【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔

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第一部:長屋の日常と奇妙な事件の始まり

第四話:舞台上の消失

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 神社の境内に設けられた仮設舞台に、観衆の熱気が渦巻いていた。今夜の見世物は、遠方から来たという一座による人形芝居だ。中でも、座長である文七が操る「桜姫」という人形は、生木を削り出したとは思えぬほど精緻で、表情豊かに舞うことで評判だった。

 舞台は順調に進んでいた。文七が桜姫を操り、クライマックスへと向かうその時、物語の演出で一瞬、舞台が暗転した。ほんの数秒の闇。再び明かりが灯った刹那、観衆から、そして舞台の袖から、どよめきが上がった。

「ない! 桜姫の…桜姫の首がない!」

 文七が操っていた桜姫の胴体に、首から上がついていない。首は、直前まで文七の足元の、厳重に鍵のかけられた木箱に仕舞われていたはずだ。文七は顔面蒼白になり、すぐに木箱を開けるが、中は何もない。

 舞台の上は、観衆、一座の者、そして騒ぎを聞きつけた野次馬でたちまち混乱に包まれた。木箱の鍵は壊されておらず、舞台は周囲から隔絶されている。あの僅かな暗転の間に、一体誰が、どうやって、衆目の下にある木箱から、中の首だけを取り出したというのか? まるで狐が化かしたか、座敷童子の仕業か…皆が首をかしげる、奇妙な事件だった。

 この話を聞きつけたお絹は、甚兵衛にすぐさま伝えた。「甚兵衛さん、今度は見世物小屋で、人形の首が消えちまったんですって! 鍵のかかった箱から、目の前で!」

 甚兵衛は、その日、光の強さを感知して自動で動く奇妙な日傘のようなからくりを試作しているところだった。

「人形の首が消失? しかも舞台上、暗転のわずかな間に…ふむ、これは仕掛けがある」甚兵衛は興味津々といった様子だ。「目に見えない『からくり』が働いたとみるべきだな」

 二人は、人形師の宗兵衛から文七一座のことを聞き、境内の舞台へと向かった。文七は放心したように座り込んでいた。桜姫の首は、彼にとって単なる道具ではない。若き日に師匠から託された、大切な形見であり、一座の魂だったのだ。

 甚兵衛は舞台に上がり、現場を調べ始めた。木箱の鍵、箱の内側、舞台の床板、柱…隅々まで、光を頼りに目を凝らす。彼は、木箱の構造に奇妙な点があることに気づいた。鍵がかかる部分は頑丈だが、箱の底の角に、一見気づかないほどの微細な隙間があったのだ。そして、舞台の床板にも、その隙間に連なるような、わずかな色むらや傷がある。

「この隙間…そしてこの床の痕跡…」甚兵衛は呟いた。彼の脳裏に、かつて見た、ある種の「忍びの道具」の形が浮かび上がった。音を立てずに物を抜き取るための、しなやかで細い、特殊な先端を持つ道具。

 お絹は、一座の者たちに話を聞いた。文七には、最近座員との間で金銭トラブルがあったこと、かつて座員だったが今は抜けて別の見世物をやっている者と揉めていること、桜姫の人形を狙っているという不気味な噂があることなどを聞き出した。

「甚兵衛さん、文七さんには、お金のこととか、他の座員との揉め事とか、色々あるみたいです。人形を狙ってるっていう人もいるとか…」
「なるほど、動機は複数ありそうだな」甚兵衛は、お絹の情報と自身の観察結果を繋ぎ合わせる。「だが、問題は『どうやったか』だ。あの暗転は数秒。人が鍵を開けて物を取り出し、再び閉めるには短すぎる」

 甚兵衛は自身のからくりを取り出した。それは、細く長い金属のアームが、手元の操作で自在に曲がる「探り腕」のようなものだ。彼は木箱の底の隙間にアームの先端を差し込み、操作した。確かに、隙間を通して箱の内部に届く。
「犯人は、この箱の底の隙間を知っていた。そして、暗転の間に、この隙間から細い道具を差し込み、鍵を開けずに中の首だけを抜き取ったのだ」

 甚兵衛は続けた。「使う道具は、私がかつて見たことのある、『忍びの忍び』…つまり、普通の賊や密偵が使うものとも違う、より特殊な『からくり』だ。細く、遠くまで届き、中の物を傷つけずに掴めるもの…」

 甚兵衛はそこで言葉を切った。彼の目に、遠い昔の、暗い光が宿る。それは、彼が武士を捨てた理由に関わるような、忌まわしい記憶の一端を思わせた。お絹は、甚兵衛の様子から、ただの泥棒ではない何かを感じ取った。そして、あの「忍び仕事」という言葉を、改めて思い出した。

 甚兵衛は、あの暗転の時間内に、そのような「からくり」を使ったとして、誰にそれが可能か、そして誰に動機があるかをお絹の情報と合わせて考えた。一座の中に、道具作りに長けた者や、文七の木箱や舞台の構造を熟知している者がいる。そして、外の世界には、あの「忍びのからくり」を使える者がいる…。
「もし、あの『ある筋』の者が関わっているとしたら…人形の首に何か秘密でも?」お絹は大胆な推測をした。

 甚兵衛は、桜姫の胴体を見つめた。人形の首には、小さな細工や秘密が隠されていることがある。彼は胴体の首の付け根を調べ、そこに微細な細工、おそらく首との接続部分に隠された小さな印や細工があることに気づいた。それは、単なる人形の部品ではない、何かの符号のようにも見えた。

 甚兵衛は、お絹が見つけてきた情報と、人形の首に隠された可能性、そして「忍びのからくり」の技術を持つ者という要素を組み合わせ、犯人を特定した。それは、一座の古参だが最近文七と対立していた座員だった。彼は、かつて裏の稼業に関わったことがあり、件の「忍びのからくり」に似た道具を扱える技術を持っていたのだ。彼は、文七への恨みと、人形の首に隠された価値を知って(あるいは「ある筋」に示唆されて)、犯行に及んだのだ。

 甚兵衛は、件の座員に問い詰めた。甚兵衛が、あの暗転のわずかな時間で、あの隙間から「このからくり」を使っただろう、と自身の「探り腕」を見せながら迫ると、座員は顔面蒼白になった。まさか、あの高度な手口を見抜く者がいるとは思いもよらなかったのだ。

 座員は、盗んだ首を隠した場所を白状した。幸い、首は無事だった。文七は、首が戻ってきたことに心から安堵し、そして座員の裏切りに深く傷ついた。しかし、長年苦楽を共にした仲間であること、そして彼の抱えていた苦悩(座員は病気の家族を抱えていた)を知り、文七は座員を役人に突き出すのではなく、一座から追放する形で許しを与えた。座員は泣きながら文七に感謝し、二度と過ちは犯さないと誓った。

 事件は解決し、桜姫の首は無事文七のもとへ戻った。見世物は再び開かれ、長屋の人々も胸を撫で下ろした。舞台上の消失という、まるで手品のような事件の裏には、人間の嫉妬と苦悩、そしてそれを可能にした「忍びのからくり」があった。

 しかし、甚兵衛の心には、晴れない影が残っていた。彼が過去に見てきた「忍びのからくり」と同じ技術。人形の首に隠されたかもしれない印。そして、「ある筋」という言葉。

 長屋に帰る道すがら、甚兵衛はいつもより口数が少なかった。お絹は彼の横顔を心配そうに見つめた。
「甚兵衛さん、あの…大丈夫ですか?」

 甚兵衛は立ち止まり、遠くを見つめた。
「…あの『からくり』は、私が知っているものだ。そして、あの技術を使う者たちは、厄介な連中だった」

 彼は、お絹の目を見て言った。「どうやら、私が捨てたはずの過去が…こちらへ近づいてきているのかもしれない」

 甚兵衛の言葉は、長屋の穏やかな日常に、冷たい風を吹き込んだかのようだった。人形の首に隠された秘密、それを狙う「ある筋」。今回の事件は、これまでの長屋の事件とは違う、甚兵衛自身の過去に根差した、より危険な物語の始まりを予感させた。からくり長屋に、大きな影が忍び寄り始めていた。
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