【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第四章:西国の風雲

第七十八話:大友家の内紛

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 臼杵の石仏群での一件は、小太郎たちに、信玄の目指す「和の世」が、単なる理想論ではないことを改めて示していた。

 争いを避け、対話によって理解を深めることの重要性。そして、その道が、いかに困難であるかをも痛感させられた。
 島津の間者たちが引き下がったとはいえ、彼らの持つ異文化への強い反発心は、豊後の地に深く根付いていることを肌で感じた。

 石仏群を後にした小太郎たちは、再び府内城へと戻るべく山道を下っていた。

 おふうは、祖父の過去に繋がりそうな手がかりを得られたことで、その足取りはいくぶん軽やかになっていた。
しかし、小太郎の心には、新たな懸念が募っていた。島津家の動きもさることながら、大友家内部の不和が、信玄の計画に大きな影を落とすのではないかという危惧だ。

「フロイス殿。宗麟様が信玄公の御心に共鳴されたことは、まことに喜ばしい限り。しかし、島津の警戒もさることながら、大友家内部の不和が、この先、厄介な障壁となるやもしれませぬな」

 小太郎は、そう問いかけた。フロイスは、静かに頷いた。

「貴殿の懸念は、もっともでございます、小太郎殿。大友家は、宗麟様がキリスト教に傾倒されて以来、内部で深い対立を抱えております。宗麟様の嫡男、義統様は、父君とは異なり、南蛮の教えに懐疑的であると聞いております。そして、親信長派と反信長派の対立も、日増しに激しくなっております」

 フロイスの言葉は、小太郎の予感を裏付けるものだった。
宗麟が信玄の志に共感したとしても、家中の反対勢力が強ければ、水面下での協力もままならぬ。特に、信長と結びつく勢力が強ければ、信玄の計画は露見する危険性も孕んでいた。

「信長は、西国の大名たちを次々と取り込み、その勢力を拡大しております。大友家にも、信長公の威光に魅せられ、あるいはその力に屈し、接近する者が少なくありませぬ」
 フロイスは、言葉を続けた。

小太郎は、美濃や京での経験を思い返していた。信長の圧倒的な力は、多くの者を魅了し、また恐怖させている。
その影響は、遠く九州の大友家にも及んでいるのだ。
 
 府内城に戻ると、千代女が彼らを待っていた。彼女の顔には、疲労の色が浮かんでいる。

「小太郎様、フロイス殿、おふう殿。ご無事であったか。島津の間者の動きは、私が抑えておいたが、奴らは相当数の手勢を豊後国内に送り込んでいる模様。そして、大友家内部にも、不穏な動きがござる」

 千代女の言葉は、彼らの懸念をさらに深めるものだった。

「やはり、大友家内部か。どのような動きが」
 小太郎が尋ねると、千代女は慎重に言葉を選んだ。

 「宗麟様の嫡男、義統様が、信長公からの使者と密かに会見しているとの噂が、城内に広まっております。その使者は、信長公からの贈り物として、京の最新の武器や茶器などを運び込んでいるとか。そして、大友家の一部の重臣たちも、義統様と共に、宗麟様の政策に公然と異を唱え始めているようです」

 千代女の報告は、まさに嵐の前の静けさを感じさせるものだった。信長が、大友家内部に楔を打ち込もうとしている。そして、宗麟の嫡男である義統が、その動きに乗じているとすれば、宗麟の立場は極めて危ういものになる。

「信長は、武力だけでなく、人心をも操ろうとしておるか……」

 小太郎は、静かに呟いた。信長は、決して愚かではない。宗麟がキリスト教に傾倒していることを利用し、その家督を揺るがそうとしているのだ。

「義統様は、父君の南蛮趣味を快く思っておらぬ。そして、父君が信玄公と通じているなどと知れば、さらに反発を強めるでしょう。信長公は、その隙を狙っているのです」

 フロイスは、そう言って、苦渋の表情を浮かべた。宗麟は、自身の信仰心と、家中の安定との間で板挟みになっている。そして、信長は、その宗麟の苦悩を巧みに利用しようとしているのだ。

「宗麟様は、すでに信玄公の御心に共感され、水面下での協力を約束してくださった。このままでは、宗麟様の立場が危うくなる。何とかして、義統様の目を覚まさねば」

 小太郎は、そう口にしたが、具体的にどうすればよいのか、確たる策は見えてこなかった。
嫡男と父の間の確執に、他国の者が介入することは、さらなる混乱を招きかねない。

 その日の夜、小太郎は千代女、おふうと共に、再び宗麟との面会を願い出た。
宗麟は、疲労の色を濃くしながらも、小太郎たちを迎え入れた。

「何用で参った。義統が、近頃、信長からの使者と頻繁に会っておる。この城内も、穏やかではない」

 宗麟は、そう言って、静かに目を閉じた。その言葉には、嫡男への苦悩と、家中の不穏な空気への焦りが滲んでいた。

「宗麟様。我らは、臼杵の石仏群にて、信玄公の『楔』を見つけました。それは、この地の民が古くから大切にしてきた祈りの力を凝縮した水晶でした。信玄公は、この豊後の地に、異なる信仰と文化が融和し、共に生きる『和の世』の礎を築こうとされております」

 小太郎は、そう言って、懐から水晶の「楔」を取り出し、宗麟の枕元に置いた。水晶は、静かに光を放ち、部屋の中に清らかな空気を満たした。

 宗麟は、その水晶に目を凝らし、ゆっくりと手を伸ばした。

「この光……。ザビエル殿が、この豊後の民に与えようとした、神の愛の光のようにも見える……」

 宗麟は、水晶を掌に包み込み、深く息を吐いた。彼の表情は、一瞬にして穏やかになったようだった。

「宗麟様。信長公の天下布武は、武力による一方的な統一でございます。それは、民の心を縛りつけ、異なる価値観を排斥するものでございます。義統様が、もし信長公の道を選ぶならば、それは、この豊後の多様な文化と信仰を否定し、この地から真の安寧が失われることになりかねません」

 小太郎は、宗麟の心に訴えかけるように語りかけた。おふうもまた、宗麟に語りかけた。

「宗麟様。わたくしの祖父、土岐十蔵は、この豊後の地で、信仰や身分の違いに関わらず、病に苦しむ人々を癒すことに尽力いたしました。それは、信玄公が目指す『和の世』、そしてザビエル殿が説かれた『神の愛』と、決して異なるものではございません。義統様が、信長公の道を選ぶならば、祖父が守ろうとしたこの地の精神も、失われてしまうかもしれません」

 おふうの言葉は、宗麟の胸に深く響いたようだった。

 宗麟は、水晶を握りしめ、目を閉じた。
彼の脳裏には、ザビエルとの交流、そして、これまで自分が守り続けてきた豊後の民の笑顔が浮かんでいたのかもしれない。

 しばらくの沈黙の後、宗麟はゆっくりと目を開けた。その瞳には、再び強い光が宿っていた。

「小太郎殿、おふう殿、フロイス殿。貴殿らの言葉、まことに心に響いた。わしは、信長が目指す天下布武が、真の平和をもたらさぬことを確信した。義統の心も、いつか必ずや動かしてみせる。だが、今はまだ、時期尚早。信長の間者が、城内に目を光らせておるゆえ、軽率な行動は控えねばならぬ」

 宗麟は、そう告げると、千代女に目を向けた。
「千代女殿。貴殿の働き、感謝する。引き続き、義統の動き、そして信長の間者の動向を警戒してくれ。わしは、この『楔』を胸に、信玄公の御心に応える策を練ろう」

 宗麟の言葉は、彼が信玄の計画を深く理解し、具体的な行動へと移ろうとしていることを示していた。
しかし、同時に、宗麟の置かれた立場の危うさも浮き彫りにした。

 嫡男である義統の存在、そして信長の巧妙な介入。宗麟が、いかにしてこの難局を乗り越えるか、小太郎は固唾を飲んで見守るしかなかった。

 小太郎たちは、宗麟の居室を後にした。
外は、すでに深い夜の闇に包まれていた。満月が、雲間から顔を出し、城下を淡く照らしている。この夜空の下、信玄の壮大な計画は、着々と進行している。
しかし、織田信長の反撃もまた、確実に近づいていることを、小太郎は肌で感じていた。

 嵐の前の静けさ。西国での活動を終え、小太郎は次なる指示を待つしかなかった。
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