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32.イブロの誓い
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イブロとチハルの旅は順調に進み、目指す山の麓にある村まで到着する。
この村から馬車を使えるのなら、目的地まではあと二日ってところだろうか。最悪、馬車を捨ててスレイプニルとソルに騎乗して進むとしても、同じくらいの時間で到達できる。
余談ではあるが、イブロにスレイプニルを放置して進む考えはなかった。迂回しようが何としても彼を連れて行く。ここまで旅路を同じくしたのだから、捨てて行くなんて彼にはできない。
ソルはどうか? ソルについてはイブロとチハルより険しい道を進むことができるので心配の必要は無かった。
幸い村には宿が一軒だけあり、村人がイブロたちを宿まで案内してくれる。宿には厩舎まで備え付けられていたから、ゆっくりとスレイプニルとソルも休ませることができそうだ。
宿で部屋の手続を行い、村唯一の酒場に食事を取りに向かうイブロとチハル。
「おう、お嬢さんの旅人とは珍しいね。商人の親子なのかい?」
酒場の主人は人好きのする笑顔で気さくにイブロへ問いかける。
「いや、探索者だ。山にある古代遺跡を目指している」
テーブル席に腰かけながらイブロは主人に言葉を返すと、彼の顔が途端に曇った。
「あんた、悪い事は言わない。そこはやめておけ」
「古代遺跡は古代遺跡だろう?」
「その様子だと知らないようだな。確かに古代遺跡はある。しかし、あそこは龍の勢力圏なんだよ」
「……それでよく地図が作れたものだな……」
龍、龍か。イブロは眉間にしわを寄せ、顎に手をやる。
これまで様々なモンスターの相手をしたことがあるイブロだが、龍だけは別格だと言い切れる。龍に次ぐ力を持つ飛竜やバジリスクなども強敵だが、龍と比べると一枚も二枚も落ちる。
まず巨大な体。足元から頭まで十メートルから二十メートルもある巨躯。これだけでも並みのモンスター以上なのだが、遺跡で戦ったガーゴイル並みの硬いうろこを持つ。
最も厄介なのは人間並みの知性だろう。彼らはこれだけ恵まれた体を持つのに、頭を使った戦闘が行えるのだ。先のガーゴイルは硬さ、大きさこそ龍並みではあったが、格闘技術が無かった。
龍にはそれがある……。加えて、口からブレスと呼ばれる炎まで吐くのだ。
イブロは龍と一度だけ戦ったことがある。あの時は二人だった……苦い思い出……。
「龍が住み着いたのは五年ほど前のことなんだ。地図があるのはそういうことさ」
「主人、情報感謝する」
主人がこの地で採れた山菜を使った猪の蒸し焼きを運んでくれて得も言われぬ芳香が漂ってきてもイブロの顔はすぐれなかった。
ビールと牛乳、更には具沢山のスープと料理が出そろっても彼は料理に手をつけない。旅の間はまともな食事もそうそうとれるものではないから、ここに並んだ料理は彼にとって久しぶりのご馳走だというのに……。
「イブロ」
「ん?」
「あ、起きてたんだー。何度も呼んだのに変な顔をしたままだったから」
「あ、ああ。すまんな」
イブロはビールに口をつけ、チハルへ料理を食べるように促す。
彼も肉をほうばったが、溢れる肉汁もまるで味を感じないのだった。
「イブロ、何かあったの?」
「いや、昔を思い出していたんだ」
「イブロ、辛いならわたしとソルだけでも行くよ?」
「行かないわけじゃないさ。むしろ、行かなきゃらならないと思っている」
そうだ。行かなければならない。龍が待っているとなれば……。
イブロは拳をギュっと握りしめ、昔日の禍根を思い出していた。
「イブロ、わたし、その昔ばなしを聞きたいな」
「聞いてもつまらない話だぞ」
「そんなことないよ。イブロの話だもん」
「そうか……」
チハルに自分が経験したことを語るのも彼女の「人間のお勉強」にはいいかもしれないな……。
イブロはチハルをじっと見つめ、ポツポツと自分の過去を語り始める。
「チハル、俺はとても弱かったんだ」
「うーん?」
チハルは不思議そうに首を傾けた。彼女にとって強いとか弱いといった人間の基準は理解するのに難しいのだろう。
――俺は弱かった。
イブロは十歳まで外に出るのを好まない本を読むのが好きな少年だった。彼には幼馴染の同じ歳の少女がいて、彼女はイブロをよく外に連れ出す。
イブロは彼女と遊ぶのが嫌ではなかったし、幼少期からずっと一緒だった二人は家族のような存在だったのだ。だから、自然と二人は親密な関係になっていく。
転機が訪れたのはイブロが十一歳の時の事。村の近くにある森へ山菜を採りに出かけていた二人は、この頃の少年少女らしく親の言いつけを守らず少し深いところまで冒険がてらに入っていってしまう。
そこで、彼らは運悪く熊に遭遇し危機に陥る。熊は腹をすかしているのか、はたまた子供を抱えているのか分からぬがとても興奮状態にあった。
逃げようにも足が竦んで動けないイブロの手を少女が引き、彼らは熊から逃げようと走り出す。しかし、足の動きがままならないイブロは枝に足を引っかけて転んでしまった。
襲い掛かる熊。しかし、少女がイブロに覆いかぶさり熊の爪に弾き飛ばされる。その衝撃で少女は一撃の元、息を引き取り、熊は少女の躯を抱えて立ち去っていく。
イブロは数か月、嘆き悲しみ食事も満足に喉を通さなかった。悪いのは自分だ。自分があの時、少女の足手まといでなかったなら……。
そして、イブロは誓う。もう二度と自分の弱さが原因で誰かを失うようなことはしないと。その日からイブロは一心不乱に修行に明け暮れた。誰よりも強く、大切な何かを失わぬよう。
それが少女への償いだと信じて……。
「イブロ、頑張ったんだね」
じっと話を聞いていたチハルが口を挟む。
「分からない。俺は俺にできることをやろうと思ったまでなんだ」
誓いの日から六年が過ぎる。イブロは探索者となり、今度は実戦で自身を鍛えていく。そこでも彼はただひたすらに強さを求め、稼いだ金は全て自分を鍛えるために消えていく。
イブロが二十歳を過ぎる頃、彼はやけに陽気な同い年の探索者の男と出会う。たまたま仕事が一緒になっただけであったが、性質が違い過ぎるこの男とイブロは全く反りが合わなかった。
しかし、その仕事の最後に強敵と二人で戦い、飄々としているが常に冷静さを失わないこの男をイブロは心を打たれる。彼は白鳥なのだとイブロは思った。
見えないところでは必死で強くなるためにあがくが、その様子を外では一切見せない。そういう生き様にイブロは憧憬の念を持つ。自分とは真逆だが、だからこそ尊敬できると。
仕事が終わり、もう彼とも会うことがないだろうとイブロは思っていたが、男の方から彼に付きまとってきてそれ以来一緒に仕事をするようになった。
それから三年が経つ頃には、地域一番の探索者コンビとして名を馳せ、十年が過ぎる頃には王国全土で最強と噂されるまでになる。
――俺はこの時、何としても止めるべきだったのだ……。
転機が訪れたのは邪龍が街を焼いたという話を聞いた時からだった。邪龍は天災。触れるべきではない。誰もがそう口を揃える。
とにかく邪龍のところから離れて、それが飽きるまで放置するのが一番だと。
しかし、相棒もイブロも異を唱える。それでいいのかと。放置し、飽きるまでおいておく。その時はそれでいいかもしれない。しかし、数年後、邪龍は気の向くまま、また他の街を襲う可能性が高い。
それでまた多くの人の命が失われるのだ。
『英雄にでもなりたいのか?』
『不可能だ。邪龍に人ではあがらえぬ』
『命知らずめ』
誰もが彼らを否定した。しかし、相棒はいつもの陽気さで、「邪龍退治に向かう」とまるでピクニックでも行くかのように言うのだ。
イブロも誰にも負けないとの誓いを真の物とするため、邪龍退治に行かないという選択肢はなかった。それに、この男となら負ける気がしないと確信しているのだから。
この村から馬車を使えるのなら、目的地まではあと二日ってところだろうか。最悪、馬車を捨ててスレイプニルとソルに騎乗して進むとしても、同じくらいの時間で到達できる。
余談ではあるが、イブロにスレイプニルを放置して進む考えはなかった。迂回しようが何としても彼を連れて行く。ここまで旅路を同じくしたのだから、捨てて行くなんて彼にはできない。
ソルはどうか? ソルについてはイブロとチハルより険しい道を進むことができるので心配の必要は無かった。
幸い村には宿が一軒だけあり、村人がイブロたちを宿まで案内してくれる。宿には厩舎まで備え付けられていたから、ゆっくりとスレイプニルとソルも休ませることができそうだ。
宿で部屋の手続を行い、村唯一の酒場に食事を取りに向かうイブロとチハル。
「おう、お嬢さんの旅人とは珍しいね。商人の親子なのかい?」
酒場の主人は人好きのする笑顔で気さくにイブロへ問いかける。
「いや、探索者だ。山にある古代遺跡を目指している」
テーブル席に腰かけながらイブロは主人に言葉を返すと、彼の顔が途端に曇った。
「あんた、悪い事は言わない。そこはやめておけ」
「古代遺跡は古代遺跡だろう?」
「その様子だと知らないようだな。確かに古代遺跡はある。しかし、あそこは龍の勢力圏なんだよ」
「……それでよく地図が作れたものだな……」
龍、龍か。イブロは眉間にしわを寄せ、顎に手をやる。
これまで様々なモンスターの相手をしたことがあるイブロだが、龍だけは別格だと言い切れる。龍に次ぐ力を持つ飛竜やバジリスクなども強敵だが、龍と比べると一枚も二枚も落ちる。
まず巨大な体。足元から頭まで十メートルから二十メートルもある巨躯。これだけでも並みのモンスター以上なのだが、遺跡で戦ったガーゴイル並みの硬いうろこを持つ。
最も厄介なのは人間並みの知性だろう。彼らはこれだけ恵まれた体を持つのに、頭を使った戦闘が行えるのだ。先のガーゴイルは硬さ、大きさこそ龍並みではあったが、格闘技術が無かった。
龍にはそれがある……。加えて、口からブレスと呼ばれる炎まで吐くのだ。
イブロは龍と一度だけ戦ったことがある。あの時は二人だった……苦い思い出……。
「龍が住み着いたのは五年ほど前のことなんだ。地図があるのはそういうことさ」
「主人、情報感謝する」
主人がこの地で採れた山菜を使った猪の蒸し焼きを運んでくれて得も言われぬ芳香が漂ってきてもイブロの顔はすぐれなかった。
ビールと牛乳、更には具沢山のスープと料理が出そろっても彼は料理に手をつけない。旅の間はまともな食事もそうそうとれるものではないから、ここに並んだ料理は彼にとって久しぶりのご馳走だというのに……。
「イブロ」
「ん?」
「あ、起きてたんだー。何度も呼んだのに変な顔をしたままだったから」
「あ、ああ。すまんな」
イブロはビールに口をつけ、チハルへ料理を食べるように促す。
彼も肉をほうばったが、溢れる肉汁もまるで味を感じないのだった。
「イブロ、何かあったの?」
「いや、昔を思い出していたんだ」
「イブロ、辛いならわたしとソルだけでも行くよ?」
「行かないわけじゃないさ。むしろ、行かなきゃらならないと思っている」
そうだ。行かなければならない。龍が待っているとなれば……。
イブロは拳をギュっと握りしめ、昔日の禍根を思い出していた。
「イブロ、わたし、その昔ばなしを聞きたいな」
「聞いてもつまらない話だぞ」
「そんなことないよ。イブロの話だもん」
「そうか……」
チハルに自分が経験したことを語るのも彼女の「人間のお勉強」にはいいかもしれないな……。
イブロはチハルをじっと見つめ、ポツポツと自分の過去を語り始める。
「チハル、俺はとても弱かったんだ」
「うーん?」
チハルは不思議そうに首を傾けた。彼女にとって強いとか弱いといった人間の基準は理解するのに難しいのだろう。
――俺は弱かった。
イブロは十歳まで外に出るのを好まない本を読むのが好きな少年だった。彼には幼馴染の同じ歳の少女がいて、彼女はイブロをよく外に連れ出す。
イブロは彼女と遊ぶのが嫌ではなかったし、幼少期からずっと一緒だった二人は家族のような存在だったのだ。だから、自然と二人は親密な関係になっていく。
転機が訪れたのはイブロが十一歳の時の事。村の近くにある森へ山菜を採りに出かけていた二人は、この頃の少年少女らしく親の言いつけを守らず少し深いところまで冒険がてらに入っていってしまう。
そこで、彼らは運悪く熊に遭遇し危機に陥る。熊は腹をすかしているのか、はたまた子供を抱えているのか分からぬがとても興奮状態にあった。
逃げようにも足が竦んで動けないイブロの手を少女が引き、彼らは熊から逃げようと走り出す。しかし、足の動きがままならないイブロは枝に足を引っかけて転んでしまった。
襲い掛かる熊。しかし、少女がイブロに覆いかぶさり熊の爪に弾き飛ばされる。その衝撃で少女は一撃の元、息を引き取り、熊は少女の躯を抱えて立ち去っていく。
イブロは数か月、嘆き悲しみ食事も満足に喉を通さなかった。悪いのは自分だ。自分があの時、少女の足手まといでなかったなら……。
そして、イブロは誓う。もう二度と自分の弱さが原因で誰かを失うようなことはしないと。その日からイブロは一心不乱に修行に明け暮れた。誰よりも強く、大切な何かを失わぬよう。
それが少女への償いだと信じて……。
「イブロ、頑張ったんだね」
じっと話を聞いていたチハルが口を挟む。
「分からない。俺は俺にできることをやろうと思ったまでなんだ」
誓いの日から六年が過ぎる。イブロは探索者となり、今度は実戦で自身を鍛えていく。そこでも彼はただひたすらに強さを求め、稼いだ金は全て自分を鍛えるために消えていく。
イブロが二十歳を過ぎる頃、彼はやけに陽気な同い年の探索者の男と出会う。たまたま仕事が一緒になっただけであったが、性質が違い過ぎるこの男とイブロは全く反りが合わなかった。
しかし、その仕事の最後に強敵と二人で戦い、飄々としているが常に冷静さを失わないこの男をイブロは心を打たれる。彼は白鳥なのだとイブロは思った。
見えないところでは必死で強くなるためにあがくが、その様子を外では一切見せない。そういう生き様にイブロは憧憬の念を持つ。自分とは真逆だが、だからこそ尊敬できると。
仕事が終わり、もう彼とも会うことがないだろうとイブロは思っていたが、男の方から彼に付きまとってきてそれ以来一緒に仕事をするようになった。
それから三年が経つ頃には、地域一番の探索者コンビとして名を馳せ、十年が過ぎる頃には王国全土で最強と噂されるまでになる。
――俺はこの時、何としても止めるべきだったのだ……。
転機が訪れたのは邪龍が街を焼いたという話を聞いた時からだった。邪龍は天災。触れるべきではない。誰もがそう口を揃える。
とにかく邪龍のところから離れて、それが飽きるまで放置するのが一番だと。
しかし、相棒もイブロも異を唱える。それでいいのかと。放置し、飽きるまでおいておく。その時はそれでいいかもしれない。しかし、数年後、邪龍は気の向くまま、また他の街を襲う可能性が高い。
それでまた多くの人の命が失われるのだ。
『英雄にでもなりたいのか?』
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『命知らずめ』
誰もが彼らを否定した。しかし、相棒はいつもの陽気さで、「邪龍退治に向かう」とまるでピクニックでも行くかのように言うのだ。
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