夏の扉を開けるとき

萩尾雅縁

文字の大きさ
214 / 219
第五章

風 4

 コウの甘やかな眼差しが、僕のうえで留まる。指の先で僕の仮面に触れる。僕はようやく、この被り物で表情が見えないことが彼を不安にさせていると気づき、これを外した。

「アル」

 コウはいつの間に、こんなふうに僕を見つめておねだりすることを覚えたのだろう。かわいくて、どんな願いだって叶えてあげたくなる。

「コウ、お願いって?」
「屋根裏部屋のこと。きみがいなくて、僕とショーンだけじゃ、マリーも女の子ひとり気まずいんじゃないかと思うんだ。それで、」
「え、そんなことないわよ! べつに今のままで、」
「そうだろ! コウ、今さらだろ!」

 マリーもショーンも寝耳に水なのか、口を揃えてコウを遮る。僕にしても、「屋根裏部屋」の一言で、一気に気分が盛り下がった。一瞬、赤毛をあそこへ住まわせたいと言いだすのかと思ったけれど、マリーを気遣っているならそれはないだろう。まさかコウが女性に絞って募集をかける、なんて言いだすとは想像だにしていなかったので、何て応えるべきか困惑する。つい、バニーに視線を走らせた。僕はどうするべきなのか、彼の表情を窺った。もちろん、彼が答えてくれるはずがない。こんな僕の内心の動揺をくすりと笑って見ているだけだ。

「マリーもショーンも、これ以上同居人は増えない方がいい? でもマリー、きみは本当はミラと暮らしたかったんだろ?」
「いつの話をしてるのよ! 今はそんなこと欠片も思っちゃいないわ!」
 
 いつもの彼女よりも幾分抑えたトーンで、マリーはちらとバニーの様子をうかがいながら言い返している。

「なにも彼女を、って言いたいわけじゃないんだ。僕の、親戚がこっちに来ることになって……。女の子と暮らすなんて、どうしていいかわからなくてさ。僕がドラコの家へ引っ越してそこで暮らしても、そりゃ、いいんだけど――」

 コウはまた、僕の反応を伺うように上目づかいに僕を見る。どうやらコウが一番欲しいのは僕の受諾だ。でもこれはお願いではなく、強迫だ。僕が頷かなければ、コウは僕たちの家を出ていく。そう言っているのだから。

「親戚?」
「女の子? どんな子なんだ? いくつだって?」

 拍子抜けたようなマリーとショーン。心はもう受け入れ態勢に傾いているようだ。ショーンはコウによく似たかわいらしい少女でも想像しているのだろう。マリーにしても。けれど僕には嫌な予感しかない。「こっちに来ることになった女の子」なんて、脳裏に浮かんだのはあの顔しかない。


「歓談中申しわけないが、アル、ちょっといいかな」

 バニーがひどく真剣な顔をして立ちあがった。「あとで詳しく聴くから」と言い残し、僕も席を外す。フロアに面したフランス窓を睨みつけるようにバニーは見つめている。そんな彼をいぶかしく感じ「どうしたの?」と小声で尋ねた。

「フロアの様子がおかしい」

 バニーは真っすぐに開かれた出入口へ向かっている。僕は横に列なる窓越しにフロアを眺めた。ここに来た時、この階にはそんなに多くの人がいたわけではなかった。だからこの違和にすぐにはピンとこなかったのだ。ガラス越しに、さきほどまでとは比べ物にならないほど人がいる。だがフロアは空っぽだ。その場の連中すべてが、階下を見おろす手すりに鈴なりになっているのだ。

 息を殺しているかのような静寂に包まれたフロアに、木製の床を踏む僕たちの足音こそが、大きな違和をしこんでいるようで。

 窓と同じアーチ形の連なりの一端にわずかな空きを見つけ、吹き抜けの大広間を見やる。横でバニーがくっと笑った。

「なんとも派手なご登場だな」
「会ったことあるんだっけ?」
「一度ね。きみを家まで送っていったときに」

 
 僕たちの視線の先にいるのは、案の定、奴だった。上も、下も、ここにいる連中のすべてが奴に見入っていた。いつかの不快な記憶が蘇ってくる。けれどあのときと違うのは、奴はフロアにいるのではなく僕と同じ目線上にいるということだ。

 天井からぶら下がる、白い日傘を広げて逆さまにしたようなペンダントライトに、赤毛は腰かけているのだ。赤い綿毛のような煙を周囲に漂わせ、波間を揺蕩う小船を操るように、奴はゆらゆらとライトを揺らしている。アーノルドの作った人形が着ていたのと同じ、深紅のインバネスコートの腕を指先まで伸ばし、金粉をまき散らしながら。
 奴の手から離れた金粉が、瞬く間に小さな鳥に変わる。ナイチンゲールのような軽やかで愛らしい囀りが大広間に満ち満ちていく。大口を開けて奴を眺めている階下からも、僕たちのいるこのフロアからも、感嘆のどよめきと拍手があがった。

「これが噂に聞く彼の魔術マジック? なるほど見事なものだね」

 バニーは奴から目を離さないままで呟き、拍手している。

 奴の背後に列なる窓はすでに闇色に包まれ、室内のウォールライトは暖色の光を灯していた。だが、そのせいだとは思えないほど、この空間は赤く、赤く染まっている。

「こんなものじゃ終わらないよ」

 僕は考えるよりも先に呟いていた。エリックの店での騒動の記憶が、ざわざわと胸を掻き乱していたのだ。こんなものじゃない。奴の本領は焔なのだ。

 赤い中空を飛び交っていた金色の小鳥が、アーチ状にフロアを仕切る柱の前に置かれた大きな観葉植物に次々と降り立っていく。小鳥は金の蕾に変わり、次々とほころんで金色の花を咲かせている。植物の緑の枝葉は瞬く間に金の蔦に絡みつかれ、蔦は柱をつたい、天井へと伸びていき――。絡まり合いながらこの会場を包みこんだ。僕たちは、金の繭玉に囚われているようで。――息苦しくてたまらない。

「いつもいつもこれだ。奴は何がしたいんだ?」
「遊ぶことに意味を求めるのかい?」

 バニーは目を細めて笑っている。

 遊び――。

 中空で振り子のように揺れている赤毛に視線を戻した。と、奴も僕を見た。唇の一方だけを憎々し気に吊り上げて。

 こんな奴を、僕が受容できるはずがない。

 そう実感したのと同時に、パンッ、と風船が割れるような音がした。それは、アーチ窓すべてのガラスが砕け散った音だった。




感想 4

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

さよなら、永遠の友達

万里
BL
高校時代、バスケットボール部のキャプテン・基樹と、副部長として彼を支える冷静な舜一。対照的な二人は親友であり、マネージャーの結子を含めた三人は分かちがたい絆で結ばれていた。しかし舜一は、基樹への決して報われない恋心を隠し続けていた。 卒業を控え、基樹との「ずっと一緒にバスケをする」という約束を破り、舜一は逃げるように東京の大学へ進学する。基樹を突き放したのは、彼が結子と結ばれる幸せを近くで見届ける自信がなかったからだ。 10年後。孤独に生きる舜一のもとに、基樹から「結子が事故で亡くなった」という絶望の電話が入る。ボロボロになった親友の悲痛な叫びを聞いた瞬間、舜一の中にあった想いが目を覚ます。仕事もキャリアも投げ出し、舜一は深夜の高速をひた走る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。