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7.裁きのとき
50.
しおりを挟む「アル様、エルヴァニアで少々問題が発生しているようです」
「問題ですか?」
エデラーさんはどこでその情報を仕入れてくるのか、国内だけでなく、周辺諸国についても詳しい。歴史だけでなく、今起きていることまで情報を仕入れてくるんだ。
きっとエデラーさんは勉強を教えてくれるただの教師じゃない。
いつも穏やかな笑みを浮かべるエデラーさんが少し困ったような顔をしていたから、問題は少々ではないのだと分かった。
僕はもうエルヴァニアには帰れないのだし、ただの平民の僕に何ができるわけでもない。
だけど家族のことが気になった。
エデラーさんの話では、気候変動により農作物の収穫量が落ち、各地で飢餓が発生しているのだとか。
僕は俄には信じられなかった。エルヴァニアは温暖な気候で豊かな自然と実り多い国だ。
お金に余裕がなくて肉はあまり食べられなかったけど、穀物や野菜は豊富にあった。
僕が暮らした十八年の間に、作物不足なんて一度もなかった。父を亡くして母は病気を患い、それでも僕の少ない稼ぎでなんとかなっていたのは穀物が安かったからだ。
帝国に来て、エルヴァニアの豊富な実りが当たり前でないことを知った。
帝国はお肉やお金はたくさんあるけど、日照り不足で作物の育ちが悪い。皇帝はずっと対策に追われていた。
近頃は帝国も晴れる日が多くなって、作物の発育はよくなってきた。収穫の時期が楽しみだと皇帝が話してくれたんだ。
「作物の収穫量が落ちたとしても、そんなに早く飢餓が出ますか?」
「王家が買い占めていると噂があります。王家だけではないと思いますが、価格が上がって貧困層は買えなくなったのではないでしょうか」
「そんな……」
家族のことが心配になった。僕が帝国に来たからお金にはまだ余裕はあると思うけど、それでも物がなければ買うことはできない。
僕は王子様の身代わりだから、家族が無事か調べてくれとは言えない。だけど生まれ故郷を心配するのはおかしくないよね?
「気候変動とは、何があったんですか?」
「雨が続いているそうです。川の水嵩が増して橋が落ちたり、畑が水浸しになって作物が枯れたと聞いております」
それって、食料だけの問題じゃないよね?
橋が落ちたら移動ができなくなる。人だけでなく物も移動できない。畑だけでなく家も水浸しになったらどこで暮らすんだ……
家族が無事か知りたい。会えなくても手紙でもいいんだけど、許してもらえないよね……
「エデラーさんを疑っているわけではないですが、本当にそんなことが?」
「エルヴァニアと帝国を行き来している商人からの話ですので、エルヴァニアの全ての地域か、それとも一部かは分かっておりません。私も今調べているところです」
その商人が行った地域だけかもしれない。きっとそうだ。
気にはなったけど、僕には調べる手段がない。家族の無事を信じることしかできなかった。
エデラーさんからの続報を待とう。待ったとしても、何もできないけど、知りたい。
他国のことだから、情報を得るのに時間がかかっているのか、しばらくエルヴァニアの話は出なかった。
どうしても気になって、ソワソワしてしまうことが増えた。
「アル、エルヴァニアのことが気になるか?」
「はい。気になります」
「王から文が届いた」
王からの文……
皇帝からもたらされた報告に、血の気が引いていくのを感じた。皇帝の顔色をそっと窺ってみると、眉間に皺を寄せていた。もしかして僕の正体がバレたんだろうか?
「文にはなんと?」
「宝石を融通してほしいと書かれていた」
「宝石……穀物などではなく?」
国では飢餓が発生しているのに宝石?
正体がバレる怖さより、理解できない怖さを感じた。何を考えているんだ……
「そうだ。食べ物のことは何も書かれていなかった。駐屯する我が軍への食糧の供給が滞っていると報告を受けているから、農作物が不足しているのは本当だろう」
「申し訳ございません」
「アルのせいではないから気にするな。だが王は何を考えているんだろうな?」
エデラーさんは忙しいらしく、数日前から姿を見ていない。調べてくれているんだろうか?
皇帝とそんな話をした数日後、エデラーさんからの続報ではなく、とんでもない客人が訪れた。
「アル、謁見室に行く。着替えろ」
「はい」
久しぶりに皇帝の肩の辺りに黒い靄が漂っていて、眉間には深い皺を作ったまま、皇帝は部屋に戻ってきた。
とても機嫌がいいとは言えない雰囲気で、急に謁見室に行くなんて何があったのかと疑問は湧いたけど、聞くこともできなかった。
「エルヴァニアから王子を名乗る男が来た。お前の兄弟だろう」
廊下を歩きながら、皇帝は僕を見ずにそんなことを言った。
血の気が引いていく。石の床を踏み鳴らす皇帝のブーツの音が、カツン、カツンと反響するように頭の中に響いて、僕はこの命の終わりを悟った。
逃げても捕まる。僕の意思ではなくても、皇帝を騙したことに変わりはない。僕は黙って運命を受け入れよう。
「アル、どうした?」
「なんでもありません」
死ぬのは怖い。家族の無事が確認できなかったのは心残りだけど、もう今さらどうにもならない。
皇帝は僕の手をとった。怖くて止まりそうになる足、僕の足が遅いから手を取ったんだろう。少し冷たくて大きな手。今は優しいこの手が、きっと僕を殺すんだ。
謁見室はがらんとしていた。僕がお城に来た日は、左右にたくさんの人が並んでいたけど、今日は入り口の左右と、皇帝の左右に軍人が二人ずつ立っているだけだ。
皇帝が名乗り、跪いた猫人族の男が顔を上げると、訪ねてきた王子というのはアルバン様だった。
なぜこの人がここに?
僕はアルバン様と目を合わせたくなくて、ずっと俯いたまま顔を上げられなかった。
「皇帝陛下、発言の許可をいただけますか?」
「よかろう、言ってみろ」
「アルフレート、お前の役目は終わりだ。これからは身代わりのお前ではなく、王子である私が皇帝を支えていくから安心しろ」
──終わった。
指先からゆっくりと感覚が失われ、景色が色を失い灰色の世界になった。豪華な椅子に座った皇帝が僕に視線を送ったのは分かったけど、僕は皇帝を見ることも、言葉を発することもできなかった。
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