山奥の神社に棲むサラマンダーに出逢ったので、もう少し生きてみようかと決めた僕と彼の話

萩尾雅縁

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4.風の卵 その1

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 お盆を過ぎたころからさわさわと涼しい風が吹き始める。
 僕の心もざわざわと、漠然とした不安と焦燥に駆られ始めている。

 この夏の間に、膨大な量の知識を食らいつくしたサラマンダーは、

「I have an appointment with my lawyer tomorrow to discuss the contract. Could you give me some advice? (契約を話し合うために、明日、弁護士と約束しているんだ。きみのアドバイスをくれるかい?)」
なんて、僕に話しかけてくるようになっている。発音もまぁまぁ。僕があげたラジオで、彼は毎日英会話を聞いているからね。さすがにラジオを食べても知識は身につかない、って解っているのは、きっと僕の知らない間に、ラジオやテレビ、パソコンなんかも食べたことがあるんじゃないのかと思うのだけれど、どうだろう?


「へぇ~、きみに弁護士がいるなんて初耳だな」
 瞬く間に上達した彼の英語をほめるのも癪だったので、僕は素知らぬふりをする。
「ほら、さっさと回答を選べよ、コウ」

 くるくると黄色い火花を飛ばしながら、僕の周りを飛びまわる彼。解っちゃいるけど、呆れ返りながら、彼の動きを目で追っている。

「また過去問を食べたの? あれはきみにはあげられないって言っただろ」

 キィーと腹立たしげな高音が響く。怒っているのは僕の方なのに!

「俺は勉強しているんだぞ! もっと協力してくれたっていいだろう!」

 食べてるだけのくせに――。

 僕の内心の呟きが聞こえたのか、彼は僕の髪の毛を数本掴んで引っ張った。

「first of all, you have to make it clear to him what you want him to do for you.(まず第一に、きみは彼に、きみの代わりにして欲しいことをクリアにする必要があるね)」

 僕はため息交じりに、彼の出した問いの答えをそらんじてみせた。
 赤からオレンジ色に彼を包む空気が揺らめいて変わる。喜んでいる証拠だ。

「お前の英語、マシになったじゃないか! そろそろイギリスに行けるんじゃないのか?」

 また始まった――。二言目にはイギリス、イギリスって。そんな簡単に行けるわけないだろ。僕は受験生だっていうのに。

 ああ、ほら、思いだしてしまったじゃないか。

 僕は聞こえないふりをして、樹々を揺らす風のさやけさに耳を澄ませる。神社の境内に落ちる影はひんやりと冷たく、あんなに煩く鳴いていた蝉の声もずいぶんと大人しくなっている。そのせいか、今まで気づかなかった滝つぼの水音が急に耳に迫り、気になり始めた。

「そういえば、まだ滝つぼを見に行ったことがなかったな」

 そう呟いた僕の頭上を彼が慌てたように旋回し始める。超高速で。彼の放つ光の残像で綺麗な線がたなびき、複雑な図形が描かれる。ペンタグラムのような――。その上に、僕にはよく判らない文字だか図案だかみたいな変な模様がにょきにょき動いている。見ているだけで、目がチカチカする。
 でも、これは光の残像に過ぎなくて。何回か瞬きをしていると、直に消えてしまった。

「せっかくだから見にいってくる」

 僕はお社の階段から立ちあがり、足を踏みだした。白い玉砂利がシャリッと音を立てる。

 キィー!

 鋭い叫び声があがったかと思うと、旋風が駆けぬけた。
 激しい風に煽られて逆立った髪を抑え、肌を叩く細かな風塵から守るため腕で顔を覆う。目を眇めて腕の隙間から眺めた視界を、渦に巻き込まれて旋回する木の葉の緑がせわしなく邪魔をする。

 そしてそれらは、突然はらりと地に落ちた。

 何事もなかったように静寂が戻った境内の玉砂利が朝露に濡れたように光り、緑の葉はご神木の周りにだけ、掃き集められたようにはらはらと敷き詰められている。

「見えるか?」

 珍しく動き回らずにじっと宙に浮かんでいた彼が、くるりととんぼ返りを打つ。その彼の背後、空気を震わせるようにかすかに葉を揺らせて佇んでいるご神木の幹に、トランプが一枚刺さっていた。

 スペードのエースの札だ。




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