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壱・はるかと秋良
漆・はるかと秋良 前
しおりを挟む太陽はすっかり姿を隠し、地平線にほんのりと淡い光を残している。
琥珀の北に位置する丘を越えた林の中、二人の少年が足早に行く。
夜に向かう暗さの中に白を基調とした軽装が浮かび上がって見える。
頭には白い麻布を巻いて頭髪を隠し、上衣の左肩には小さな赤い紋章が見て取れた。赤く丸い太陽と、それが昇った軌跡を描いた文様の左右に二対の翼が羽根を広げている。
二人は鏡に映したように瓜二つの姿をしている。唯一、瞳の色が水色と若緑で異なっている以外は見分けがつかないほどだ。
彼らはある場所で足を止めた。
周囲をうかがい人の気配がないことを確認すると、水色の少年が片膝をつき若緑の少年は油断なく辺りを見張る。
地に膝をついた少年は懐から短刀を取り出し、逆手に握る形で鞘から抜いた。
その刃にも肩に記されたものと同じ紋章が施されている。
短刀を片手に、空いている左手の指先で地面をなぞり、目的の場所を見つけるとその刃を両手で突き立てた。
淡く発光した短刀に呼ばれたかのように、地面から白い光が発せられぼんやりとした影を映し出す。
それはすぐに人の形をとり、白い儀服を身にまとった男が現れた。
彼が光の中から地面へ降り立つと、少年は短刀を抜き鞘に納める。もうひとりも警戒をやめ、二人同時にその男にひざまずく形で礼の姿勢を取った。
男、と呼ぶには若い。見目には二十歳に満たないように思える。
額に降りかかる少し長めの黒髪。その間からのぞく瞳は深い翠玉。
眼前に控える二人同様、その肩には赤い紋章がある。
彼は手で合図し、若い二人を立ち上がらせた。
「ここは、沙里ではないな」
低く、静かに響く声に水色の少年が答える。
「は。例の者が琥珀へ向かったという情報がありまして」
「なるほど……それで――」
青年の言葉は不意に途切れる。
彼は立ち並ぶ木々の向こうを見やった。
少年たちは顔を見合せ、若緑の少年が問う。
「翠殿?」
「琥珀の方向……」
木々が開け琥珀の街へ向かうその境。
立ち上るそれは、どす黒いという形容がふさわしいほどの――。
同じ方向に意識を集中し、少年二人もそれを感じ取った。
――身の毛がよだつほどの黒い思念。
「「これは!」」
「急ごう」
翠、と呼ばれた青年は長い上衣の裾を翻した。
その位置までの距離はおよそ八十間。
陽は完全に落ち、夜の闇に浮き上がる白い影が木々を縫って駆ける。
ちょうど林を抜けるその時、翠は足を止めた。
宵闇に一層深みを増した深緑の瞳が見開かれる。
蒼という寒色であるにも関わらず、暖かさを感じさせるわずかな蒼味を帯びた白。
それは自ら輝きを放つ光でありながら、宵空の淡い群青をその中に映し、取り込み、輝きへと昇華していくようであった。
その輝きの光源は丘のふもと。
四間半ほどに広がる炎に包まれたその光は一瞬の凝縮の後、はじけるように拡散した。
覆っていた炎は千切れ消し飛び、木片が砕け散る。
それに遅れること数瞬、光のあった場所を中心に衝撃波を伴う強風が波紋のように駆け抜けていく。
翠は顔の前に右腕をかざし、激しく打ち付ける砂塵や小石を防ぐ。
「今の光は……!」
突然聞こえたのはしわがれた声。
身構えながら、翠は声を追って右手を振り返った。
茶色の長衣を纏った老人。
いつそこに現れたのか。いや、すでにそこに存在していたのか。まったく気配を感じなかった。
しかし今、老人の身体に残香のようにまとわりつく邪気を翠は感じていた。それは先程感じられた黒い思念と同一のものだ。
「やはり、稀石姫であったか」
消えゆく突風と光を見つめながらの老人のかすかな呟きを、翠は聞き逃さなかった。
「貴様は……」
近づき、やせ細った茶色の肩をつかもうとした翠の手は空を切った。
動いた様子はなかった。にもかかわらず老人との距離は二間開いている。
老人は翠の肩の紋を一瞥し、口元に笑みを浮かべたようだった。
「暁城の者がこのようなところをうろついているとは。もはや疑いようもない」
その言葉が終わらないうちから、老人の姿は黒い闇に薄れていく。いや、同化している、と言うべきか――。
二人の少年が息を切らせながら追いついた時、老人は完全に闇に溶け姿を消した。
「翠殿!」
「今の者は?」
少年たちの問いかけに、翠は首を横に振った。
あの老人が何者なのか、丘のふもとで何が起こっていたのか。状況はつかめていない。
ただひとつ、はっきりしていることがある。
翠は少年たちに問う。
「萌葱、浅葱。見たか、今の光を」
「ええ、あれは間違いなく彩玻光でした」
明るい緑色の瞳を持つ萌葱が、興奮のためかやや頬を上気させて答えた。弟である浅葱が冷静に言葉を繋ぐ。
「ですが、制御されたものではなく……まるで抑えきれずに氾濫したというような。まさか」
浅葱の言葉が終わらないうちに、翠は丘の傾斜を滑るように駆け下りていく。二人も遅れて後に続く。
まさか、あの方の身に何か――。
先ほどは言葉にされなかった不安が、三人の胸に同様の影を落としていた。
光の発生源であったろうその場所は、木造の建物があったと推測される。
今は黒く焼け焦げた数本の柱が地面から短く生えているのみ。
等間隔に配された柱の内側およそ二間半四方は、同じく黒く焼き付いたむき出しの土。
その周囲にはところどころに焼け跡のある木片が無残に散らばっている。
翠は小屋の内部であった場所へと近づいていく。
数分前まで柱だった炭の塊は、横をすり抜けただけで黒い粉末となって崩れ落ちる。
たとえ燃えやすい木材だったとしても、ここまで燃やし尽くすことは普通の炎ではありえない。
「妖獣の、炎か……」
「翠殿、これを!」
街へ続く茂みからの声に歩み寄る。
分け入った跡をたどると、浅葱が手にした蛍石が青白い光で地面を照らしている。萌葱が草を分けて示した位置には数滴の血痕が残されていた。
さらに街へ向けて草を分ける萌葱に合わせ、浅葱が蛍石を高く掲げる。血痕は等間隔に続いているようだ。
「丘を回り込む方向へ続いているようです」
翠は血痕を見下ろし、それを追うように視線を上げた。先には自分たちが来た林がある。
視線を転じ踵を返すと、反対側には琥珀の街灯りが見える。
「萌葱」
「はっ」
「血痕を追い、痕跡が無いようであれば街へ行き捜索を」
「では、行方がつかめ次第ご報告を」
言い終わるが早いか、萌葱は草むらへと消えた。
残った浅葱は蛍石をしまい、身をかがめて控え指示を待つ。
「浅葱は城へ戻り、長老たちに事の次第を報告してくれ」
「はっ」
浅葱は翠をここへ呼んだ時と同じように短刀を抜き、地脈を探る。
「それでは――お気をつけて、翠殿」
言い残し、短刀を探り当てた場所へ突き立てた。
昇る白光に浅葱が踏み入る。光の中から浅葱の手が伸び、短刀を地面から抜き去ったと同時に暗闇と静寂が訪れた。
灯りのない草原を、うっすらと差した光が照らす。
見上げると、雲の後ろに潜みながらも夜空と地上を照らす白月。
雲の切れ間から見える近くの星は霞んで見える。
こうして、いつも月を見上げていた――。
彼女が特に好んで見上げていたのは蒼月だった。
月を見ると懐かしさと、安らぎと、哀しみが同時に訪れるのだと……。
いつも月を見上げていた少女。
いつも彼女を見下ろしていた月ならば、その居場所を知っているのだろうか。
「栞菫……」
小さくつぶやいたその名は、誰に届くこともなく月明かりに溶けていった。
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【二間(にけん)】約四メートル。
【蛍石(ほたるいし)】青碧色にほんのり発光する不思議な鉱石。世にはほとんど出回っていない。
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