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弐・焔禍
弐・栞菫 前
しおりを挟む遠くから小鳥のさえずりが聞こえる。
柔らかくも明るい太陽の光がまぶしくて、はるかは眼を覚ました。
まどろみの中、全身を包むふわふわとした感覚を肌に感じる。まだ夢の中にいるのかと思ったが原因は別にあった。
寝台が身体の半分が埋もれてしまいそうなほど柔らかい。その上、羽根のように軽くさらさらとした肌触りの布団に包まれているからだ。
秋良ちゃん、いつの間にこんないい布団を――
半分覚醒しきらないままの意識を窓の外、光の元へ向けた。
鎧戸が開け放たれた窓の向こうに見えるのは一面の緑だった。
はるかは驚き眠気も吹き飛んだ。
見間違いではない。
のびのびと枝葉を広げる木々の葉が太陽の光に透けて輝いている。
ここは、どこ?
砂漠に隣接した沙里の町ではない。
よく見れば窓も大きく、格子状の木枠の間には硝子がはめ込まれている。壁も石壁ではなく白い壁だ。
はるかは状況を把握すべく慌てて身体を起こした。
つもりだったが、異様なまでの身体の重さに首しか持ち上がらない。
「あれ……?」
わずかに首が持ち上がった時、誰かが寝台の足元にいるように見えた。
「誰かいるの?」
相変わらず枯れてひどい声だ。
もう一度声をかけてみるものの返事はなく。はるかは自力で起き上がることにした。
とは言え起き上がろうにも身体が言うことをきかない。
指、手、腕の順に動くことに慣れさせてゆく。かなりの時間を掛けて上半身を起こすことに成功した時には、すっかり息も上がっていた。
「なんで、こんなに疲れるんだろ……」
大きく深呼吸をしながら、改めて自身のいる寝台周りを観察する。
いつも使っていた寝台より二回りも大きい。
天蓋から薄布が下がる豪奢なつくりだ。薄布から垣間見える室内も大きな寝台に見合った広さで、見たことのない流線形の装飾が壁の上部や柱に施されている。
視線を戻し、寝台の上。
はるかから見て右側の端に、ひとりの少女が眠っている。
布団の上に投げ出した両腕を枕代わりに静かな寝息を立てていた。薄褐色の髪を頭の両側で丸くまとめ、左耳の上に赤い紐を梅結びにした髪飾り。
見覚えのある薄紅と白の重に赤い袴を身に着けた少女は、気持ちよさそうに眠っているせいもあるのか幼い印象を受けた。
秋良の姿はない。
あの時、老人の攻撃で深い傷を負って、そのあと……どうなったのか。
そしてここはどこなのか。
身体の重さは落ち着いた。
手の時と同じく、両脚も時間を掛けて動かし、膝立ちができる直前の態勢で座りこむことに成功した。
身体を前のめりにし、眠る少女の近くまで移動するため手と膝を動かす。
「あ、わわっ!」
はるかは膝に抵抗を感じ顔から布団に突っ込んだ。
「うう……せっかく起き上がったのに」
着せられている長い単衣の寝間着の裾を膝で踏んでしまったようだ。
重い身体を再び持ち上げる
何とか上半身を起こすと、すぐ目の前に少女の寝顔があった。
すぐ横ではるかが暴れていたにも関わらず、すやすやと寝入ったままだ。
「もしも~し」
声をかけてみるが目覚める気配はない。
寝てる……んだよね?
心配になったはるかは少女に身を寄せ、その柔らかそうな頬を指でぷにぷにとつついた。
「はわっ! ごめんなさい侍従長様!」
ごん!
鈍い音と強い衝撃がはるかの額を襲った。
いきなり起き上がった少女の頭部が直撃したのだ。
「あうぅ……」
たまらず額を押さえてうずくまる。
当の少女はまったく平気な様子で、
「ああっ! どうなさいました、栞菫様!? まぁ、大きなたんこぶ……」
顔を上げたはるかは涙目で少女を見た。
髪と同じ色の大きな瞳をさらに大きく見開いて、はるかの額をしげしげと眺めた。痛々しいこぶが自らつくりだしたものであるということには気付いていないようだ。
と、急に思い立ち、いそいそとはるかを寝台に寝かしつける。
「だめですよー、まだおとなしくなさってくださいね。丸三日もお眠りになってたんですから」
「三日……」
自分が寝ている間に秋良がここへ運んできたのだろうか。
ぼうっとしているはるかの傍ら、少女は喜々として布団をかけ直す。
「またこうして栞菫様のお世話ができると、李は信じてましたよ~。もう感激ですぅ」
そして側台に置かれていた水差しから吸飲みに水を注ぎ、はるかの口元にあてがった。
流れ込んでくる水が喉を潤し、そのまま全身にいきわたるように思えた。
少し楽になった喉で、はるかは尋ねた。
「秋良ちゃんは、どこにいるか知ってる?」
「あきら、さま……ですか? 初めて聞くお名前です」
「え?」
はるかは傍らに立つ少女を見上げた。
李という少女はかなり小柄で五尺もないように見える。
「本当に? ここにはいないの?」
はるかは言いようのない不安に襲われた。
今まで秋良が近くにいないことなど一度もなかった。
すると李は慌てて両手を振った。
「あぁ、そんなお顔なさらないでください。後でどなたかに聞いてみますから」
「そう、そうだね……」
そうだ、この子が知らないだけかもしれないのだ。
心のざわつきは消えはしなかったが少しだけ気持ちは楽になったように感じる。
小さく息をつくはるかに、李は幼子を安心させるように微笑んだ。
「そうですよ栞菫様。今はお元気になられることだけ考えてください」
「かすみさま、って、なんのこと?」
はるかが尋ねると李は眼を丸くし、ころころと笑い始めた。
「やだなぁ、栞菫様。ご自分のお名前ですのに」
「私の、名前……」
「そうですよぉ。私たち珠織人の長、聖であり、稀石姫であられます栞菫様……ああぁぁ!!」
李の突然の大声に、はるかは寝台から身体が浮き上がるかと思うほど驚く。
さっきまで笑顔だった李は泣きそうな顔を両手で包み込んでうろたえる。
「ご記憶、なくされたんですよね? 侍従長様から言われていたのに、李ったらすっかり忘れて……ごめんなさい、ごめんなさい」
「あ、えと……そんな気にしなくても」
「……お許しくださるんですか?」
ちら、と上目遣いで見てくる李に、はるかはこくこくとうなずいて見せる。
半泣きだった李はたちまち笑顔を取り戻した。
「えへへ、記憶をなくされていてもやっぱり栞菫様ですねぇ。お優しいところはそのまんまですぅ」
嬉しそうな李の様子に安堵するはるかの頭は疑問だらけだった。
出てくるのは聞いたことのない言葉ばかり。挙句の果てには本当の名前があると聞かされても、正直なところ実感が湧かなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
【五尺(ごしゃく)】150cmくらい。李の身長は145cm。
【聖(ひじり)】珠織人の位を表す。聖は一族を束ねる長に与えられる称号。
【稀石姫(きせきのひめ)】特別な珠織人であることを示す呼称。詳細は後日本編にて。
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