【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第四章:西国の風雲

第七十三話:小太郎、外交の才

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 第十四章:九州の光と影
 第七十三話:小太郎、外交の才
 大友宗麟の居室を辞した小太郎たちは、未だ胸中に渦巻く様々な感情を抱えていた。

 病に伏せながらも、信玄の「和の世」の理念に深い理解を示した宗麟。しかし、その背後には、強硬な島津家の影が常に付き纏っていた。宗麟が抱える苦悩の深さに触れ、小太郎は改めて信玄の壮大な計画の重みを痛感していた。

 南蛮寺へと戻る道すがら、千代女が静かに口を開いた。

「宗麟様は、我らが思っていた以上に深く、南蛮の教えとこの国の伝統との間で葛藤しておられるようでした。そして、島津の介入……。我々の任務は、予想以上に困難を極めるやもしれません」

 千代女の声には、いつもの冷静さの中に、微かな懸念が滲んでいた。おふうもまた、不安げな表情で小太郎を見上げた。

「島津の方々のお言葉、とても厳しゅうございましたね。宗麟様が、あのまま信玄公の御心を受け入れてくださるとは、到底思えませぬ」

 おふうの言葉は、素直な危惧を映し出していた。小太郎は、二人の言葉に静かに頷いた。

「確かに、道のりは平坦ではあるまい。しかし、宗麟様は信玄公の御心に触れ、わずかながらの光を見出された。あの眼差しは、決して諦めのものではない」

 小太郎は、宗麟の瞳に宿っていた微かな希望の光を思い返していた。あの光を、確かなものへと変えることが、今の自分たちの役目だと、小太郎は強く感じていた。

 南蛮寺の一室に戻り、改めてフロイスと今後のことについて話し合った。

「宗麟様の御容体は、決して芳しくはない。しかし、信玄公の書状と、貴殿らの言葉は、宗麟様の心に、新たな希望の種を蒔いた。だが、この種を育てるには、時間が必要であろう。そして、島津の圧力は、日増しに強まるばかり。宗麟様は、信玄公との連携を公にすることはできぬ立場だ」

 フロイスの言葉は、厳しい現実を突きつけていた。
宗麟が信玄の計画に賛同したとしても、島津家の存在が、その連携を阻む壁となる。小太郎は、どうすれば宗麟が信玄の秘策に深く関与できるのか、考えを巡らせた。

「フロイス殿。宗麟様が、信玄公の御心を受け入れたとしても、表立って動くことは難しい。しかし、水面下で協力を得ることは可能ではありませぬか」

 小太郎の問いに、フロイスは静かに頷いた。
「貴殿の言う通り。宗麟様は、すでにキリスト教に帰依しておられる。信玄公の目指す『和の世』は、まさに神の愛による平和と相通ずるもの。表向きは信仰のため、と偽り、水面下で信玄公の計画を助けることは可能であろう。だが、そのためには、宗麟様を深く動かす、決定的な一押しが必要となる」

 フロイスの言葉に、小太郎は深く考え込んだ。宗麟を動かす「決定的な一押し」とは、一体何だろうか。
それは、単なる武力や政治的な駆け引きではないはずだ。宗麟の心を深く揺さぶり、彼自身の信念と合致するものでなければならない。

 その時、小太郎の脳裏に、ザビエルの手記の一節が蘇った。
豊後の民が古くから大切にしてきた「祈りの場」、そしてザビエルがその地で病に苦しむ人々を癒すために尽力した記録。

「フロイス殿。ザビエル殿の手記に記されていた、臼杵の石仏群について、もう少し詳しくお聞かせ願えませぬか。信玄公が、そこに次の『楔』を置かれた意図を、改めて宗麟様に説くことはできませぬか」

 小太郎の提案に、フロイスの目が輝いた。

「それは、良い着眼点だ、小太郎殿。ザビエル殿は、その手記の中で、臼杵の石仏群が、この地の民にとって、いかに重要な『祈りの場』であるかを詳細に記しておられる。そして、その信仰の篤さに、深い感銘を受けておられた。信玄公は、その石仏群に『楔』を置くことで、日本の伝統的な信仰とキリスト教が、争うことなく共存し得ることを示そうとされているのだ」
 フロイスは、そう言って、ザビエルの手記を広げた。

 手記には、臼杵の石仏群の詳細な描写と共に、ザビエルが石仏群を訪れた際の心情が、情熱的な筆致で綴られていた。

 ザビエルは、異国の地である日本の民が、深く根ざした信仰心を持ち、それが人々の心の支えとなっていることに、深い感動を覚えていた。そして、その信仰の場に、キリスト教の教えがどのように融和し得るかについて、真剣に考察していたのだ。

「ザビエル殿は、石仏群の近くで、病に苦しむ民を癒すため、自ら薬草を摘み、手当てを施したと記されております。
その姿は、まさしく神の愛を体現するもの。信玄公は、ザビエル殿のその行いを、この豊後における『和の世』の象徴として見出しておられるのかもしれない」

 フロイスの言葉に、おふうの目が大きく見開かれた。

「病に苦しむ人々を癒す……。私の祖父、土岐十蔵もまた、そうでありました。もしかしたら、ザビエル殿は、私の祖父と、この臼杵の地で出会っていたのかもしれません」

 おふうの胸には、祖父の過去へと繋がる、確かな予感が芽生えていた。彼女の瞳は、希望に満ちて輝いていた。

「小太郎殿、おふう殿。貴殿らが、宗麟様のもとへ再び参られ、ザビエル殿のこの手記を読み聞かせ、そして、臼杵の石仏群が信玄公の目指す『和の世』にとって、いかに重要な場所であるかを説くのだ。
宗麟様は、きっと、貴殿らの言葉に耳を傾けてくださるであろう」

 フロイスは、そう言って、ザビエルの手記を小太郎に手渡した。小太郎は、その重みに、改めて信玄の、そしてザビエルの遺志の重みを感じていた。

「承知いたしました、フロイス殿。必ずや、宗麟様を動かしてみせます」
 小太郎は、決意を込めた眼差しで、フロイスに頷いた。

 その日の夕刻、小太郎、千代女、おふうの三人は、再び府内城へと向かった。
宗麟の居室の前に立つと、千代女が小さく息を吸い込んだ。

「小太郎様。今度は、島津の者たちを警戒しながら、宗麟様の心に深く響く言葉を紡がねばなりません。おふう殿も、もし祖父君の手がかりが見つかれば、それは宗麟様を動かす大きな力となるでしょう」

 千代女の言葉に、小太郎とおふうは頷いた。緊張が走る中、宗麟の家臣が、静かに障子戸を開けた。

 宗麟の居室に足を踏み入れると、先ほどと変わらぬ南蛮風の調度品と、異国の香りが小太郎たちを迎えた。
宗麟は、臥せったままだが、その顔色はわずかに回復しているように見えた。

「フロイス殿からの進言で、再び参上いたしました。宗麟様にお伝えしたいことがございます」

 小太郎は、静かに宗麟に語りかけた。宗麟は、ゆっくりと小太郎たちに目を向けた。その眼差しには、先ほどよりも一層、深い思慮が宿っているように見えた。

「再びか。して、今度はどのような話をもたらすのか。島津の者たちは、まだ城下に潜んでおる。あまり長居はできぬぞ」

 宗麟の言葉には、島津家への警戒感が滲んでいた。小太郎は、そんな宗麟の心境を察し、単刀直入に本題に入った。

「宗麟様。先ほど、フロイス殿より、ザビエル殿が日本滞在中に記された手記を拝借いたしました。この手記には、ザビエル殿がこの豊後の地で、病に苦しむ民を癒すために尽力された記録、そして、この地の古くからの信仰と、キリスト教の教えがどのように融和し得るかについて、深く考察された内容が記されております」

 小太郎は、そう言って、ザビエルの手記を宗麟の枕元に置いた。宗麟は、手記に目を凝らし、その表紙に触れた。

「ザビエル殿の手記……。まさか、それが今、この豊後に残されていたとは」

 宗麟の声には、驚きと同時に、深い感慨が込められていた。彼は、キリスト教を深く信仰する者として、ザビエルの存在は特別なものだった。小太郎は、手記をゆっくりと開き、ザビエルが臼杵の石仏群を訪れた際の一節を読み始めた。

「『豊後の民は、古くからの石仏に深く祈りを捧げる。その姿は、我らの神への信仰にも通ずるものがあり、彼らの心に宿る清らかさに、私は深く感動した。この地に、神の愛の種を蒔き、古くからの信仰と融和させることができれば、真の平和が訪れるであろう』」

 小太郎が朗読するザビエルの言葉に、宗麟は静かに耳を傾けていた。彼の顔には、深い思索の表情が浮かんでいる。

「ザビエル殿は、臼杵の石仏群を、この豊後における『和の世』の象徴として見出しておられた。信玄公もまた、そこに、異なる信仰、異なる文化が共存する可能性を見出し、次の『楔』を置かれたのです。
それは、武力による統一ではなく、多様な価値観を尊重し、互いを理解し、共に生きる『和の世』への願いが込められております」

 小太郎の言葉は、宗麟の心の奥底に深く響いているようだった。宗麟は、ゆっくりと小太郎に目を向けた。その瞳は、先ほどよりも一層、力強い光を宿していた。

「ザビエル殿の遺志……。そして、信玄公の御心……。それらが、この臼杵の石仏群で、一つに繋がるというのか」

 宗麟は、そう呟くと、深々と息を吐いた。彼の心には、長きにわたる葛藤が、少しずつ氷解していくのを感じていた。

 その時、おふうが静かに口を開いた。
「宗麟様。この手記には、ザビエル殿が、臼杵の地で、病に苦しむ人々を癒すために尽力された記録も残されております。私の祖父、土岐十蔵もまた、同じように病に苦しむ人々を癒すことに尽力した薬師でございました。もしかしたら、ザビエル殿と祖父は、この臼杵の地で、出会っていたのかもしれません」

 おふうの声は、震えていたが、その瞳は希望に満ちて輝いていた。

 宗麟は、おふうの言葉に驚き、ゆっくりと手記をめくった。
そこには、確かに、ザビエルが臼杵の地で病人を手当てした際の詳細な記録が記されており、その中には、薬師の老人の協力があったことも示唆されていた。

「これほどの巡り合わせが……。ザビエル殿の遺志、信玄公の御心、そしてそなたの祖父の行い。それらが、この豊後の地で、一つの線となるのか」

 宗麟は、そう呟くと、感極まったように目を閉じた。彼の心には、長きにわたる苦悩が、奇跡のような巡り合わせによって、癒されていくのを感じていた。

「小太郎殿、フロイス殿。そして、おふう殿。わしは、信玄公の目指す『和の世』に、真の平和の可能性を見た。そして、ザビエル殿の遺志が、この豊後の地に、今も息づいていることを確信した」

 宗麟は、力強い声でそう告げた。彼の顔には、病の影は残るものの、確かな決意の光が宿っていた。

「わしは、信玄公の御心に報いるため、水面下で協力を惜しまぬ。臼杵の石仏群に隠された『楔』を、貴殿らと共に探し出そう。そして、この豊後の地から、真の『和の世』を築き上げる礎とせん」

 宗麟の言葉は、小太郎たちにとって、何よりも力強いものだった。病に伏せった宗麟の、決意に満ちたその眼差しは、まさしく九州の雄と呼ぶに相応しいものだった。

 しかし、その決意の裏には、島津家の影が迫っていた。宗麟が信玄と手を組んだことが露見すれば、島津家は黙ってはいられないだろう。小太郎は、宗麟の決断の重みを噛み締めながら、次なる行動へと意識を向けた。

 臼杵の石仏群に隠された「楔」。それは、この豊後の、そして日本の未来を左右する、重要な鍵となるに違いない。
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