奈落の聖女

シマセイ

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第五十五話:荒野の死闘、覚醒の兆し

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水車の町の、あの喧騒と、サイラスの影から逃れ、私は、ただ、がむしゃらに走り続けていた。

夜明けが近づき、東の空が白み始めても、私の足は止まらない。

どこへ向かっているのか、自分でも、もうわからなかった。

ただ、この、胸を締め付けるような恐怖から、一刻も早く、遠くへ逃れたい、その一心で。

しかし、人間の体力には、限界がある。

ましてや、ここ数日、まともな食事も、休息も取れていない私だ。

夜明けと共に、アドレナリンが切れ、激しい疲労感と、空腹感、そして、喉の渇きが、一度に私を襲った。

(水……何か、食べ物を……)

ふらつく足で、私は、周囲を見回す。

そこは、木々もまばらな、岩と、乾いた草に覆われた、荒れ地のような場所だった。

幸い、遠くに、細い沢の流れが見える。

私は、最後の力を振り絞って、その沢へと向かった。

沢の水は、冷たく、乾ききった喉には、天からの恵みのように感じられた。

アレンさんのチョークで浄化し、水筒を満たす。

そして、周囲に、何か食べられるものはないかと、必死で探した。

その時だった。

グルルルル……。

低い、獣の唸り声が、すぐ近くの岩陰から聞こえてきた。

心臓が、跳ね上がる。

咄嗟に、私は、錆びた短剣を抜き、身構えた。

岩陰から現れたのは、三匹の、痩せこけた野犬だった。

体は、泥と埃にまみれ、肋骨が浮き出ている。

その目は、飢えた獣特有の、赤い光を宿し、私を、獲物として、じっと見据えていた。

(……まずい……!)

ゴブリンや、墓荒らし甲虫とは、違う。

彼らは、生きるために、必死なのだ。

その分、容赦がない。

一匹が、唸り声を上げながら、私に向かって、飛びかかってきた!

「シールド!」

咄嗟に、光壁を展開する。

ガキン!

野犬の牙が、光壁に当たり、火花のようなものを散らした。

衝撃で、シールドが揺らぐ。

魔力の消耗が、激しい!

もう一匹が、横から回り込もうとする。

私は、幻惑魔法で、自分のすぐ隣に、もう一体の「私」の幻を作り出した。

一瞬、野犬の注意が、そちらへ向く。

その隙に!

「衝撃(しょうげき)!」

一番近くの野犬に、力の波を叩きつける!

「キャン!」

野犬は、悲鳴を上げて、数歩、後ずさった。

でも、すぐに体勢を立て直し、さらに、凶暴な唸り声を上げる。

もう、小手先の魔法だけでは、凌ぎきれない!

私は、短剣を握りしめ、胸の奥の『聖なる力』に、意識を集中させた。

(光よ……刃に、力を……!)

短剣が、淡い、金色の光を放ち始める。

先頭の野犬が、再び、私に飛びかかってきた!

私は、恐怖を押し殺し、光る短剣を、その喉元めがけて、突き出した!

グサリ!

鈍い手応え。

「ギャンッ!」

野犬は、甲高い悲鳴を上げ、地面に倒れ込み、痙攣(けいれん)する。

その傷口からは、黒い煙のようなものが、わずかに立ち上っていた。

聖なる力が、邪気を払っている……?

でも、安堵する暇はない。

残りの二匹が、仲間をやられた怒りで、さらに、凶暴さを増して、左右から、同時に襲いかかってきた!

私は、必死で、光る短剣を振り回す。

一匹の肩口を、浅く切り裂く。

獣の熱い血が、私の顔に飛び散った。

「キャイイン!」

獣は、怯む。

でも、もう一匹が、私の足に、鋭い牙を立てた!

「きゃあっ!」

激痛が走り、思わず、膝をつきそうになる。

革のブーツが、少しは牙を防いでくれたけれど、それでも、鋭い痛みが、骨まで響くようだった。

(ダメだ……このままでは……!)

追い詰められた、その瞬間。

私の中で、何かが、再び、弾けた。

あの、墓荒らし甲虫を退けた、力の奔流。

胸の奥の、金色の光が、激しく燃え上がり、私の全身を包み込む!

「はああああああっ!」

叫びと共に、金色のオーラが、私の体から、爆発するように、周囲へと広がった!

光に触れた野犬たちは、「クゥン、クゥン」と、悲痛な声を上げ、まるで、見えない壁に叩きつけられたかのように、後方へと吹き飛ばされる。

そして、そのまま、一目散に、荒れ地の向こうへと、逃げていった。

……静寂が、戻る。

私は、肩で息をしながら、その場に、へたり込んだ。

足の傷が、ズキズキと痛む。

腕にも、浅い引っ掻き傷ができていた。

でも……生き残った。

私は、自分の手で、獣を……殺してしまったかもしれない。

そして、獣を、退けた。

これが、戦うということ……。

これが、生きるということ……。

私は、震える手で、最初に倒した野犬の亡骸に、そっと触れた。

もう、温かくない。

言いようのない、重い気持ちが、胸に広がる。

でも、感傷に浸っている暇は、なかった。

私は、すぐに、自分の傷の手当てを始めた。

水筒の水で傷口を洗い、服の裾を破って、きつく縛る。

幸い、傷は、それほど深くないようだ。

『聖なる力』の余韻が、まだ、体の中に残っているのか、痛みが、少しずつ、和らいでいくような気もした。

(……食べ物……)

ふと、倒した野犬の亡骸が、目に入る。

……まさか。

でも……。

このままでは、飢えてしまう。

私は、しばらくの間、葛藤した。

そして……。

意を決して、短剣を握りしめる。

生きるためには、綺麗事だけでは、済まされないのだ。

この世界は、そういう場所なのだから。

私は、この荒野で、確かに、何かを失い、そして、何かを、得たのかもしれない。

それは、獣じみた、生存への渇望。

そして、自分自身の力で、運命を切り開くという、冷徹な覚悟。

サイラス……カイト……セレス……。

必ず、生き延びて、彼らに、報いを受けさせてやる。

その決意を、新たにしながら、私は、次の、生きるための行動を、始めていた。
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