【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第七章:本能寺炎上と虎の遺志

第百十七話:望月千代女、最後の報告

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 千代女は、家康の前に一歩進み出た。

千代女の眼差しは、鋭い中にも、信玄への絶対的な忠誠と、その遺志を全うしようとする強い決意を宿していた。

「望月千代女、家康様にお目通りいたします」

千代女は、深々と頭を下げた。
その声は、感情を抑えつつも、揺るぎない響きを持っていた。

「千代女殿、大儀であった。信玄様が旅立たれたこと、わしも心より悼んでおる」

家康の言葉に、千代女の表情に一瞬、悲しみが滲んだ。

 彼女にとって、信玄はただの主君ではない。その才能を見抜き、忍びの道へ導き、己の全てを捧げさせた恩人であった。

 信玄の死は、彼女の心の奥底に、深い空虚感を残していた。しかし、信玄の遺志を継ぐという使命が、彼女を支えていた。

「信玄様の御遺命に従い、この千代女、残された全ての任を全ういたしまする」

千代女は、そう言って懐から一巻の巻物を取り出した。

「これなるは、信玄様が長年にわたり築き上げられた、全ての諜報組織の記録にございます。網羅された情報網、各地に配された隠密衆、そして彼らへの指示系統の全てがここに記されております。信玄様の遺言に従い、これら全てを、家康様の指揮下にお移しいたします」

家康は、その巻物を受け取った。
信玄がどれほどの年月と労力をかけて、この巨大な諜報組織を築き上げてきたか。その途方もない規模に、家康は改めて信玄の偉大さを痛感した。

 この情報網があれば、天下の情勢を掌握し、来るべき戦乱を乗り越える上で、これほど強力な武器はないだろう。

「承知した。信玄様の御心、しかと受け止め、この情報網を、泰平の世のために活用する所存」

家康は、巻物をしっかりと抱え、千代女に告げた。千代女は、家康の言葉に満足そうに頷いた。

「そして、小太郎殿には、信玄様の墓所の場所をお伝えいたしたく存じます」

千代女は、小太郎に視線を向けた。
小太郎の瞳には、師への深い敬愛と、そしてその遺志を継ぐ覚悟が満ち溢れていた。

 千代女は、地図を広げ、信玄が最後に息を引き取った美濃の隠れ庵の場所、そして彼の遺体が静かに仮埋葬され、火葬された「信玄公御墓所」の詳細を、小太郎に伝えた。

「信玄様は、御自身の死を三年隠すよう命じられました。ゆえに、この墓所の場所は、信玄様の御遺命を継ぐ、貴方様方のみが知る秘密でございます」

千代女の言葉に、家康、小太郎、おふう、そして半蔵(光秀)の四人の間に、重い沈黙が流れた。
この場所に葬られたのが信玄であることは、今、この場にいる者たちだけが知る事実なのだ。

 後に、家康が江戸幕府を開いた折、その大命を全うした証として、小太郎に命じてこの石棺を掘り返させ、正式に「信玄公御墓所」としてお墨付きを与えることになる。しかし、今はまだ、歴史の闇に深く隠された、秘められた場所であった。

「信玄様は、この乱世の終焉と、その後の泰平の世を、誰よりも願っておられました。その御遺志は、小太郎殿と家康様に託されたのです」

千代女の言葉は、小太郎の心に深く響いた。彼は、信玄様の遺骸が安らかに眠る場所を知り、いつか必ずその地を訪れようと心に誓った。

役目を全て果たし終えた千代女は、深い満足感に浸っていた。彼女の人生は、信玄に捧げられ、その遺志を継ぐために生きてきた。もう、彼女にこの表舞台に留まる理由はない。

「これにて、望月千代女、全ての報告を終え、信玄様の御遺命を全ういたしました。これよりは、歴史の表舞台から、静かに姿を消す所存にございます」

千代女は、家康と小太郎、そしておふう、半蔵に深々と頭を下げた。

 その言葉には、一切の迷いはなかった。彼女は、影の存在として、信玄の夢の実現のために尽力してきた。今、その役割が終わり、彼女は自らの意思で、静かな隠遁の道を選ぶのだ。

「千代女殿……」

小太郎は、引き留めようと声を上げたが、千代女は静かに首を振った。

「小太郎殿。貴方様には、貴方様の使命がございます。どうか、家康様をお支えし、信玄様が夢見た泰平の世を、この目で確かめてください」

千代女は、そう言って、まるで煙のように、音もなく家康の部屋から姿を消した。
その背中は、過去の全てを背負い、そして未来へと静かに消え去っていく、一人の女忍びの生き様を物語っていた。

 歴史は、信長の死、そして信玄の死という二つの大きな節目を経て、いよいよ羽柴秀吉の天下統一へと向かう、激動の時代へと加速していくのである。
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