、お声をかけてやってくださいまし。あの子たち、きっと喜ぶに違いありませんから!」
「うん。昨日届いた蜂蜜酒、コウのとは別で余分に頼んであるから、仕事を終えたらそれで労ってあげるといいよ」
「まぁ、まぁ、お優しい坊ちゃん! ありがとうございます!」
ブラウニーたちの一番の好物は蜂蜜酒。それを教えてくれたのはコウだった。そして彼らにとっての主人は火の精霊ではなくて、地の精霊なのだそうだ。ブラウン兄弟は、白雪姫の末裔である僕に逢いたかったがために、本来なら相容れない赤毛の下で務めているのだという。スミスさんにとっては当然許しがたいことなのだそうだ。直接仕える主人が僕であったから、一族の者も渋々許しているのだ、と後から聞いた。
いったい赤毛の関わるこの御伽噺は、どれほどの規模をもった団体なのだろうか。想像するだけで空恐ろしくなる。秘密結社か、宗教団体か――。話には聴いたことがあっても、まさか自分がその渦中にいるだなんて……。こんな信じ難い話、もう笑うしかないじゃないか。この辺りに関しても、ロンドンに戻るショーンに調べてもらうつもりだ。彼は、アーノルドのノートに使われていた呪文がゲール語だったことや、夏至や冬至を重要視していることから、ケルト系の団体なんじゃないか、と推察しているのだが、まだ根拠の薄い推察の域をでていない。
コウの話によると、そもそも赤毛がスティーブの椅子を壊したことからして、衝動ではなく呪いじみた小さな儀式だったのだというのだから恐れ入る。あれも一種の取り替え、現実世界のものを異界のものとすり替え、空間に亀裂を入れて、出入りするための道を作るためだったのだと言われた。修復された椅子とさらにもう一脚。あの椅子を媒介にしてあの双子兄弟はこちら側に住めるようになったのだ、などとコウは真顔で言うのだ。
ジャンセン家をここの館のように、わけのわからないことが頻繁に起こる空間にするつもりなのか、とさすがに僕の顔は引きつっていたと思う。
だがそれも、コウのためだった、と赤毛はのたまったらしい。僕に説明したような、家事の雑務からコウを解放するためではない。彼のなかの火の精霊の力を異界に閉じようとする僕のトリスケルの力に対抗して、同じ地の精霊の眷属でもってコウを支えさせるという、とても現実世界の理屈では解けない理由からだった。呆気に取られていた僕に、コウはなぜ僕が納得しないのか判らないといった風情で、かわいく小首をかしげていた。この理論に異議を感じないコウが、僕には一番の謎だった。
夫人には居間にお茶を運んでもらうように頼み、僕はコウを呼びに階段を上がった。部屋に籠りきりというわけではないにしろ、まだまだ意識して連れださないと、コウは部屋でぼうとしていることが多いのだ。あるいはショーンと喋っているか。だけど、書斎へは近づかない。コウが情熱を傾けているはずの魔導書も道具類も、見ようともしない。コウにとっては、アーノルドの所有する程度のものは興味がないのかとも思ったのだが、ショーンによると貴重な希少本がかなりの数在るらしい。彼に「本当にこれを貰ってもいいのか」と念を押して尋ねられた。「要らなくなって売りにだしたときには、一杯奢ってくれ」と笑って応えておいた。
「アル」と、コウが嬉しそうに僕に飛びついて迎えてくれる。「居間でお茶にするの?」と僕を見あげる。
「今、用意してもらってる」
「うん。少しお腹が空いたかな。ぐっすり眠ってたし」
「ん、良かった」
コウの髪をくしゃりと撫でる。コウは猫がじゃれるように笑って首を振る。背伸びして僕の頬にキスをくれる。もう前みたいに恥ずかしがったりしない。さすがに人前では、まだできないけれど。
「スミス夫人に、何か食べるものも頼んでこようか?」
「用意してくれているよ。今日のおやつは――、イートン・メスだ。一度食べてみたかったんだ」
イートン・メス? 苺やラズベリーにホイップクリームをかけて、メレンゲをのせているだけの単純なデザートだ。どこにでもあるものだ。
「そうだったの?」
言ってくれれば買ってきたのに。
「レシピを見たことがあるんだ。でも、メレンゲを作るのが難しそうで僕には無理かなって、諦めたんだ。後でスミス夫人に作り方、訊かなくっちゃ!」
居間へ向かう廊下を歩きながら、そんな話をしていた。これから食べるお菓子の予想。コウはベリー類が好きだということ。日本のお菓子のこと。取り留めのないお喋り。
夫人の用意してくれたお菓子は、コウの予想通り、苺のイートン・メスだった。どうしてコウは判ったんだろう。いつも午後のお茶は、サンルームでクリームティーだったのに。
*******
クリームティー……紅茶とスコーンのセット。
「また別の甥っ子たちなんですよ! 庭仕事の手伝いにきてくれてるんですよ! 花がら摘みが忙しいって主人が愚痴ってましたらね、あの子たちすぐに――、」
延々と続きそうな夫人のお喋りから意識を庭に向けた。誰の姿が見えるわけでもないのに、所々で花群が不自然に揺れている。どうやら彼らはしゃがんでいて白薔薇の陰に隠れてしまい、ここからは見えないだけらしい。
「お顔を合わせるようなことがございましたら、お声をかけてやってくださいまし。あの子たち、きっと喜ぶに違いありませんから!」
「うん。昨日届いた蜂蜜酒、コウのとは別で余分に頼んであるから、仕事を終えたらそれで労ってあげるといいよ」
「まぁ、まぁ、お優しい坊ちゃん! ありがとうございます!」
ブラウニーたちの一番の好物は蜂蜜酒。それを教えてくれたのはコウだった。そして彼らにとっての主人は火の精霊ではなくて、地の精霊なのだそうだ。ブラウン兄弟は、白雪姫の末裔である僕に逢いたかったがために、本来なら相容れない赤毛の下で務めているのだという。スミスさんにとっては当然許しがたいことなのだそうだ。直接仕える主人が僕であったから、一族の者も渋々許しているのだ、と後から聞いた。
いったい赤毛の関わるこの御伽噺は、どれほどの規模をもった団体なのだろうか。想像するだけで空恐ろしくなる。秘密結社か、宗教団体か――。話には聴いたことがあっても、まさか自分がその渦中にいるだなんて……。こんな信じ難い話、もう笑うしかないじゃないか。この辺りに関しても、ロンドンに戻るショーンに調べてもらうつもりだ。彼は、アーノルドのノートに使われていた呪文がゲール語だったことや、夏至や冬至を重要視していることから、ケルト系の団体なんじゃないか、と推察しているのだが、まだ根拠の薄い推察の域をでていない。
コウの話によると、そもそも赤毛がスティーブの椅子を壊したことからして、衝動ではなく呪いじみた小さな儀式だったのだというのだから恐れ入る。あれも一種の取り替え、現実世界のものを異界のものとすり替え、空間に亀裂を入れて、出入りするための道を作るためだったのだと言われた。修復された椅子とさらにもう一脚。あの椅子を媒介にしてあの双子兄弟はこちら側に住めるようになったのだ、などとコウは真顔で言うのだ。
ジャンセン家をここの館のように、わけのわからないことが頻繁に起こる空間にするつもりなのか、とさすがに僕の顔は引きつっていたと思う。
だがそれも、コウのためだった、と赤毛はのたまったらしい。僕に説明したような、家事の雑務からコウを解放するためではない。彼のなかの火の精霊の力を異界に閉じようとする僕のトリスケルの力に対抗して、同じ地の精霊の眷属でもってコウを支えさせるという、とても現実世界の理屈では解けない理由からだった。呆気に取られていた僕に、コウはなぜ僕が納得しないのか判らないといった風情で、かわいく小首をかしげていた。この理論に異議を感じないコウが、僕には一番の謎だった。
夫人には居間にお茶を運んでもらうように頼み、僕はコウを呼びに階段を上がった。部屋に籠りきりというわけではないにしろ、まだまだ意識して連れださないと、コウは部屋でぼうとしていることが多いのだ。あるいはショーンと喋っているか。だけど、書斎へは近づかない。コウが情熱を傾けているはずの魔導書も道具類も、見ようともしない。コウにとっては、アーノルドの所有する程度のものは興味がないのかとも思ったのだが、ショーンによると貴重な希少本がかなりの数在るらしい。彼に「本当にこれを貰ってもいいのか」と念を押して尋ねられた。「要らなくなって売りにだしたときには、一杯奢ってくれ」と笑って応えておいた。
「アル」と、コウが嬉しそうに僕に飛びついて迎えてくれる。「居間でお茶にするの?」と僕を見あげる。
「今、用意してもらってる」
「うん。少しお腹が空いたかな。ぐっすり眠ってたし」
「ん、良かった」
コウの髪をくしゃりと撫でる。コウは猫がじゃれるように笑って首を振る。背伸びして僕の頬にキスをくれる。もう前みたいに恥ずかしがったりしない。さすがに人前では、まだできないけれど。
「スミス夫人に、何か食べるものも頼んでこようか?」
「用意してくれているよ。今日のおやつは――、イートン・メスだ。一度食べてみたかったんだ」
イートン・メス? 苺やラズベリーにホイップクリームをかけて、メレンゲをのせているだけの単純なデザートだ。どこにでもあるものだ。
「そうだったの?」
言ってくれれば買ってきたのに。
「レシピを見たことがあるんだ。でも、メレンゲを作るのが難しそうで僕には無理かなって、諦めたんだ。後でスミス夫人に作り方、訊かなくっちゃ!」
居間へ向かう廊下を歩きながら、そんな話をしていた。これから食べるお菓子の予想。コウはベリー類が好きだということ。日本のお菓子のこと。取り留めのないお喋り。
夫人の用意してくれたお菓子は、コウの予想通り、苺のイートン・メスだった。どうしてコウは判ったんだろう。いつも午後のお茶は、サンルームでクリームティーだったのに。
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