【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

文字の大きさ
15 / 143
第一章:死化粧の虎

第十五話:裏切り者の影

しおりを挟む
 おふうとの出会いを経て、心に一筋の温かさを宿した小太郎は、再び遠山景行の砦へと戻った。

 国境の攻防で受けた傷はまだ癒えていなかったが、彼の足取りは、以前よりも確かに力強かった。信玄の秘策を成就させるという使命に加え、おふうのような市井の民のささやかな願いを守りたいという思いが、彼の背中を押していた。

 砦に戻ると、景行は小太郎の帰りを待っていたかのように、奥の間で静かに座していた。

 小太郎は、国境の砦で得た情報、特に黒脛巾組の介入と、彼らが武田家内部の裏切り者を示唆するような会話を交わしていたことを報告した。景行の表情は、小太郎の報告が進むにつれて、徐々に厳しさを増していった。

「黒脛巾組……まさか、あの者たちが美濃にまで入り込んでいたとは。そして、武田家の中に裏切り者がいると申すか……」

 景行は、深く眉をひそめた。彼の目は、疑念と警戒の色を帯びていた。小太郎は、信濃路で手に入れた巻物を取り出し、景行に差し出した。

「これに、その可能性を示す記述がございました。信玄公の偽装死についても、言及されております」

 景行は、巻物を手に取り、その内容を読み始めた。読み進めるにつれて、彼の顔色はみるみるうちに青ざめていく。

 巻物には、武田家重臣たちの名が、内通者として記されていた。そして、その中には、小太郎が信玄の密命を託された人物である、高坂昌信の名も記されている。

「まさか……昌信殿が……」

 景行は、信じられないという表情で小太郎を見つめた。小太郎もまた、内心では高坂昌信の裏切りを信じたくなかった。しかし、巻物の記述は、あまりにも具体的だった。

「この情報は、どこまで信じるべきか、わからぬ。しかし、無視することもできませぬ」

 小太郎は、苦悩の表情で言った。信玄の秘策は、ただでさえ危険に満ちている。その上、味方の中に裏切り者がいるとすれば、全てが水泡に帰しかねない。疑心暗鬼が、小太郎の心を蝕み始めた。

 景行は、しばらく沈黙した後、巻物をそっと畳んだ。

「この砦の者の中にも、織田方に通じる者がいるやもしれぬ。今後は、誰を信じ、誰を疑うべきか、より慎重にならねばならぬ」

 景行の言葉は、小太郎の胸に重く響いた。信玄の秘策は、限られた者だけが知る、極秘の計画。しかし、その情報が漏れているとすれば、どこかに穴があるはずだ。

 その日から、砦の空気は一変した。
景行は、警戒を厳重にし、砦の出入りを監視させた。配下の武士たちも、互いに疑心暗鬼になり、不穏な空気が漂い始めた。小太郎もまた、誰を信じるべきか、常に自問自答を繰り返した。

 ある夜のことだった。小太郎は、見張り番の任に就いていた。夜風が冷たく、遠くで梟の鳴き声が響く。

 その時、かすかな物音が、砦の奥から聞こえてきた。普段であれば、気にも留めないような小さな音だが、小太郎の耳は、その音を捉えた。

 彼は、音もなく物音のする方へと向かった。そこは、砦の兵糧庫だった。兵糧庫の扉は、かすかに開いており、中から話し声が聞こえてくる。

「今日の情報は、確かに受け取った。褒美は、後日届ける」

 聞き覚えのない声が聞こえる。小太郎は、身を潜め、中の様子を窺った。

 中にいたのは、景行の配下の武士の一人、源三郎という男と、もう一人、顔の見えない男だった。源三郎は、織田方の間者と密会していたのだ。

「信玄の秘策は、いずれ必ずや暴き出す。その折には、お主の功績は、必ずや信長様に報告する」

 顔の見えない男の声が響く。源三郎は、嬉しそうに頷いている。小太郎の心臓が、激しく脈打った。裏切り者は、やはりこの砦の中にいた。

 小太郎は、激しい怒りに震えた。信玄の秘策を、彼らの忠義を、この男は売り渡そうとしているのか。しかし、ここで軽率に動けば、全ての計画が台無しになる。彼は、怒りを抑え、源三郎の行動を静かに見守った。

 二人の密会が終わると、顔の見えない男は、闇の中へと消えていった。源三郎は、満足げに兵糧庫の扉を閉めた。

 小太郎は、源三郎の背後から、音もなく現れた。
「源三郎殿、今宵は、いかがなされた」

 小太郎の声に、源三郎はびくりと肩を震わせ、振り返った。その顔に、驚愕と、そして焦りの色が浮かぶ。

「こ、小太郎殿……なぜ、ここに……」

 源三郎は、動揺を隠しきれない様子で言った。小太郎は、冷たい視線で源三郎を見据えた。

「源三郎殿。貴殿の行いは、全て見させてもらった」

 小太郎の言葉に、源三郎の顔から血の気が引いた。彼は、一瞬にして観念したような表情を見せると、その場に膝をつき、震える声で懇願した。

「どうか、どうか、景行様には……」

「貴殿の行いは、信玄公の御遺志を裏切るもの。そして、景行殿の忠義を、踏みにじるものだ」

 小太郎は、静かに言った。源三郎は、顔を伏せ、何も答えない。小太郎は、彼の背後から、わずかに香る薬草の匂いに気づいた。それは、おふうが持っていた薬草の匂いと酷似していた。

「貴殿は、病の身か」

 小太郎が問うと、源三郎は、ゆっくりと顔を上げた。その顔には、深い疲労の色と、そして絶望が浮かんでいた。

「わ、わしは……。妻が病で、どうしても金が……」

 源三郎は、途切れ途切れに言葉を紡いだ。彼の妻が重い病を患い、その治療費のために、織田方に内通するようになったというのだ。

 小太郎の胸に、複雑な感情が入り混じった。裏切りは許されることではない。しかし、彼の行動の裏には、切実な理由があった。

「たとえ、いかなる事情があろうとも、裏切りは許されぬ。しかし……」

 小太郎は、懐から信玄桜の花弁を取り出し、源三郎の前に差し出した。

「これを使えば、奥方の病は、回復に向かうかもしれぬ。ただし、これを使うか使わないかは、貴殿の判断に任せる。もし、この花弁を使えば、貴殿は二度と裏切りの道を選ぶことはできなくなるだろう。信玄公の秘策は、人の心を繋ぐもの。裏切り者の心には、決して光は射さぬ」

 小太郎の言葉に、源三郎は驚き、そして震える手で花弁を受け取った。その目には、再び希望の光が宿っていた。

 小太郎は、源三郎をその場に残し、静かに兵糧庫を後にした。彼の心には、新たな課題が突きつけられていた。信玄の秘策は、敵との戦いだけでなく、人々の心の中にある「闇」とも戦わねばならない。疑心暗鬼が渦巻く中で、いかに真の忠義を見抜き、裏切り者の影から、信玄の秘策を守り抜くのか。

 夜は更け、月は雲間に隠れてしまった。小太郎の旅は、裏切り者の影との対峙を経て、さらに深く、そして複雑な様相を呈していく。

 彼は、信玄の秘策を成就させるために、この「闇」とも戦い抜く覚悟を決めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

異聞坊ノ岬沖海戦      此れは特攻作戦に非ず

みにみ
歴史・時代
1945年4月 米軍が沖縄へと上陸 日吉台は菊水一号作戦発令 第一航空戦隊旗艦大和率いる第二艦隊は全兵力をもって これを迎撃せんとす 基地航空隊との協力を持ってこれを撃滅せよ

処理中です...