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気づかない
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しおりを挟む「………」
椿さんの足音が遠ざかる音が聞こえた。
…その姿を見送っていたのかもしれない。
蒼は少し立ち止まっていて。
しばらくして歩き出した後も、一言も話さなかった。
ただ、ミシミシと板の上を歩く音だけが聞こえる。
椿さんの言いかけてたことって、なんだったんだろう。
考えると同時に、無意識のうちに口が開いた。
「……ぁ……」
「……何?」
「……」
きっと蒼には聞こえないだろう。
自分でもそう思うくらい、蚊の鳴くような小さな声だった。
そもそも、まだ出ないだろうと思いながら絞り出した声が、まさか蒼の耳に届いたとは思わなくて少し驚く。
そして、予想していたよりも冷たい、何の感情も込められていない温度のない声に、言いかけた言葉が喉につっかえた。
今の自分が何を言っても蒼の機嫌を損ねるだけのような気がして、反射的に何も言えなくなる。
「…まーくん?どうかした?」
何も言わない俺を不思議に思ったんだろう。
先程よりも優しくなって気遣うような口調に、小さく首を横に振った。
「……」
何も話さなくなると、どうしても匂いに気づいてしまう。
冬だからだろう。
蒼の体温はあったかくて、でも風がつめたい。
いつか嗅いだ冬の夕暮れの匂いが鼻を掠めて、同時にさっきから怖いぐらい鼻に匂う血の匂い。
……どうしよう。聞こうか聞かないかで迷っていると、ぽつりと蒼が呟く。
「寒い?」
不意をついた問いに、再び何も言わず、首を小さく横に振った。
身体を刺すような冷たさと、痛み。
(…確かに、冷える…、正直言えば、寒い)
でも。
そうは思っても、ここでうんと素直に頷くほどまだ蒼に完全に気を許したわけではなかった。
…………その後、風呂に入れてもらって、何かまたされるんじゃないかとびくびくしていたけれど。
怯える俺を慰めるように、蒼は「何もしないから」と何度も繰り返し優しく呟いて、身体を洗うほかには本当に何もしてこなかった。
何故か相変わらず目隠しの布はされたままだったけど。
それでも、意識のある時間の中の久しぶりのお湯はとても気持ちが良くて、心地よかった。
「……(あったかい…)」
ほっとして、一気に気が緩む。
風呂に入った後、浴衣を着せてくれる蒼に小さくお礼を呟くと、少しだけ笑ったような気配がした。
錯覚かもしれない。
気のせいなのかもしれない。
…でも、今の蒼は、俺を閉じ込める前の、昔の蒼に戻っているような。そんな感じがする。
(………いつもより、こわくない)
久々に、苦しくない呼吸ができた気がする。
その後も、まだ身体の動かない俺を抱きかかえて、蒼はどこかへ向かおうとしていた。
「…もう、あと少しで…冬が終わるな…」
その微かな声に反応して顔を上げると、どこかに身体をおろされた。
てっきりこのままいつも通り部屋に戻るものだと思い込んでいた。
ふと、ジャリと固くて、丸い小さなものに足が触れる。
(石…?)
少し離れた隣で、声が聞こえた。
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