【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第四章:西国の風雲

第六十四話:村上水軍の娘

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 安芸の宮島、厳島神社の摂社裏手で、小太郎たちは村上水軍の長の娘、景(かげ)と対峙していた。

 聖地の「楔」が何者かに奪われた直後、景は小太郎たちを疑いの目で見ていたが、小太郎の弁明と信玄の歌集によって、その誤解は解け始めていた。

「信玄公の密命……。まさか、この宮島に、信玄公が手を加えられたとは……」

 景は、空の箱と、そこに残された「水」の文字を見つめながら、そう呟いた。彼女は、村上水軍の娘として、瀬戸内海の海の神々に深い敬意を払っており、厳島神社は彼女にとって特別な場所だった。

 小太郎は、景の瞳の奥に、聖地を守ろうとする強い意志を感じ取った。

「我らは、盗人ではございませぬ。むしろ、この『楔』を、信玄公の御心に沿って、探し求めている者。奪われた『楔』を取り戻すため、どうか、お力をお貸しいただけませぬか」

 小太郎は、そう言って、景に頭を下げた。村上水軍の娘である景は、この地の地理にも、水軍の動きにも詳しいはずだ。彼女の協力を得られれば、奪われた「楔」の行方を追う手がかりが見つかるかもしれない。

 景は、小太郎のひたむきな眼差しをじっと見つめた。そして、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「面白い男だ。信玄公の密命を受けし者、と申すか……。よかろう。この神社の『宝』が何者かに盗まれたことは事実。聖地を荒らした者を、このままにしておくわけにはいかぬ。貴様らの言葉に、偽りがないと見極めるためにも、共にその『楔』の行方を探してやろう」

 景は、そう言って、小太郎たちに協力することを承諾した。彼女の瞳には、村上水軍の娘としての誇りと、そして、未知なる信玄の秘策への好奇心が宿っていた。

 千代女は、景の潔さに感銘を受けていた。彼女は、景の立ち居振る舞いから、ただの武家の娘ではない、確かな胆力と才覚を感じ取っていたのだ。

「しかし、夜明けまでには時間がない。光秀の間者が、すでにこの島に潜入している可能性が高い。急がねば」
 千代女は、そう言って、景に状況を伝えた。

 景は、頷いた。
「宮島には、隠された抜け道や、聖地の秘密が数多くある。我らがこの島を熟知している。それに、この時間ならば、毛利水軍の警戒も手薄になっている場所もあろう」

 景は、そう言って、小太郎たちを案内し始めた。彼女は、闇に紛れて、神社の裏手にある、ほとんど人目につかない小道を進んでいく。その足取りは、慣れた様子で、闇夜でも淀みない。

 小太郎は、景の先導に従いながら、彼女の持つ海の民としての誇りと、この聖地への深い敬意を感じ取っていた。
彼女は、単なる武将の娘ではない。この海と、この島に生きる人々の守護者(しゅごしゃ)なのだ。

 おふうは、景の凛とした姿に、かすかな憧れの眼差しを向けていた。
彼女は、景の強さと、それに臆することなく行動する姿に、自分自身の未熟さを感じていたのだ。同時に、小太郎が景と親密に言葉を交わす様子に、おふうの胸中には、微かな嫉妬の念が芽生え始めていた。

「あの人は、一体……」

 おふうは、そう呟くと、景と小太郎の背中を、複雑な思いで見つめた。

 景は、小太郎たちを、神社の奥にある小さな滝へと案内した。滝の裏には、隠された洞窟があり、そこは、厳島神社の「宝物」を保管するための場所でもあった。

「この洞窟の奥に、かつて毛利水軍が、信長との戦で奪われた『宝』を隠していたことがある。もし、その『楔』が、何者かに盗まれたとすれば、ここへ運び込まれた可能性が高い」

 景は、そう言って、洞窟の入り口を指差した。洞窟の入り口は、蔦で覆われ、ほとんど人目につかない。

 小太郎たちは、洞窟の中へと足を踏み入れた。洞窟の中は、ひんやりとしており、奥からかすかな潮の香りが漂ってくる。

 洞窟の奥には、岩棚があり、その上に、小さな木製の箱が置かれていた。それは、まさに、小太郎たちが厳島神社で見つけた、あの空の箱と同じものだった。

「これだ……!」

 小太郎は、そう叫ぶと、箱へと駆け寄った。しかし、その箱もまた、中身は空っぽだった。

「どういうことだ……」

 小太郎は、愕然とした。一体、何者が、この「楔」を二度も盗んだのか。そして、その目的は。

 景は、箱の周囲を注意深く調べた。すると、岩棚の奥に、かすかな血痕が残っていることに気づいた。

「血痕……。誰かが、ここで争ったのか……?」

 景は、血痕を指差した。その血痕は、まだ新しく、ごく最近のものだと判断できた。

 千代女は、血痕に触れ、その感触を確かめた。
「これは……ただの血痕ではない。特殊な毒が混じっている。これは、伊達家の忍び、黒脛巾組(くろはばきぐみ)の使う毒だ」

 千代女の言葉に、小太郎はハッとした。黒脛巾組は、かつて信玄と敵対した伊達家の忍び。なぜ、彼らがこの宮島に現れ、信玄の「楔」を奪おうとしているのか。

「黒脛巾組……。信玄公は、この国の「闇」を排除しようとされていた。
まさか、その「闇」が、信玄公の秘策を妨害しようとしているのか」

 小太郎は、そう呟いた。信玄が、この国の安寧を願う一方で、その裏側で、暗躍する勢力がいることを、小太郎は改めて実感した。

 その時、洞窟の奥から、複数の足音が聞こえてきた。そして、かすかな話し声も。

「まさか……。光秀の間者か?」
 千代女は、刀の柄に手をかけた。

 しかし、景は、その足音を聞くと、驚きの表情を浮かべた。

「違う!これは……我らが村上水軍の者だ。そして、もう一人……」

 景の言葉に、小太郎たちは、洞窟の奥へと身を潜めた。

 洞窟の奥から現れたのは、数人の村上水軍の兵士たちと、彼らに護衛された一人の男だった。
男は、顔に深い傷跡があり、どこか冷たい雰囲気を纏っている。その手には、紛れもない、信玄の「楔」である木製の箱が握られていた。

「お前は……誰だ!」

 景は、その男に問いかけた。
男は、景の言葉に振り返り、その冷たい瞳で小太郎たちを睨みつけた。

「我が名は、黒脛巾組の残党、影虎(かげとら)。信玄公の秘策を、闇に葬る者」

 影虎は、そう言って、邪悪な笑みを浮かべた。彼は、奪われた「楔」を掲げると、その場を後にしようとした。

 小太郎は、影虎の言葉に、衝撃を受けた。黒脛巾組が、なぜ信玄の秘策を妨害しようとするのか。その背後には、一体何があるのか。

 宮島の聖地で、信玄の「楔」を巡る新たな戦いが始まる。
小太郎は、村上水軍の娘・景と共に、黒脛巾組の残党、影虎と対峙することになる。

 信玄の秘策は、敵対する勢力によって、すでに脅かされていたのだ。
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