瀬をはやみ

怜悧(サトシ)

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忘れえぬひと

side Hasegawa

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腕を引かれたまま廊下に出ると、彼は速度を落とすことなくエレベーターへと向かう。
背中の広さも、艶めいて見える髪の流れもあの頃と変わっていない。

「…………腕、離していただけませんか」

なるだけ感情を押し殺して、抑揚をつけずにやっとのことで言うと、漸く彼は足を止めて振り返ってオレを見下ろした。
真っ直ぐな綺麗なアーモンド色の眸。
男らしいくっきりとした輪郭と、柔らかい円を描く目許と、意思の強そうな唇。
あの頃から見た目もとても良かったのだが、くわえて今は穏やかな表情をしていて爽やかに見える。

「悪ィ。ついて…………きてくれるか?」

自信なさそうに眉を下げて、まるで懇願するかのような表情で、オレに問いかける。

「貴方も……知らない振りすれば良かったのに、もう僕とは……縁が切れているんですから」

オレは肩を落としてエレベーターのくだりボタンを押すと、深くため息をついた。
先に、名刺を見て平常心でいられなかったのは、オレの方だ。
知らないふりなんか、できなかったに違いない。

…………忘れるなんてできなかった。

他の誰と付き合っても、体を重ねても、あの頃以上のキモチにはなれなかった。
高校1年の冬に、オレは喧嘩に巻き込まれて大怪我をした。
目を覚ましたときには彼はいた。
ずっと目を覚ますまで付き添ってくれていたと聞いた。
それっきり、何も言わずに綺麗さっぱりとオレの前から消えてしまった。

ヤクザの息子で、刃傷沙汰になってってことが続いたし、保身を考えればそれも仕方のないことだろうと諦めた。
諦める他に、オレは何もできなかった。

「まあ…………そうなっちまうよな。しょうがない。西覇は……いつ、帰国したんだ?」

オレの言葉に少し傷ついたような表情を浮かべたが、ぼやくように天井を仰いだ。
帰国という言葉にオレは目を丸くした。
今、偶然に会ったにしては、オレが日本を離れていたことを知っているんだろう。
確かに、高校3年の時に担任から留学の話をもらい、大学はアメリカのボストンの大学に進学した。
博士コースまですすみ、それまで休暇があっても日本には帰らなかった。
帰ってきても、会いたい人もいないのであれば落ち着いて研究がしたかった。

「去年の8月です。……僕がアメリカに行っていたのをなんで知って……」

エレベーターに乗り込むと、彼はオレの顔をじっと見つめてくる。
あの時と変わらない、ただ真っ直ぐすぎる眼差し。

「俺は大学までは四国にいたんだ。四国で大学までは行ったけど、就職はこっちで決めて………戻ってきた。」

聞いてもいないのに、彼は自分のことを話し始めた。
まあ、彼がどうしてたかなんて聞いても仕方が無いし、どーでもいいなと思いつつ、開いたエレベーターを降りてゆっくりと中庭を歩く。
仕事なら仕方がないが、あまり頻繁に会う気もない。
教授に彼の相手をしてもらうように頼む方がいいだろう。
ここで……二度と会わないと、伝えよう。

オレには、あの時と同じ気持ちは、もう、彼にもてそうにはないから。

「…………オマエんちに行ったよ。そんで、アメリカ行ったって聞いた……。いつ戻ってくるンかなって、毎週末、オマエんちあたりを良く徘徊してる……今でも。もう、5年くらいか……」

一体、何を言ってるんだ?この人は。
オレはその背中をじっと眺めて、深く息をつく。
そういえば、昔からそういうストーカーじみたことを平気でする人だったな。
本人を避けて後ろから見守っていたりしてたっけ……。
こういうところは変わっていないと言うべきだろうか。

「今は……実家では暮らしてません。だいたい…………あんな風に……オレのことを捨てたくせに、いまさら貴方は何言ってるんですか」

まるでそもそも何も無かったかのように、彼はあの時すべての痕跡を消していなくなった。
何一つ、オレに言わずに。
それまでオレを拒絶した他のどんな奴等より、もっとこっぴどくオレを拒否して、いなくなった。
ヤクザの息子とはもうかかわりたくないと言ってくれれば、あきらめもついたのに。

「……そうだな。西覇は怒っていて当然だよな。まさか俺も仕事で会うことになるとは思わなかったけど……。だからさ…………これは運命なのかなとか思ったりしてる」
10年もたってからオレの前に現れて、この人は一体何がしたいというのだろう。
運命とかそんな能天気でバカげたようななことを、どの口で言っているんだ。

本気で怒りが増して、思わず拳を握り締めて、叩きつけようと繰り出す。

パシッと乾いた音が響き、オレの拳は彼の掌に包み込まれていた。

「……俺は、ずっと……一生、オマエのことがスキだ……」

引き寄せられた拳に熱い唇が押し当てられる。
あの時、夢うつつの中で告げられた、最後の告白。
同じ言葉を、まるで時をすすめる呪文でも唱えるかのように、彼はゆっくりと口にした。

その瞬間、あの時止まった時間が動き出したように思えた。
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