僕の過保護な旦那様

cyan

文字の大きさ
155 / 571
二章

153.没収

しおりを挟む
 
 
「マティアス、『ちゅうして』と言ってもいいんだぞ」
 ソファに並んで座って今日あったことを話していると、話が途切れたタイミングでラルフ様が言った。
 ラルフ様は最近僕にそのセリフを言わせたがる。僕が酔った時に気分が高揚して言ってしまったセリフだ。薄っすらと記憶にある恥ずかしいセリフ。

「ラルフ様、ちゅうして」
 そう言うとラルフ様が嬉しそうに僕にキスしてくれるから、羞恥心を我慢して言う。ラルフ様の期待に応えたい気持ちも少しはあるんだけど、言った時のラルフ様の蕩けるような笑顔が好きなんだ。その笑顔見たさに、僕は羞恥心を我慢する。
 だけど何度も言っていると、そんなに恥ずかしがるようなことでもない気がしてきた。麻痺してきたってことかな? 但し人前では絶対に言えない。

 でも今日はラルフ様の様子が少し違った。一瞬不思議そうな顔をして、そして唇が重なるといつものように温かい舌がトロリと絡んできた。気のせいかな? 気持ちよくて吐息が漏れる。

「違うな」
 ラルフ様が急にキスをやめてそう言った。突然そんなことを言われて、僕はなんのことか分からなかった。
「へ?」
「可愛いことに変わりはないが、マティアスらしくない」
「なんのことですか?」
 僕は本気で分からない。刺繍のこと? それともハーブオイルのこと? ポポファミリーを量産していること?

「マティアスは大胆だが、あざとさはない」
「うん?」
 うん、そうだと思う。大胆って自覚はないけど、あざとさなんてもっとない。誰にもあざといなんて言われたことはないし、なんで急にラルフ様がそんなことを言ったのか分からなかった。

「『キスして』と言ってみてくれ」
「はい?」
 急になんなのか分からず、僕は「キスして?」と言ってみた。
「マティアス、好きだ」
「うん。僕もラルフ様のこと好きですよ」
「やっぱりマティアスは『ちゅうして』よりも『キスして』の方が似合う」
 はい?
 僕は似合わないのに、ラルフ様にそんな恥ずかしいセリフを言わされていたのかと思うと腹が立ってきた。確かに僕も少しは乗り気だったけど、酔っていないのに自ら言ったりしない。

「やっぱり僕はラルフ様のこと嫌いです!」
「なぜだ!?」
 僕がラルフ様を押し返してそっぽを向くと、ラルフ様は急に立ち上がって目を見開いた。横目で見ると握りしめた拳はプルプルと震えている。
「僕は今日はシルと寝ますから、ラルフ様は一人で寝てください」
 僕は立ち尽くすラルフ様を一人置いて部屋を出た。

 シルの部屋の扉を開けると、また増えたポポ一族がずらりと並んでいる。数々のポポ一族と目が合うと、一気に怒りは霧散して、こんなことで怒って逃げ出してきた僕が格好悪く思える。

 その横にはフェリーチェ様が刺繍してくれたポポスカーフも置いてある。
 シルの部屋は完全にポポに支配された。

「ママ、これよんで」
「うん、いいよ」
 ベッドに入ってシルが見ていた本を読んであげると、シルは物語が終わる前に眠ってしまった。
 腹が立ったからと言って、ラルフ様を置いて部屋を出てしまったのは大人気なかった。
 まだラルフ様が落ち込んでいるような気がして、少しだけ様子を見てみようとベッドをそっと抜け出す。部屋の扉に手をかけたのに、扉は開かなかった。
 もしかして、扉の外にはラルフ様がいて、寝ずの番ってやつをしているんだろうか?

「ラルフ様、そこにいるんですか?」
「マティアス……」
 やっぱりそこにはラルフ様がいた。僕は開かない扉にもたれて座ると、ラルフ様に話しかけた。
「嫌いなんて言ってごめんなさい」
「いいんだ。きっと俺がマティアスに嫌われるようなことをしてしまったんだ」
 別に嫌ってはいない。ただちょっと腹が立って嫌いなんて言ってしまっただけだ。

「恥ずかしかった」
「何があった? まさかアリーが何かしてきたか?」
 扉の向こうでガタンと音がした。夜なのに僕の返答によってはすぐにでも敵を倒しに向かう気なのかもしれない。
「いえ、クロッシー夫人は関係ありません。ラルフ様が僕に恥ずかしいことを言わせました」
「いつだ?」
「最近よく言わされていましたよ。『ちゅうして』って。それなのに似合わないって。ラルフ様が言わせたくせに酷いです」
 次はドゴッと鈍い音がした。それ何の音ですか?

「違うんだ! 似合わないのではない! とても似合う! 似合うんだが、俺の好みというか、マティアスには失礼なことを言った。すまない。怒らせるつもりはなかった」
 似合うんだ? それはそれで複雑な気分だけど……
 怒らせるつもりがなかったのはそうでしょうね。ラルフ様は僕を怒らせようとしたことなんてありませんし。

「分かっています。ちょっと腹が立っただけです」
「すまない。どうしたら許してもらえる?」
 さっきから断続的にドゴッと鈍い音が聞こえるんですが、それは何の音ですか? 聞きたいような聞きたくないような……

「もう怒ってないですよ」
「そうか」
 ふぅ~っとラルフ様の長い吐息が聞こえた。
「それでさっきから何をしているんですか?」
「反省しながらマティアスと話をしている」
 それはそうだけど、僕が気になってるのはその音です。

「ラルフ様、扉を開けてもらえますか?」
「今日はやめておこう。俺は朝までちゃんとここで番をする」
 そんなの必要ないよ。野営しているわけでもないし、ここは高い塀に囲まれた王都で最も安全と思われる家の中だ。
「そんなことしなくていいですから、部屋で寝てください」
「分かった」
 本当に分かったのかな? しばらく僕が静かにしていると、足音が去っていく音がした。ラルフ様が部屋に戻ったんだろう。僕は安心してシルのベッドに戻って目を閉じた。

 朝になると僕はラルフ様の部屋を訪ねた。ちゃんと寝れたのかな?
「昨日はごめんなさい。え? それ、どうしたんですか!」
 騎士団の制服を着ようとしていたラルフ様の脇腹に赤黒い、まだ新そうな痣をみつけた。ラルフ様がそんな傷を負った姿は初めて見る気がする。
「なんでもない」
 そう言うとラルフ様はサッとボタンを留めて隠してしまった。
 なんでもないわけないよね? 痛そうだったし。

「僕に隠し事ですか?」
「そうではないが、言いたくない」
 言いたくない? 模擬戦で負けたことが格好悪いから言いたくないとかそういうこと? ラルフ様が負けることなんてあるんだろうか? 僕の中ではラルフ様は最強で、ラルフ様が誰かに負けるなんて想像できないんだけど。
 僕はジッとラルフ様を見つめた。

「ふぅ、マティアス、怒らないでくれ」
「怒っていませんよ」
「反省のために自分でやった」
「はい?」
 もしかして、昨日扉越しに聞こえていた音って……
 なんてことだ。僕はラルフ様の制服を捲って痣を確認した。骨、折れてないよね?
 間近で見ると本当に痛そうだ。

「もうこんなことしないで下さい。ラルフ様は僕の大切な人なんですから」
「マティアス……」
 僕のせいだ。僕がラルフ様を追い詰めた。
 服で隠れるところにしたの? でもどうやって? こんなに痣になるまでって……

 まさか……ちょうど目が合った。机の上に置かれたポポママとピエール二号。
「これ、使いましたね?」
「…………」
 僕が見上げるとラルフ様は目を逸らした。

「これは没収です! ラルフ様はチンアナゴ使用禁止です!」

 ラルフ様を怪我させるようなものを持たせるわけにはいかない。
 するとラルフ様は僕があげた下手なポポの刺繍が入ったハンカチをパッと取って握りしめた。まるでこれだけは絶対に渡したくないとでも言うように。

「それは没収しませんよ。ハンカチは凶器ではありませんので」
「そうか。よかった」
 そんなに大切にしてくれているなんて。嬉しいけどちょっと複雑です。頑張ってラルフ様の名前や花を刺繍できるように練習するので待っていて下さい。

「マティアス、許してもらえるなら今日は一緒に寝たい」
「僕は怒っていませんよ。一緒に寝ましょう。それより怪我までさせてしまって、僕の方が謝らなければ……ごめんなさい」
「大丈夫だ。こんなのは大したことない」
 そう言ってラルフ様は僕のことを抱きしめてくれた。

「でも……」
「心配ない。マティアスは何も悪くない」
 ラルフ様は少し困ったような顔で、腕の中の僕の顔を覗き込んだ。
「ラルフ様、キスして?」
 一瞬驚いて、蕩けるような笑顔に変わると、大きな手は僕の背中からうなじに回されて、そっとキスしてくれた。

「ラルフ様、もう行かないと遅刻しますよ」
「大丈夫だ。全力で走れば俺は馬より速い」
 ええ!? 馬より速いの? それって人外じゃない? やっぱり僕の旦那様は最強だと思う。

 
しおりを挟む
感想 220

あなたにおすすめの小説

さようならをゆるして

あんど もあ
ファンタジー
アンジーのスキルは「自分の寿命を他の人に分け与えられる」というもの。アンジーは、そのスキルを使って瀕死の婚約者のヒューゴの命を救うが……。

閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。

黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、 妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。 ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。 だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。 新たに当主となった継子は言う。 外へ出れば君は利用され奪われる、と。 それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、 私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。 短いお話です。

「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」 仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました

Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。 伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。 理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。 これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。

公爵令息と悪女と呼ばれた婚約者との、秘密の1週間

みん
恋愛
「どうやら、俺の婚約者は“悪女”なんだそうだ」 その一言から始まった秘密の1週間。 「ネイサン、暫くの間、私の視界に入らないで」 「え?」 「ネイサン……お前はもっと、他人に関心を持つべきだ」 「え?えーっ!?」 幼馴染みでもある王太子妃には睨まれ、幼馴染みである王太子からは───。 ある公爵令息の、やり直し(?)物語。 ❋独自設定あり ❋相変わらずの、ゆるふわ設定です ❋他視点の話もあります

悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました

あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。 そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。 平民出身のヒロインの「善意」、 王太子の「優しさ」、 そしてそれらが生み出す無数の歪み。 感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。 やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。 それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。 なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。 これは、 「断罪される側」が最後まで正しかった物語。 そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。

【8+2話完結】氷の貴公子の前世は平社員〜不器用な恋の行方〜

キノア9g
BL
氷の貴公子と称えられるユリウスには、人に言えない秘めた想いがある――それは幼馴染であり、忠実な近衛騎士ゼノンへの片想い。そしてその誇り高さゆえに、自分からその気持ちを打ち明けることもできない。 そんなある日、落馬をきっかけに前世の記憶を思い出したユリウスは、ゼノンへの気持ちに改めて戸惑い、自分が男に恋していた事実に動揺する。プライドから思いを隠し、ゼノンに嫌われていると思い込むユリウスは、あえて冷たい態度を取ってしまう。一方ゼノンも、急に避けられる理由がわからず戸惑いを募らせていく。 近づきたいのに近づけない。 すれ違いと誤解ばかりが積み重なり、視線だけが行き場を失っていく。 秘めた感情と誇りに縛られたまま、ユリウスはこのもどかしい距離にどんな答えを見つけるのか――。 プロローグ+全8話+エピローグ

処理中です...