【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第一章:死化粧の虎

第八話:望月千代女の接触

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 土屋昌続の遺族との出会いを経て、小太郎の心には、信玄の秘策に対する確固たる信念が芽生えていた。

 その秘策は、決して絵空事ではない。
多くの忠義と覚悟の上に築かれた、真実の希望なのだと。彼は、信玄桜の花弁を握りしめ、次なる手がかりへと向かうべく、再び旅路についた。

 老女の言葉によれば、次に小太郎が接触すべきは、信玄配下のくノ一、望月千代女であるという。

 千代女は、信玄の生存を知る数少ない人物の一人であり、影の活動を支える重要な存在。しかし、その所在は謎に包まれており、老女も具体的な場所までは示さなかった。
ただ、「己の直感を信じ、人々の中に紛れ込んだ影を見つけ出せ」とだけ告げた。

 小太郎は、与えられた手がかりを頼りに、信濃の国を目指した。
信玄が病に倒れる前、千代女は信濃の山中に隠された忍びの里を拠点とし、武田の諜報活動を統括していたという。しかし、信玄の「死」によって、その組織もまた解体されたはずだ。千代女が、今どこで、どのように身を潜めているのか、皆目見当がつかなかった。

 数日後、小太郎は信濃の国境に近い宿場町にたどり着いた。人々の往来が活発なこの町であれば、何か手がかりが見つかるかもしれない。彼は、旅籠に宿を取り、町を行き交う人々の中に、千代女の気配を探した。しかし、手練れのくノ一が、そう簡単に足跡を残すはずもない。

 小太郎は、宿場町を歩き回り、人々の会話に耳を傾けた。旅籠の女中、物売りの商人、街道を行き交う旅人。様々な情報が錯綜する中で、彼は一つの噂を耳にした。町の外れにある小さな庵に、見慣れない老婆が住み着き、時折、病の者を癒しているという。

「老女の庵……?」

 小太郎の胸に、一筋の光が差した。
老女は、確かに「己の直感を信じ、人々の中に紛れ込んだ影を見つけ出せ」と告げていた。そして、千代女は、かつて信玄配下の「歩き巫女」を統括し、その情報網を築き上げた人物でもある。病の者を癒すという行為は、まさに彼女が隠密行動をとる上での巧妙な偽装となり得る。

 小太郎は、足早に宿場町を後にし、噂の庵へと向かった。庵は、町から少し離れた林の中にひっそりと佇んでいた。周囲には、ひっそりとした空気が漂い、人の気配はほとんどない。小太郎は、身を潜めながら庵に近づき、その中の様子を窺った。

 庵の中からは、かすかに薬草の香りが漂い、人の気配がする。しかし、話し声は聞こえない。小太郎は、意を決して庵の戸を叩いた。

「ごめんください」

 小太郎の声に、中から静かな声が返ってきた。

「どなた様でございましょうか」

 声は、老女のものである。小太郎は、一瞬、返答に詰まった。どのように切り出すべきか。
彼は、意を決して、信玄桜の花弁を懐から取り出し、戸の隙間から差し出した。

「これについて、お尋ねしたい儀がありまして」

 庵の中が、一瞬、静まり返った。そして、やがて、戸がゆっくりと開かれる。そこに立っていたのは、確かに老婆だった。

 顔には深い皺が刻まれ、その背は小さく曲がっていた。しかし、その瞳の奥には、鋭い光が宿り、小太郎を真っ直ぐに見据えていた。そ
の眼差しは、宿場町で耳にした噂の「病の者を癒す老婆」とは、かけ離れたものだった。

「ほう……。その花弁を、どこで手に入れた」

 老婆の声は、低く、そして警戒を含んでいた。小太郎は、老婆の鋭い視線に気圧されながらも、正直に答えた。

「甲斐の山奥の隠れ里で、ある老女から託されました。信玄公の……秘策に関わるものと伺っております」

 小太郎の言葉を聞くと、老婆の瞳に、かすかな揺らぎが生じた。
彼女は、小太郎が差し出した花弁をじっと見つめ、その指先が、かすかに震えているのが分かった。

「信玄公の秘策……。その言葉を、そなたのような若者が口にするとはな」

 老婆は、そう呟くと、小太郎に家の中に入るよう促した。
庵の中は、薬草の香りが充満し、様々な種類の薬草が吊るされていた。小太郎は、老婆の顔を改めて見た。老齢ではあるが、その顔立ちには、どこか凛とした美しさが残っていた。そして、その背筋は、想像以上に伸びていた。

「わしは、望月。そなたは、小太郎と申したか」

 老婆は、そう名乗った。
やはり、この老女こそ、望月千代女。小太郎は、内心で安堵の息を漏らした。

「そなたは、信玄公の真意をどこまで理解しておる」

 千代女は、小太郎の覚悟を試すかのように、問いを投げかけた。
その声には、一切の感情が読み取れない。小太郎は、これまで出会った人々から聞いた信玄の真意、そして、秘策の一端を、千代女に語り聞かせた。

 信玄が「謀反人」の汚名を甘んじ、民のために影で活動していること。そして、土屋昌続の覚悟。

 千代女は、小太郎の言葉を、静かに、しかし一点の漏らすことなく聞いていた。彼女の表情は変わらないが、小太郎は、その眼差しの中に、微かな感情の揺れを感じ取った。

「なるほど……。そなたは、己の目で真実を確かめ、この地まで辿り着いたというわけか」
 千代女は、そう言うと、静かに立ち上がった。その動きは、老齢とは思えないほど軽やかで、小太郎は思わず息を呑んだ。

「信玄公が、そなたに託したものが、もう一つあるはず。それを見せてみよ」

 千代女の言葉に、小太郎は驚いた。彼は、すぐに高坂昌信から託された文箱を取り出し、その中から和歌が記された紙を取り出した。

「春なき世に ひそかに咲きて 花は散る 残り香は 風にのりて 遠き里へ」

 小太郎が和歌を読み上げると、千代女の表情に、かすかな笑みが浮かんだ。それは、薄氷のように儚く、しかし、確かな笑みだった。

「その和歌に隠された真意が、そなたには見抜けるか」

 千代女は、小太郎に新たな問いを投げかけた。それは、彼の覚悟を試すだけでなく、その知恵を測る問いでもあった。小太郎は、和歌を読み返し、その言葉の奥に隠された意味を懸命に探った。そして、ある一つの可能性に思い至った。

「『春なき世に』とは、信長殿の天下。そして、『残り香は風にのりて遠き里へ』。この言葉は、信玄公の遺志が、遠く離れた地へと伝えられていくことを示しているのではないでしょうか。そして、この花弁……」

 小太郎は、信玄桜の花弁を指さした。
「この花弁には、信玄公がこれまで集めてこられた、様々な情報が隠されている。その情報こそが、『残り香』なのではないかと」

 小太郎の言葉に、千代女は静かに頷いた。彼女は、小太郎の言葉に満足したようだった。

「その通り。信玄公は、この世に病死したと見せかけ、その『残り香』を、真に忠義を尽くす者たちに託されたのだ。そして、その『残り香』こそが、信玄公の秘策の要。この花弁には、信玄公が長年かけて築き上げてきた、この国を巡る秘密の情報網の全てが記されておる」

 千代女は、そう言うと、小太郎に新たな手がかりを渡した。それは、墨で書かれた簡素な地図だった。地図には、信濃の山中に点在する、いくつかの場所が記されていた。

「ここには、信玄公の命を受け、密かに隠れ潜む者たちがいる。彼らは皆、信玄公の真意を理解し、秘策を成就させるために力を尽くす者たちだ。彼らを訪ね、新たな情報を手に入れるのだ」

 千代女の言葉に、小太郎の心に希望の光が灯った。信玄の秘策は、ただ一つの力ではない。多くの人々の忠義と、長年にわたって築き上げられた情報網の上に成り立っていたのだ。

「しかし、そなたの動きは、既に織田方の間者にも察知され始めておる。道中、用心を怠るでない」

 千代女の警告に、小太郎は身が引き締まる思いだった。信玄の秘策を巡る旅は、決して安穏なものではない。しかし、彼の心には、新たな決意が宿っていた。

 夜の帳が降り、庵の中は静寂に包まれていた。小太郎は、千代女から託された地図を胸に、信玄の秘策を巡る旅が、いよいよ本格的なものとなることを確信した。

 そして、その旅路の先には、信玄の真意と、この国の未来が、待っているのだ。
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