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第五章
仮面 7.
僕たちに気づいて、バニーがベンチから立ちあがる。柔らかな笑みを湛えて僕を、継いでコウを見る。「初めまして」と、大きな手がコウに自然に差しだされる。彼の流れるような所作を、コウは大きな目を瞠って緊張した面持ちで見つめて応えている。
「二人お揃いなんだね。アルバート公の仮装かな? 似合ってるよ」
ダブルのフロックコートに腹部に下がる懐中時計のチェーンとくれば、僕と同名のアルバート公は無難な連想だ。
「残念、はずれ。これは、」
「ホームズだ! シャーロック・ホームズですね!」
コウが僕を遮って声をあげる。
「惜しい! ワトソン博士だよ」
「あ、そうか! それでコートと鳥打帽子はなしなんだ」
「ああ、それは挿絵やドラマで後から演出されたイメージなんだ。原作にはそんな描写はないんだよ」
まるでついていけない。僕が知らないだけで、バニーの着ているような地味な格子柄のウールスーツは、ホームズやワトソンの代名詞なのだろうか。
二人は推理小説の話題ですっかり盛りあがっている。僕はコウにそんな趣味があることさえ知らなかったよ。
「学校の課題以外で小説ってあまり読んだことがなくて。でもダートムーアへ行ったからさ。この場所が舞台の『バスカヴィル家の犬』を読んでみたいって思ったんだ」と、コウが僕に応えて言った。
「観光で行ったの、それとも調査かなにかかな? グリムズポンドの円状巨石列柱は見てきたかい?」
「はい。後から本で辿って情景を思いだして、二度楽しめました。遺跡巡りは純粋に観光です。専門ではないので。でも――」
バニーは意図していたのだろうか。仮装の衣装から無理なくコウの興味対象へと話題を移行させていく。コウは時おり僕を見あげて説明を挟みながら、けれど多くはバニーに向かって生き生きと話してくれていた。バニーはもうコウの警戒感を解すのに成功しているみたいだ。
そろそろ時間だ、ということで正面入り口に向かって歩きながらそんな雑談に花が咲いた。もっとも、僕は道々すれ違いざまに話しかけてくる他の連中をあしらうのに忙しくて、この二人の会話を伺う余裕なんてなかったのだが。
豪華なドレスの姫君や無難に燕尾服の紳士が多い。逆にお手軽なサンタクロースやウォーリーも何人もいる。だが顔じゅうを塗り潰した派手な化粧や、被り物をしている仮装がほとんどで、話しかけられても誰が誰だか判らない。
「きみはもう逃げだしたくなってるみたいだな」
バニーが揶揄うような視線を僕に向け、耳許に顔を寄せて囁いた。コウは物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しながら、「あ、美女と野獣のカップルがいる!」とか、「ジャックはマメの蔓まで巻きつけてるんだね!」とか言いながら、彼らの仮装を楽しんでいる。
「きみに送別のプレゼントだよ」と、バニーが手にしていたエコバッグを胸元まであげた。中から銀色の仮面を取りだし、そのまま僕の顔に被せる。表面の口許がつき出ていて飲食できるように空いている。
「カサノヴァの面って言うらしいよ。きみにぴったりだろう?」
「それは皮肉?」
思わず笑ってしまいながら、いったん仮面を取りはずす。
「きみの分も用意しておいたよ」
バニーはコウにも、別の形の仮面を渡している。前に知り合いばかりのこの場所でコウを晒し者にされるのは嫌だと言った、僕の正直な気持ちを覚えてくれていたのだ。僕のものよりも顔を覆う面積は少ないヴェネツィアン・アイマスクだ。羽飾りのついた鈍い赤色の面に蔦模様の入る華やかなものだ。
「コウ、これを持っていて」と僕の仮面を預け、しげしげと精緻な模様に見とれていた彼からそれを取りあげて顔にあて、後頭部でリボンを結んだ。
「うん、いいね。かわいい。似合うよ、コウ。ありがとう、バニー」
「アル、コウ!」
ショーンだ。僕たちを見つけて大きく手を振っている。それにマリーも。――それとも、怪しげな魔術師と御伽噺の姫君と呼ぶべきなのだろうか。彼の衣装は黒づくめのスーツにアカデミック・ローブ。裏地はえんじ色だ。あの捻りのきいた木の枝は魔法の杖なのだろうか。対するマリーは青と空色の二色を切り替えた煌びやかなドレスを着ている。豊かな金髪に小さなティアラをのせて。これも御伽噺の誰かなのだろう。
そういえば、マリーは名前も知らない男を探すために、ここへ来たがっていたのだと思いだした。どうりで力が入っているわけだ。
「マリー、オーロラ姫だね! すごく綺麗だ! 」
コウがマントを翻して彼らに駆け寄っている。だがマリーは驚いているのか口許を両手で覆い、その場に固まってしまっている。
仮面はまだ手に持っているし、僕が誰だか判らないわけではないだろう。はたと気づいて、傍らのバニーをまじまじと見つめた。
「灯台下暗しだったな――」
長身痩躯、栗色の髪。優しそうなマリー好み。僕と親しげに話していたこのキャンパスの誰か。
ぴたりと当てはまる人物がここに一人いるじゃないか。
*****
アルバート公……アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ公子。イギリス女王ヴィクトリアの夫。
「二人お揃いなんだね。アルバート公の仮装かな? 似合ってるよ」
ダブルのフロックコートに腹部に下がる懐中時計のチェーンとくれば、僕と同名のアルバート公は無難な連想だ。
「残念、はずれ。これは、」
「ホームズだ! シャーロック・ホームズですね!」
コウが僕を遮って声をあげる。
「惜しい! ワトソン博士だよ」
「あ、そうか! それでコートと鳥打帽子はなしなんだ」
「ああ、それは挿絵やドラマで後から演出されたイメージなんだ。原作にはそんな描写はないんだよ」
まるでついていけない。僕が知らないだけで、バニーの着ているような地味な格子柄のウールスーツは、ホームズやワトソンの代名詞なのだろうか。
二人は推理小説の話題ですっかり盛りあがっている。僕はコウにそんな趣味があることさえ知らなかったよ。
「学校の課題以外で小説ってあまり読んだことがなくて。でもダートムーアへ行ったからさ。この場所が舞台の『バスカヴィル家の犬』を読んでみたいって思ったんだ」と、コウが僕に応えて言った。
「観光で行ったの、それとも調査かなにかかな? グリムズポンドの円状巨石列柱は見てきたかい?」
「はい。後から本で辿って情景を思いだして、二度楽しめました。遺跡巡りは純粋に観光です。専門ではないので。でも――」
バニーは意図していたのだろうか。仮装の衣装から無理なくコウの興味対象へと話題を移行させていく。コウは時おり僕を見あげて説明を挟みながら、けれど多くはバニーに向かって生き生きと話してくれていた。バニーはもうコウの警戒感を解すのに成功しているみたいだ。
そろそろ時間だ、ということで正面入り口に向かって歩きながらそんな雑談に花が咲いた。もっとも、僕は道々すれ違いざまに話しかけてくる他の連中をあしらうのに忙しくて、この二人の会話を伺う余裕なんてなかったのだが。
豪華なドレスの姫君や無難に燕尾服の紳士が多い。逆にお手軽なサンタクロースやウォーリーも何人もいる。だが顔じゅうを塗り潰した派手な化粧や、被り物をしている仮装がほとんどで、話しかけられても誰が誰だか判らない。
「きみはもう逃げだしたくなってるみたいだな」
バニーが揶揄うような視線を僕に向け、耳許に顔を寄せて囁いた。コウは物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しながら、「あ、美女と野獣のカップルがいる!」とか、「ジャックはマメの蔓まで巻きつけてるんだね!」とか言いながら、彼らの仮装を楽しんでいる。
「きみに送別のプレゼントだよ」と、バニーが手にしていたエコバッグを胸元まであげた。中から銀色の仮面を取りだし、そのまま僕の顔に被せる。表面の口許がつき出ていて飲食できるように空いている。
「カサノヴァの面って言うらしいよ。きみにぴったりだろう?」
「それは皮肉?」
思わず笑ってしまいながら、いったん仮面を取りはずす。
「きみの分も用意しておいたよ」
バニーはコウにも、別の形の仮面を渡している。前に知り合いばかりのこの場所でコウを晒し者にされるのは嫌だと言った、僕の正直な気持ちを覚えてくれていたのだ。僕のものよりも顔を覆う面積は少ないヴェネツィアン・アイマスクだ。羽飾りのついた鈍い赤色の面に蔦模様の入る華やかなものだ。
「コウ、これを持っていて」と僕の仮面を預け、しげしげと精緻な模様に見とれていた彼からそれを取りあげて顔にあて、後頭部でリボンを結んだ。
「うん、いいね。かわいい。似合うよ、コウ。ありがとう、バニー」
「アル、コウ!」
ショーンだ。僕たちを見つけて大きく手を振っている。それにマリーも。――それとも、怪しげな魔術師と御伽噺の姫君と呼ぶべきなのだろうか。彼の衣装は黒づくめのスーツにアカデミック・ローブ。裏地はえんじ色だ。あの捻りのきいた木の枝は魔法の杖なのだろうか。対するマリーは青と空色の二色を切り替えた煌びやかなドレスを着ている。豊かな金髪に小さなティアラをのせて。これも御伽噺の誰かなのだろう。
そういえば、マリーは名前も知らない男を探すために、ここへ来たがっていたのだと思いだした。どうりで力が入っているわけだ。
「マリー、オーロラ姫だね! すごく綺麗だ! 」
コウがマントを翻して彼らに駆け寄っている。だがマリーは驚いているのか口許を両手で覆い、その場に固まってしまっている。
仮面はまだ手に持っているし、僕が誰だか判らないわけではないだろう。はたと気づいて、傍らのバニーをまじまじと見つめた。
「灯台下暗しだったな――」
長身痩躯、栗色の髪。優しそうなマリー好み。僕と親しげに話していたこのキャンパスの誰か。
ぴたりと当てはまる人物がここに一人いるじゃないか。
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