【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第六章:本能寺への序曲

第九十九話:再会と新たなる密命

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 琵琶湖の畔から、再び美濃を目指す小太郎の足取りは、かつてないほどに軽やかだった。手に握られた「楔」が、ずっしりと重い。

 道中、織田の厳しい検問を巧みに避け、人目を忍んで夜道を駆ける。闇夜に紛れる彼の姿は、まさに疾風の如く、一瞬の閃光となって消え去る。

 数日後、小太郎は美濃の隠れ処へとたどり着いた。苔むした岩窟の奥深く、信玄は静かに座していた。
その顔は、以前にも増して深く刻まれた皺が目立つものの、瞳の奥には揺るぎない光が宿っている。

「戻ったか、小太郎」

 信玄の声は、微かに掠れていたが、その響きは小太郎の心に温かく染み渡った。

「はい、信玄様。最後の『楔』、確かに持ち帰りました」

 小太郎は恭しく頭を下げ、手にしていた大樹の石像を差し出した。信玄は、ゆっくりと石像を受け取ると、慈しむようにそれを撫でた。

「よくやった。この『楔』は、いずれ天下を動かす礎となるもの。お主の働き、見事であった」

 信玄の言葉に、小太郎の胸に熱いものが込み上げた。しかし、安堵したのも束の間、信玄の表情がにわかに厳しくなる。

「さて、小太郎。お主には、これまで知らされていなかった我らの真の計画を明かす時が来た」

 小太郎は、信玄の言葉に身を引き締めた。これまで、各地を巡り「楔」を集めることに専念してきたが、その背後にある壮大な謀略については、一切知らされていなかったのだ。

「この『楔』、そしてこれまでお主が集めてきた『楔』は、単なる霊的な繋がりを回復させるためのものではない。これらは、来るべき天下分け目の戦において、徳川家康に味方する者たちとの密約の証。そして、最後のこの『楔』は、ある人物の心を動かし、織田信長を討つための鍵となる」

 信玄の言葉は、小太郎の予想を遥かに超えるものだった。信長を討つ? そして、家康が天下を担ぐ? 小太郎の脳裏に、これまでの旅で出会った人々、そして彼らが抱く信長への不満や、泰平の世を願う声が去来する。

「その人物とは……?」

 小太郎が問いかけると、信玄は静かに目を閉じ、そして開いた。その瞳には、深淵を覗き込むような、底知れぬ決意が宿っていた。

「明智光秀よ」

 小太郎は息を呑んだ。明智光秀。あの織田信長の腹心にして、小太郎自身も幾度となくその影に脅かされてきた人物。彼が、信長を討つ?

「光秀は、信長の苛烈な支配に苦悩しておる。その心に、我らの『楔』を打ち込むのだ」
 信玄はそう言って、再び大樹の石像を小太郎に手渡した。

「この石像を光秀に見せ、我らが信長打倒の真の志を伝えるのだ。この『楔』は、単なる物品ではない。これまでの旅で、お主が民の悲しみ、憎しみ、そして泰平への願いに触れてきたであろう。この石像には、それら全ての『民意の象徴』が込められておる。それを見せ、光秀の信頼を得るのだ」

 信玄の言葉に、小太郎は全身が震えるのを感じた。これまで、ただ命じられるままに動いてきた自分が、この壮大な計画の、信長打倒という歴史を揺るがす謀略の、最前線に立つことになろうとは。

「承知いたしました、信玄様。この小太郎、命に代えても」

 小太郎が固く誓うと、信玄は満足そうに頷いた。

「そして、もう一人、お主と合流させる者がある。その者は、お主の心を支え、我らの計画を陰から支える重要な存在となるであろう」

 信玄の言葉に、小太郎は胸騒ぎを覚えた。その時、岩窟の奥から、かすかな足音が聞こえてきた。ゆっくりと姿を現したのは、見慣れた薬師の装束を身につけた、あの小さな背中だった。

「おふう……!」

 小太郎の口から、驚きと安堵が混じった声が漏れた。美濃に留まり、意識不明の重体だと聞かされていたおふうが、そこに立っている。顔色はまだ僅かに青白いが、その瞳には、以前と変わらぬ輝きが宿っていた。

「小太郎さん……。ご無事でしたか」

 おふうは、目に涙を浮かべながら、小太郎のもとへ駆け寄った。小太郎もまた、無意識のうちにおふうの手を握りしめていた。その温かさが、この世に確かな存在することの証のように感じられた。

「おふう、よくぞ……」

「フロイス様の手厚い看護のおかげです。そして、私自身の薬師としての知識が、回復を早めてくれたようです」

 おふうの言葉に、信玄は静かに頷いた。

「おふうの回復は、我らにとって僥倖であった。彼女の薬師としての知識は、来るべき計画において、必ずや大きな力となるであろう」

 信玄はそう言うと、小太郎とおふうに向き直った。

「小太郎、おふう。これより、お主たち二人は、光秀の動向を探り、我らの計画への協力を取り付けるため、京へ向かうのだ」

 信玄の新たな密命は、想像以上に重いものだった。しかし、小太郎の隣には、奇跡的な回復を遂げたおふうがいる。彼女の存在は、小太郎の心に、これまで以上の勇気と決意をもたらした。

 その頃、明智光秀は、自身の居城である坂本城で、夜更けまで書物を読み耽っていた。信長からの理不尽な叱責、そして彼が推し進める天下統一の苛烈さに、光秀の心は深く苦悩していた。

「このままでは、天下は血で血を洗うばかり……。真の泰平は、いつ訪れるというのだ……」

 信長への忠誠と、自らの理想との間で揺れ動く光秀の心は、まさに嵐の前の静けさのように、深い闇を抱え込んでいた。

彼はまだ知らない。遠く離れた美濃の地で、密かに生き長らえていた甲斐の虎が、自らの命運を大きく変える「楔」を携えた二人の若き忍びを、今まさに京へと放ったことを。

 そして、その「楔」が、やがて彼自身の人生を、そして日本の歴史そのものを大きく揺るがすことになろうとは。
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