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56 ーアールグレイー
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ものすごい大仕事をした気分だが、朝ごはんを食べてひたすら睦みあっていただけである。
時間は10時。
ちょっと落ち着こう、と言って依子はお茶の時間にすることにした。
茶葉から丁寧にアールグレイを淹れて、ソファに並んで2人で飲む。
2人とも無言でぼーっとしている。
譲治が依子の背中に腕を回してくれたので、依子は譲治に寄りかかって甘え、くつろぐ。
「依子さん。一緒に住みませんか。」
「え? どういう...」
「つまりですね。 僕の勝手な願望ばかり先に言ってしまうんですが。
僕はあなたと生活の根っこの部分を一緒に過ごしたいな、と。
もちろん、一日中じゃなくていい。
お互いに仕事や、やりたいことの時間は、ちゃんと各自自由に過ごすのは当たり前なんですけど、一日を終えて、家に帰ってきた時から朝また出かけるまで、とか生活の基本となる部分で、あなたと一緒に過ごす時間を増やしたいんです。
寂しい、とあなたに思わせる時間を、減らしたいんです。」
譲治は依子の反応を内心ビクビクしながら観察する。
「どう思いますか?」
依子は体を起こして、譲治が本心どう思っているかよく見ようとするかのように、その目を見つめる。
「うれしい。私も...譲治くんと普通の生活を営むってことにすごく憧れる。
毎晩一緒にご飯食べて、一緒に眠って、朝はおはよう、って言えるのって一番幸せじゃないかな、って思う。」
「...でも、やっぱり何か心配ですか? ちゃんと聞きますから、ゆっくり話して。」
譲治は、きっと依子がいろいろ思い巡らせて、無邪気にすぐうんとは言わないだろう、と予想していたので、怯えさせないように優しく聞いた。
「いつも優しくしてくれて、本当にありがとう。」
依子はそう言うと少し俯いて続けた。
「そうね、一番の心配は、私のダメな部分がどんどん見えちゃって、嫌われるんじゃないか、ってことかな。
恋愛中って、たまに会っていいところを見せるから、お互いがキラキラして見えるでしょう。会えない時間があるからなお燃えるし。
でも一緒に生活するって、そういう一番良い状態から、どんどんボロが見えてきてポイントが減点されていく過程なのよね。
それに譲治くんが我慢できるか、って心配なの。」
「たとえば?」
譲治が聞く。
「うーん。私ズボラなのよ。きれいにしていないと嫌だから家事はするんだけど、すごく苦手なの。
苦手だから溜め込んでギリギリまでやらないし。
仕事に夢中になってると、家の中ぐちゃぐちゃになるの。
洗濯物だって、今は乾燥機あるからいいけど、干す時とかテキトーだからしわしわだし。
しわしわと言えばアイロン大嫌いだから、本当にやばい時以外しないし。
あとね、ケチだから、調味料とかの加工品は賞味期限切れてもカビ生えてなきゃ使う人だし。
あ、おにぎりとか手で握ったやつ平気?」
譲治は内心、かわいい人だな、と思いながらにこにこしそうなのを抑えて穏やかに真面目に答える。
「全然平気。手で握る以外どうやって作るんですか。」
「たまにいるじゃない、人の握ったおにぎりダメ、って人。
手袋とかラップで包まないと、って。
潔癖症な人の気持ちもわかるのよ、それはいいの。
でも一緒に生活となると厳しいな、と。」
依子はひどく悲しそうだ。
譲治は思った。きっと、それで叱られて、否定された、ってことがあったんだろうな、と。
「他の人は知りませんが、少なくとも僕は今依子さんが言ったようなことは全然平気です。
僕の方がたぶん一段階上でズボラです。
洗濯のしわしわに関しては、僕が何も言わずそーっと伸ばして干し直しておきます。いちいち咎めたりしない。」
依子はびっくりした顔で譲治を見つめる。
「前からたまに思ってたけど、譲治くんて本当天使?めちゃくちゃ良い人ね。」
「家事ごときでいちいちことを荒立ててどうすんですか。
気に食わないことがあれば、その都度落ちついて話し合うか、そーっとカバーすればいいんですよ。」
「ただ、僕も、ガミガミっていきなり切れられのは、ちょっと苦手なので、ぶち切れる前に、ちゃんと言ってください。
言わないで心に溜めてイライラされる方が辛いから。
多分、僕は気が利かないから、察して動く、ってことができないと思う。
それで依子さんイラつくと思いますよ。」
譲治は少し笑いながら言う。
「...ぶちギレたら嫌いになる?」
依子は情けない顔をする。
「そんなわけないでしょ!」
譲治は笑った。
ありがと、と言って依子は譲治を抱きしめた。
依子を抱き止めながら、譲治は聞く。
「あとは? まだ胸の内にしまって吐き出せてないものはありますか?」
依子はまた体を起こして言う。
今度はさらに落ち込んだ様子で言う。
「私ね、譲治くんに本当に気持ち悪い、って嫌われるんじゃないかと思ってあまり詳しく言ってなかったんだけど。」
両手を握りしめて話し始めた。
「離婚した後、たくさん男性関係で失敗したって言ったじゃない?
マッチングサイト使って4~5人付き合ったのよね。
いつも私、一生懸命真面目にお付き合いしてたつもりなんだけど、そういう所の男の人ってけっこう上部だけで、適当なんだって、後で気づいたのよ。
バカよね。簡単に身も心も許して。
かまってくれるから良い人なんだって思い込んで。
過去現在未来の全部の私のやってきたことが間違ってる、俺のいう通りにしとけばいい、とか、仕事しないで俺の所に来い、でも生活費は折半だ、とか、言われたり。」
「中でも1人ね、バツイチ同士で、その人とは割と長く付き合ってたんだけど、貧乏でいつも私が貢いでた。それはまだいいのよ。
でも2人の恥ずかしい所の写真や動画を撮られたの。
自分で楽しむためだけだから、って言うから許しちゃったのよね。
その人自身はただのクズだからまあいいんだけど、その人の別れた奥さんて人がまだ出入りしてて、そのデータを見つけちゃって、私を脅迫してきたの。
ばら撒かれたくなかったら金よこせ、って。
そんなドラマみたいなこと起こるわけない、って思ってたから、いきなり相手が知らないはずの私の携帯に、そんな脅迫がきたら、パニックになるよね。
どうしたらいいかわからなくて、当時一番お世話になってた人に付き添ってもらって、警察に相談したの。
そしたら、あなた人が良すぎて騙されたんだよ、まあ大概大丈夫だから気をしっかり持って、気にしない、って言ってくれた。
何か実際被害が出たら来なさいってことだった。
でもそう言ってもらえて、だいぶしっかりしたわ。
私も、だって未成年ならいざ知らず、もういい歳したおばさんだから、やりたきゃやればいい、って思った。
だって既にそんなの犯罪行為だもの。
なんでそんな世間のゴミみたいな事案に屈しなきゃいけないの?って。
ただ、恐怖で寝られなくて拒食になってたから、精神科に通ってなんとか治してもらったけどね。
たまに蘇っちゃうの。」
依子はにぎりしめた指が白くなるほど、緊張して、声が震えていた。
譲治は依子あまりにかわいそうで、愛おしくて、腕を回して依子を抱きしめる。だが、依子の体には力が入ったままだ。
依子はくぐもった声で言う。
「私バカでしょう。おめでたすぎて情けないわよね。
汚れてるのよ。自分が悪いことしたわけではない、っていうのはわかるの。でも愚かだったわ。愚かであることは、時として罪でもある。
それが、何度も、いつまでも私を殺すのよ。」
「依子さん、そんなに自分を追い詰めないで。
今聞いた話からすると、悪いのはそのクズ野郎どもで、依子さんは悪いこと何もしてない。そうでしょ?
だれだって、叩いて埃の出ない人なんていませんよ。
生きてれば何かしらあります。」
譲治は優しく、腕の中の依子の背中をさすり、腕をさする。
「僕だって20代の頃のダメな自分を思い返すとぶん殴りたくなる。
いつまでもあの記憶が僕を苛むんです。
本当にやる気がない会社員で、自堕落で、何の目標も持ってなかった。
なんとか踏ん張って海外就労したけど、イメージと違って流されるままに仕事してるだけで貧乏なままだ。」
「譲治くんは、自分がダメ人間だ、ってよく言うけど、向上心がないと言いつつちゃんと外国で独り立ちしてる時点で、相当頑張り屋さんだと思うよ。
じゃあ、他の人が容易にできるか、って言ったらそんなに多数派じゃないから、そのレベルの高さがわかるよね?
ちゃんと自分のために努力忍耐できる人だと思うわ。」
依子が今度は譲治を慰めている。
譲治の顔をに手をあてて、顎にキスをする。
「貧乏って言うけど、ちゃんと自立してるじゃない。
誰かに仕送りしてもらってるわけでもないし。それだけで十分よ。」
譲治は、そんなふうに言ってもらえたことがなんだかうれしくて、胸の奥が切なくなった。
その気持ちを注ぐように、依子に口付けする。
深く深く依子に口付けし、舌を絡めあう。
ソファに依子を押し倒して、また張り詰め始めた腰を押し付ける。
「ちょ、ちょっと、譲治くん!」
「あれ、何の話してましたっけ。」
あ、そうか同居の話だ。
我に帰った譲治が依子を起こしてまた座らせた。
「うん。それで、少なくとも僕は大丈夫だと思ってます。
あなたが不安になることがあったら、またその都度こうやって話し合いましょう。
そういうことを一つずつ積み重ねていくのが、生活ってもんじゃありませんか?」
「うん。わかりました。
ありがとう。譲治くんて本当に完璧じゃない?
なんでこんないい男、今までフリーだったのか、不思議だわ。」
「女性にほとんど興味なかったんですよね、依子さんに会うまでは。
彼女いるのいいなーとは思っても、自分から積極的に関与しようって気に全くならなかった。依子さんに会って、自然とエネルギーが湧いてきたんですよ。
だって、依子さん面白いでしょ。ユニークで、クリエティブだし、けっこう
逞しいし。」
うれしい、と言って依子は微笑んだ。
「それにしても、物理的にどうなんだろ?
私、今は見えないと思うけど、仕事道具と在庫がすごい量あるから...。
譲治くんがウチに住む?仕事にはあなたのアパートに通うとか?
でも家賃がもったいないよね...。交通費もかかるし。
だいたい、私が寝る寸前まで作業してるから、譲治くんウチじゃくつろげないよね。
今は、譲治くんが来る時は片付けてるから、わからないと思うけど、すごいよ、作業中。」
「僕もですね、あなたの邪魔はしたくないんです。
好きなだけ仕事してもらいたいし、僕の面倒見てほしいわけじゃない。
ただ、一緒の空間にいたいんです。
それで、考えたんですけど。
今より広い、部屋数の多いアパート借りて、一緒に住みませんか?」
「ええ? それはとても魅力的なお話だけど。私そんな家賃払えるかしら。
折半するにしても今より高いと厳しいかなあ。」
「僕が全額払います。依子さんのこの居心地の良い職場を移動させちゃうわけだから。
実はですね、ハンガリーでの仕事の成果が認められてお給料アップしてもらったんです。
今また取引量が増えてきているので、もっと役職もあげてもらえそうなんです。」
「それはダメよ。申し訳なさすぎる。」
「いや、これは、あなたに対して失礼なのを承知でお願いするんですけど。
正直、僕はあなたのパトロンになりたいくらいなんです。
あなたに、生活の苦労なしに制作に励んで楽しく仕事してほしい。
でも、そこまでの甲斐性がないから、せめて、家賃くらい払って、あなたの居場所を提供したいな、って思うんです。」
「それは...売れないアーティストには天国みたいな話だけど、そんなこと許されないわ。お天道様の下を堂々と歩けない、というか...」
「いや、そう聞こえるかもしれないが、これは、いつでも好きな時にあなたを触りたい、毎日あなたを抱きたい、あなたのいる場所に帰りたい、たまにでいいからあなたのご飯が食べたい、という究極的に贅沢な要望を、さも高尚な精神性に則っているかのように誤魔化して通そうとしているだけです。」
「そんなんでいいの?
全然大丈夫だけど。とてもお家賃半分には足りないんじゃない?」
「わかりました。数字で説明します。」
そう言うと、譲治は紙と鉛筆を借りて、おもむろに何やら書き始めるのだった。
「ちょっと調べたんですが、今の倍の部屋数があるアパートで、同じくらいのエリアだと、単純に家賃倍まではいかなくて少し安いんです。
この広さなら僕も、あなたも、それぞれの仕事をお互いに干渉せず独立してできる。
で、その半額がこれ。
それで、これをブダペストの平均時給換算して割ると月あたりこの総時間。この時間を、僕のために当ててくれるなら、双方損せずウインウインです。」
「なるほど。おっしゃる通り。
これなら毎日の掃除洗濯炊事買い物、その他雑務でちょうど賄える感じね。 でもいいのかな。なんか...大丈夫?」
「僕には願ったり叶ったりです。
家事してもらうためにあなたと一緒になるわけではないけど、そうしないと、納得してくれないでしょ?
それに、そうは言いつつも、僕も掃除洗濯はまあやりたくないので、やってもらえればとてもとても助かります。
でも、ストレス溜まるくらいならやらなくていいですよ。無理じゃない範囲で。」
「うんまあ、そうね。
家事って不思議でね、自分のためだけ、って思うと際限なく適当になるんだけど、あなたのためって思うと、どんどんやる気出るのよ。
だから譲治くんが喜んでくれて、それがお仕事のモチベーションにも繋がるっていうなら、張り切って掃除してご飯作るよ。」
時間は10時。
ちょっと落ち着こう、と言って依子はお茶の時間にすることにした。
茶葉から丁寧にアールグレイを淹れて、ソファに並んで2人で飲む。
2人とも無言でぼーっとしている。
譲治が依子の背中に腕を回してくれたので、依子は譲治に寄りかかって甘え、くつろぐ。
「依子さん。一緒に住みませんか。」
「え? どういう...」
「つまりですね。 僕の勝手な願望ばかり先に言ってしまうんですが。
僕はあなたと生活の根っこの部分を一緒に過ごしたいな、と。
もちろん、一日中じゃなくていい。
お互いに仕事や、やりたいことの時間は、ちゃんと各自自由に過ごすのは当たり前なんですけど、一日を終えて、家に帰ってきた時から朝また出かけるまで、とか生活の基本となる部分で、あなたと一緒に過ごす時間を増やしたいんです。
寂しい、とあなたに思わせる時間を、減らしたいんです。」
譲治は依子の反応を内心ビクビクしながら観察する。
「どう思いますか?」
依子は体を起こして、譲治が本心どう思っているかよく見ようとするかのように、その目を見つめる。
「うれしい。私も...譲治くんと普通の生活を営むってことにすごく憧れる。
毎晩一緒にご飯食べて、一緒に眠って、朝はおはよう、って言えるのって一番幸せじゃないかな、って思う。」
「...でも、やっぱり何か心配ですか? ちゃんと聞きますから、ゆっくり話して。」
譲治は、きっと依子がいろいろ思い巡らせて、無邪気にすぐうんとは言わないだろう、と予想していたので、怯えさせないように優しく聞いた。
「いつも優しくしてくれて、本当にありがとう。」
依子はそう言うと少し俯いて続けた。
「そうね、一番の心配は、私のダメな部分がどんどん見えちゃって、嫌われるんじゃないか、ってことかな。
恋愛中って、たまに会っていいところを見せるから、お互いがキラキラして見えるでしょう。会えない時間があるからなお燃えるし。
でも一緒に生活するって、そういう一番良い状態から、どんどんボロが見えてきてポイントが減点されていく過程なのよね。
それに譲治くんが我慢できるか、って心配なの。」
「たとえば?」
譲治が聞く。
「うーん。私ズボラなのよ。きれいにしていないと嫌だから家事はするんだけど、すごく苦手なの。
苦手だから溜め込んでギリギリまでやらないし。
仕事に夢中になってると、家の中ぐちゃぐちゃになるの。
洗濯物だって、今は乾燥機あるからいいけど、干す時とかテキトーだからしわしわだし。
しわしわと言えばアイロン大嫌いだから、本当にやばい時以外しないし。
あとね、ケチだから、調味料とかの加工品は賞味期限切れてもカビ生えてなきゃ使う人だし。
あ、おにぎりとか手で握ったやつ平気?」
譲治は内心、かわいい人だな、と思いながらにこにこしそうなのを抑えて穏やかに真面目に答える。
「全然平気。手で握る以外どうやって作るんですか。」
「たまにいるじゃない、人の握ったおにぎりダメ、って人。
手袋とかラップで包まないと、って。
潔癖症な人の気持ちもわかるのよ、それはいいの。
でも一緒に生活となると厳しいな、と。」
依子はひどく悲しそうだ。
譲治は思った。きっと、それで叱られて、否定された、ってことがあったんだろうな、と。
「他の人は知りませんが、少なくとも僕は今依子さんが言ったようなことは全然平気です。
僕の方がたぶん一段階上でズボラです。
洗濯のしわしわに関しては、僕が何も言わずそーっと伸ばして干し直しておきます。いちいち咎めたりしない。」
依子はびっくりした顔で譲治を見つめる。
「前からたまに思ってたけど、譲治くんて本当天使?めちゃくちゃ良い人ね。」
「家事ごときでいちいちことを荒立ててどうすんですか。
気に食わないことがあれば、その都度落ちついて話し合うか、そーっとカバーすればいいんですよ。」
「ただ、僕も、ガミガミっていきなり切れられのは、ちょっと苦手なので、ぶち切れる前に、ちゃんと言ってください。
言わないで心に溜めてイライラされる方が辛いから。
多分、僕は気が利かないから、察して動く、ってことができないと思う。
それで依子さんイラつくと思いますよ。」
譲治は少し笑いながら言う。
「...ぶちギレたら嫌いになる?」
依子は情けない顔をする。
「そんなわけないでしょ!」
譲治は笑った。
ありがと、と言って依子は譲治を抱きしめた。
依子を抱き止めながら、譲治は聞く。
「あとは? まだ胸の内にしまって吐き出せてないものはありますか?」
依子はまた体を起こして言う。
今度はさらに落ち込んだ様子で言う。
「私ね、譲治くんに本当に気持ち悪い、って嫌われるんじゃないかと思ってあまり詳しく言ってなかったんだけど。」
両手を握りしめて話し始めた。
「離婚した後、たくさん男性関係で失敗したって言ったじゃない?
マッチングサイト使って4~5人付き合ったのよね。
いつも私、一生懸命真面目にお付き合いしてたつもりなんだけど、そういう所の男の人ってけっこう上部だけで、適当なんだって、後で気づいたのよ。
バカよね。簡単に身も心も許して。
かまってくれるから良い人なんだって思い込んで。
過去現在未来の全部の私のやってきたことが間違ってる、俺のいう通りにしとけばいい、とか、仕事しないで俺の所に来い、でも生活費は折半だ、とか、言われたり。」
「中でも1人ね、バツイチ同士で、その人とは割と長く付き合ってたんだけど、貧乏でいつも私が貢いでた。それはまだいいのよ。
でも2人の恥ずかしい所の写真や動画を撮られたの。
自分で楽しむためだけだから、って言うから許しちゃったのよね。
その人自身はただのクズだからまあいいんだけど、その人の別れた奥さんて人がまだ出入りしてて、そのデータを見つけちゃって、私を脅迫してきたの。
ばら撒かれたくなかったら金よこせ、って。
そんなドラマみたいなこと起こるわけない、って思ってたから、いきなり相手が知らないはずの私の携帯に、そんな脅迫がきたら、パニックになるよね。
どうしたらいいかわからなくて、当時一番お世話になってた人に付き添ってもらって、警察に相談したの。
そしたら、あなた人が良すぎて騙されたんだよ、まあ大概大丈夫だから気をしっかり持って、気にしない、って言ってくれた。
何か実際被害が出たら来なさいってことだった。
でもそう言ってもらえて、だいぶしっかりしたわ。
私も、だって未成年ならいざ知らず、もういい歳したおばさんだから、やりたきゃやればいい、って思った。
だって既にそんなの犯罪行為だもの。
なんでそんな世間のゴミみたいな事案に屈しなきゃいけないの?って。
ただ、恐怖で寝られなくて拒食になってたから、精神科に通ってなんとか治してもらったけどね。
たまに蘇っちゃうの。」
依子はにぎりしめた指が白くなるほど、緊張して、声が震えていた。
譲治は依子あまりにかわいそうで、愛おしくて、腕を回して依子を抱きしめる。だが、依子の体には力が入ったままだ。
依子はくぐもった声で言う。
「私バカでしょう。おめでたすぎて情けないわよね。
汚れてるのよ。自分が悪いことしたわけではない、っていうのはわかるの。でも愚かだったわ。愚かであることは、時として罪でもある。
それが、何度も、いつまでも私を殺すのよ。」
「依子さん、そんなに自分を追い詰めないで。
今聞いた話からすると、悪いのはそのクズ野郎どもで、依子さんは悪いこと何もしてない。そうでしょ?
だれだって、叩いて埃の出ない人なんていませんよ。
生きてれば何かしらあります。」
譲治は優しく、腕の中の依子の背中をさすり、腕をさする。
「僕だって20代の頃のダメな自分を思い返すとぶん殴りたくなる。
いつまでもあの記憶が僕を苛むんです。
本当にやる気がない会社員で、自堕落で、何の目標も持ってなかった。
なんとか踏ん張って海外就労したけど、イメージと違って流されるままに仕事してるだけで貧乏なままだ。」
「譲治くんは、自分がダメ人間だ、ってよく言うけど、向上心がないと言いつつちゃんと外国で独り立ちしてる時点で、相当頑張り屋さんだと思うよ。
じゃあ、他の人が容易にできるか、って言ったらそんなに多数派じゃないから、そのレベルの高さがわかるよね?
ちゃんと自分のために努力忍耐できる人だと思うわ。」
依子が今度は譲治を慰めている。
譲治の顔をに手をあてて、顎にキスをする。
「貧乏って言うけど、ちゃんと自立してるじゃない。
誰かに仕送りしてもらってるわけでもないし。それだけで十分よ。」
譲治は、そんなふうに言ってもらえたことがなんだかうれしくて、胸の奥が切なくなった。
その気持ちを注ぐように、依子に口付けする。
深く深く依子に口付けし、舌を絡めあう。
ソファに依子を押し倒して、また張り詰め始めた腰を押し付ける。
「ちょ、ちょっと、譲治くん!」
「あれ、何の話してましたっけ。」
あ、そうか同居の話だ。
我に帰った譲治が依子を起こしてまた座らせた。
「うん。それで、少なくとも僕は大丈夫だと思ってます。
あなたが不安になることがあったら、またその都度こうやって話し合いましょう。
そういうことを一つずつ積み重ねていくのが、生活ってもんじゃありませんか?」
「うん。わかりました。
ありがとう。譲治くんて本当に完璧じゃない?
なんでこんないい男、今までフリーだったのか、不思議だわ。」
「女性にほとんど興味なかったんですよね、依子さんに会うまでは。
彼女いるのいいなーとは思っても、自分から積極的に関与しようって気に全くならなかった。依子さんに会って、自然とエネルギーが湧いてきたんですよ。
だって、依子さん面白いでしょ。ユニークで、クリエティブだし、けっこう
逞しいし。」
うれしい、と言って依子は微笑んだ。
「それにしても、物理的にどうなんだろ?
私、今は見えないと思うけど、仕事道具と在庫がすごい量あるから...。
譲治くんがウチに住む?仕事にはあなたのアパートに通うとか?
でも家賃がもったいないよね...。交通費もかかるし。
だいたい、私が寝る寸前まで作業してるから、譲治くんウチじゃくつろげないよね。
今は、譲治くんが来る時は片付けてるから、わからないと思うけど、すごいよ、作業中。」
「僕もですね、あなたの邪魔はしたくないんです。
好きなだけ仕事してもらいたいし、僕の面倒見てほしいわけじゃない。
ただ、一緒の空間にいたいんです。
それで、考えたんですけど。
今より広い、部屋数の多いアパート借りて、一緒に住みませんか?」
「ええ? それはとても魅力的なお話だけど。私そんな家賃払えるかしら。
折半するにしても今より高いと厳しいかなあ。」
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「それはダメよ。申し訳なさすぎる。」
「いや、これは、あなたに対して失礼なのを承知でお願いするんですけど。
正直、僕はあなたのパトロンになりたいくらいなんです。
あなたに、生活の苦労なしに制作に励んで楽しく仕事してほしい。
でも、そこまでの甲斐性がないから、せめて、家賃くらい払って、あなたの居場所を提供したいな、って思うんです。」
「それは...売れないアーティストには天国みたいな話だけど、そんなこと許されないわ。お天道様の下を堂々と歩けない、というか...」
「いや、そう聞こえるかもしれないが、これは、いつでも好きな時にあなたを触りたい、毎日あなたを抱きたい、あなたのいる場所に帰りたい、たまにでいいからあなたのご飯が食べたい、という究極的に贅沢な要望を、さも高尚な精神性に則っているかのように誤魔化して通そうとしているだけです。」
「そんなんでいいの?
全然大丈夫だけど。とてもお家賃半分には足りないんじゃない?」
「わかりました。数字で説明します。」
そう言うと、譲治は紙と鉛筆を借りて、おもむろに何やら書き始めるのだった。
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この広さなら僕も、あなたも、それぞれの仕事をお互いに干渉せず独立してできる。
で、その半額がこれ。
それで、これをブダペストの平均時給換算して割ると月あたりこの総時間。この時間を、僕のために当ててくれるなら、双方損せずウインウインです。」
「なるほど。おっしゃる通り。
これなら毎日の掃除洗濯炊事買い物、その他雑務でちょうど賄える感じね。 でもいいのかな。なんか...大丈夫?」
「僕には願ったり叶ったりです。
家事してもらうためにあなたと一緒になるわけではないけど、そうしないと、納得してくれないでしょ?
それに、そうは言いつつも、僕も掃除洗濯はまあやりたくないので、やってもらえればとてもとても助かります。
でも、ストレス溜まるくらいならやらなくていいですよ。無理じゃない範囲で。」
「うんまあ、そうね。
家事って不思議でね、自分のためだけ、って思うと際限なく適当になるんだけど、あなたのためって思うと、どんどんやる気出るのよ。
だから譲治くんが喜んでくれて、それがお仕事のモチベーションにも繋がるっていうなら、張り切って掃除してご飯作るよ。」
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でも訊けない。
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私にはできない。
私は。
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表紙
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Twitter@parsley0129
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