【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第四章:西国の風雲

第七十九話:嵐の前の静けさ

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 三度(みたび)にわたる宗麟との謁見を終え、小太郎たちは府内城下へと戻っていた。

 夜の闇に包まれた町は、日中の喧騒が嘘のように静まり返っている。
しかし、その静寂の中に、言い知れぬ緊張感が漂っているのを小太郎は感じていた。

 宗麟は、信玄の目指す「和の世」の理念に深く共感し、水面下での協力を約束してくれた。
しかし、その決断は、大友家内部の不和をさらに深め、ひいては信長との対立を招く危険性を孕んでいた。

「宗麟様の御決意、まことに重うございます」
 千代女が、静かに呟いた。
彼女の言葉には、宗麟の置かれた苦境への理解と、今後の展開への警戒が滲んでいた。

「うむ。しかし、島津の介入、そして義統殿の動き……。宗麟様は、綱渡りのような道を歩まれることになるであろう」

 小太郎は、そう言って、夜空を見上げた。
満月が、雲間から顔を出し、城下を淡く照らしている。この光の下で、信玄の壮大な計画は、着々と進行しているように見えたが、その裏では、織田信長の反撃が確実に近づいていることを肌で感じていた。

 南蛮寺に戻ると、フロイスが彼らを待っていた。彼は、小太郎たちの顔を見るなり、安堵の息を漏らした。

「ご無事で何より。宗麟様の御心は、動かされたようだが、家中の不穏な動きは、日増しに強まっておる。特に、信長公からの使者が、連日、義統様の元へ通い詰めていると聞く」

 フロイスの報告は、やはり小太郎たちの懸念を裏付けるものだった。
信長は、宗麟の信仰心と、嫡男義統の不満を巧みに利用し、大友家を内から切り崩そうとしているのだ。

「信長は、武力だけでなく、人心をも弄ぶことに長けております。このままでは、宗麟様が孤立し、計画が露見する恐れもございます」

 千代女が、冷静な声で分析した。
彼女の言葉に、小太郎は深く頷いた。
信玄の計画は、各地の有力大名との水面下での連携によって成り立っている。もし、その連携が露見すれば、信長は容赦なく武力をもって潰しにかかるだろう。

「信玄公からは、次なる指示はございましたか?」

 小太郎がフロイスに尋ねた。フロイスは、静かに首を横に振った。

「今のところは。しかし、この西国での働きは、信玄公の計画において、極めて重要な意味を持つ。宗麟様を味方につけたことは、織田包囲網を築く上で、大きな足がかりとなるであろう」

 フロイスの言葉に、小太郎は、自身が成し遂げたことの重みを改めて感じた。しかし、その喜びは、新たな不安によって打ち消されてしまう。

 おふうは、静かに小太郎の傍らに座っていた。彼女は、臼杵の石仏群での出来事以来、どこか遠くを見つめるような目をしている。
祖父の過去、そして九州が祖先の故郷であるという予感。それは、おふうの心に、新たな感情を芽生えさせていた。

 「小太郎様。わたくし、祖父の故郷について、もっと知りたいのです。祖父は、なぜこの九州を離れ、甲斐へと渡ったのでしょうか。そして、なぜ裏切り者の汚名を着せられたのか……」

 おふうの言葉は、悲痛な響きを帯びていた。彼女の瞳には、過去の真実を探し求める、強い光が宿っていた。

 「おふう。必ずや、その真実を突き止めてみせる。それが、わしにできることだ」
小太郎は、おふうの肩にそっと手を置いた。

 おふうは、小太郎の言葉に、わずかに笑顔を見せた。彼女の決意は、小太郎の心にも、新たな使命感を与えていた。

 その夜、小太郎は、自室で信玄から託された文箱を取り出した。
中には、これまでに集めた「楔」の情報と、次の指示を待つよう記された手紙が入っていた。

 信玄は、各地に「楔」を置くことで、日本の精神的な繋がりを回復し、戦乱の気を鎮めようとしている。
そして、その背後には、信長の天下布武に対抗する、壮大な戦略が隠されているはずだ。

「信玄公は、この静けさの中で、何を企んでおられるのか……」

 小太郎は、窓の外に広がる闇を見つめた。
嵐の前の静けさ。それは、新たな戦乱の予兆なのか、それとも、信玄が仕掛ける壮大な策の序曲なのか。小太郎には、まだその全貌は見えてこなかった。

 数日が過ぎた。
その間、小太郎たちは、大友家内部の動きを警戒しつつ、次なる指示を待っていた。

 千代女は、城下や港の情報を細かく収集し、義統の動きや信長の使者との接触を監視していた。
彼女の報告は、宗麟と義統の間の溝が、日増しに深まっていることを示していた。

 重臣たちの間でも、信長に与するべきか、宗麟に従うべきかで意見が二分し、緊張感が高まっているという。

 ある日の夕刻、千代女が、緊急の報せを持って小太郎たちの元へやってきた。

「小太郎様。信長公からの使者が、明日、宗麟様と義統様、そして重臣一同が集まる場で、宗麟様に対し、正式に信長公への恭順を迫るらしい。そして、もし宗麟様が拒めば、島津家と連携し、武力をもって大友家を攻め滅ぼすことも辞さない、と告げる手筈になっているとのこと」

 千代女の言葉に、小太郎は息を呑んだ。
信長は、宗麟を追い詰め、強硬な手段に出るつもりなのだ。

 それは、宗麟が信玄と通じていることを知る前触れなのか、それとも、ただ宗麟の信仰心と、家中の不和を巧みに利用しようとしているだけなのか。
いずれにせよ、宗麟は、明日、重大な決断を迫られることになる。

「なんと……。宗麟様は、信長公の圧力に屈することなく、信玄公の御心に応えてくださるであろうか」
 おふうが、不安げな表情で呟いた。

 フロイスもまた、厳しい表情で沈黙していた。
宗麟の決断は、信玄の西国における計画の成否を左右する、極めて重要なものとなる。

 小太郎の脳裏には、信玄の言葉が蘇った。「人の心に宿る根源的な願い、すなわち安寧と共存の願いこそが、真の平和をもたらす」。
信玄は、武力による統一ではなく、多様な価値観が共存する「和の世」を目指している。宗麟が、その理念に共感し、信長の圧力に屈することなく、自らの信念を貫いてくれることを、小太郎は強く願った。

 しかし、同時に、信長が放った「新たな刺客」の影が、小太郎たちの背後に忍び寄っていることを、小太郎はまだ知る由もなかった。
明日、大友家で繰り広げられるであろう激しい議論の裏で、小太郎たちの身にも、新たな危険が迫っていた。

 夜空には、不穏な雲が広がり始めていた。
嵐の前の静けさ。それは、やがて来る大いなる波乱の序章に過ぎない。
西国での小太郎たちの旅は、いよいよ核心へと向かおうとしていた。
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