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第二部:深まる人間関係と事件の広がり
第十八話:俸禄の行方
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御家人や同心への俸禄支給日。小普請奉行所の支払い所周辺は、朝早くからごった返していた。正規の俸禄を受け取る者、それを手形に換える者、手形を現金化する札差、さらにそこから金を受け取る商人や家族連れ…様々な思惑と金銭が行き交い、独特の熱気と混乱に包まれている。この日、この場所が、「影」が偽造手形を市場に大量に流し込む舞台となる可能性が高い。
「人出が多い…これなら、奴らも紛れ込みやすい」
甚兵衛は、人ごみから少し離れた場所で、周囲の様子を注意深く観察していた。お絹も彼の隣に立っている。二人は、この日のために用意した、町民に紛れるための地味な着物に身を包んでいる。甚兵衛の懐には、分析した偽造手形の秘密を元に作った、特殊なからくりが隠されている。それは、偽造手形に使われている微量の特殊な物質に反応し、隠された針が微かに光る(あるいは振動する)という、小型の検出装置だ。
「どこから仕掛けてくるんですい?」お絹が囁いた。
「支払いを受ける者本人に紛れ込ませるか、支払い所の内部で操作するか…あるいは、支払いを受けた者が手形を現金化する場所で受け渡すか。奴らなら、複数の方法を同時に使うだろう」
甚兵衛は、彼の過去の知識、特に「影」が混乱した状況での工作を得意とすることを思い出しながら、人ごみの中に「影」の者らしき人物が紛れていないか目を凝らす。彼らは、一見普通の町人や浪人、あるいは役人風に装っているかもしれない。しかし、その目つき、立ち居振る舞い、あるいは他の者との僅かな手信号…甚兵衛には、それを見抜く訓練が染み付いている。
人ごみの中を、甚兵衛とお絹はゆっくりと進んでいく。甚兵衛は、懐の検出装置を隠し持ちながら、周囲の人々や、受け渡しされる手形や金銭の包みに近づけるように動く。お絹は、彼の動きを補佐し、人混みを誘導したり、甚兵衛が観察に集中できるよう周囲に気を配ったりする。彼女の自然な振る舞いは、二人が目立たずに活動する上で不可欠だ。
検出装置が、微かに反応を示した。針が揺れ、光が点滅する。甚兵衛は、その反応があった人物の方向、あるいはその人物が受け取った手形の束を特定する。見た目は普通の商人風の男だ。しかし、その目は、周囲の喧騒とは無関係に、鋭く一点を見つめている。間違いなく「影」の者だ。
「…あいつだ」甚兵衛は目で合図する。
彼らはその男を尾行する。男は支払い所から少し離れた場所へ移動し、他の人物と接触しようとする。手形を交換する様子。その時、検出装置がさらに強く反応した。偽造手形が動いている。
「奴らは、支払われた本物の手形の束に、偽造したものを紛れ込ませている…あるいは、偽造手形を高値で買い取る者に流している」
甚兵衛は、男たちの手口を分析する。彼らが使っているのは、精密なすり替えの「からくり」か、あるいは一瞬の隙を突く素早い手作業だ。
検出装置は、他にも複数の場所で反応を示した。あそこにも、ここにも、「影」の者が偽造手形をばら撒いている。その規模は、甚兵衛が思っていた以上に大きい。このままでは、江戸中に偽造手形が溢れ、経済は大混乱に陥るだろう。
「どうしますい? 役人に知らせますか?」お絹が緊迫した声で尋ねた。
甚兵衛は逡巡する。役人に知らせても、この巧妙な手口と、人ごみに紛れた「影」の者たちを正確に特定し、捕らえるのは難しいだろう。下手に動けば、「影」はすぐに計画を中断し、姿を消す。そして、証拠も消し去るだろう。
「今、ここで奴らを止めなければならない。完全にではないにしても、奴らの計画を遅らせるか、規模を小さくする」
甚兵衛は決断した。彼は懐から別のからくりを取り出した。それは、特定の音波を発し、ごく狭い範囲で特定の材質の物体を僅かに振動させるという、小さな金属製の装置だ。彼は、偽造手形に使われている紙に、この音波で反応する微細な仕掛けが施されている可能性に賭ける。
甚兵衛は、偽造手形を交換している現場に、お絹と共に近づいた。周囲の喧騒に紛れて、検出装置で偽造手形を確認する。そして、その取引が行われる最も重要な瞬間に、音波からくりを起動させた。
キーン、という人間の耳には聞こえない高周波の音波が発せられる。その音波に反応して、偽造手形に使われた紙の仕掛けが僅かに振動する…はずだった。実際に何が起きたか。
偽造手形を受け取ろうとした札差の番頭が、手形を受け取った瞬間、妙な感触に気づき、怪訝な顔をした。あるいは、手形を渡そうとした「影」の者の手が、僅かに震え、動きが鈍った。甚兵衛のからくりは、完全に偽造手形を無効化するわけではないが、彼らの注意を引き、取引に僅かな乱れを生じさせたのだ。
「影」の者たちは、すぐに異変に気づいた。彼らは甚兵衛とお絹の方向を鋭く見た。勘の良い者だ。
「気づかれた!」お絹が囁く。
「影」の者たちは、手形を掴んだまま、人ごみの中に紛れて逃走を始めた。甚兵衛とお絹は、彼らを追うことはせず、その場から迅速に離れることを選んだ。今、追いかければ、他の「影」の者たちに囲まれる危険がある。目的は、偽造手形の行使を阻止することであり、彼ら全員を捕らえることではない。
彼らが起こした僅かな混乱は、全ての偽造手形を止めるには至らなかったかもしれない。しかし、一部の取引は中断され、札差たちの間に「何かおかしい」という疑念が生まれた。それは、「影」の計画に僅かな遅れと、彼らの存在への警戒をもたらすだろう。
小普請奉行所の支払い所から離れ、二人は人気の少ない裏通りに身を隠した。緊張から解放され、どっと疲労が押し寄せる。
「間に合ったんでしょうか…全部止められたんでしょうか…」お絹は不安げに言った。
甚兵衛は首を振った。「全てではない。奴らは、かなりの数の偽造手形を流しただろう。だが…奴らの計画に水を差すことはできた」
甚兵衛の懐の検出装置は、まだ微かに光っている。偽造手形は、今も江戸のどこかで流通しているのだ。今回の事件は、完全に解決したわけではない。しかし、甚兵衛とお絹は、命がけで「影」の計画の核心に触れ、その一端を阻止することに成功した。
「奴らは、我々の存在に気づいた。あるいは、改めて認識しただろう」甚兵衛は言った。「これからは、もっと危険になる」
俸禄支給日での偽造手形行使阻止という、緊迫した作戦は、甚兵衛のからくりと過去の知識、そしてお絹の機転と勇気によって、完全ではないにしても成功を収めた。しかし、それは同時に、「影」との直接対決が避けられなくなったことを意味する。物語は、更なる危険と対立へと進んでいく。
「人出が多い…これなら、奴らも紛れ込みやすい」
甚兵衛は、人ごみから少し離れた場所で、周囲の様子を注意深く観察していた。お絹も彼の隣に立っている。二人は、この日のために用意した、町民に紛れるための地味な着物に身を包んでいる。甚兵衛の懐には、分析した偽造手形の秘密を元に作った、特殊なからくりが隠されている。それは、偽造手形に使われている微量の特殊な物質に反応し、隠された針が微かに光る(あるいは振動する)という、小型の検出装置だ。
「どこから仕掛けてくるんですい?」お絹が囁いた。
「支払いを受ける者本人に紛れ込ませるか、支払い所の内部で操作するか…あるいは、支払いを受けた者が手形を現金化する場所で受け渡すか。奴らなら、複数の方法を同時に使うだろう」
甚兵衛は、彼の過去の知識、特に「影」が混乱した状況での工作を得意とすることを思い出しながら、人ごみの中に「影」の者らしき人物が紛れていないか目を凝らす。彼らは、一見普通の町人や浪人、あるいは役人風に装っているかもしれない。しかし、その目つき、立ち居振る舞い、あるいは他の者との僅かな手信号…甚兵衛には、それを見抜く訓練が染み付いている。
人ごみの中を、甚兵衛とお絹はゆっくりと進んでいく。甚兵衛は、懐の検出装置を隠し持ちながら、周囲の人々や、受け渡しされる手形や金銭の包みに近づけるように動く。お絹は、彼の動きを補佐し、人混みを誘導したり、甚兵衛が観察に集中できるよう周囲に気を配ったりする。彼女の自然な振る舞いは、二人が目立たずに活動する上で不可欠だ。
検出装置が、微かに反応を示した。針が揺れ、光が点滅する。甚兵衛は、その反応があった人物の方向、あるいはその人物が受け取った手形の束を特定する。見た目は普通の商人風の男だ。しかし、その目は、周囲の喧騒とは無関係に、鋭く一点を見つめている。間違いなく「影」の者だ。
「…あいつだ」甚兵衛は目で合図する。
彼らはその男を尾行する。男は支払い所から少し離れた場所へ移動し、他の人物と接触しようとする。手形を交換する様子。その時、検出装置がさらに強く反応した。偽造手形が動いている。
「奴らは、支払われた本物の手形の束に、偽造したものを紛れ込ませている…あるいは、偽造手形を高値で買い取る者に流している」
甚兵衛は、男たちの手口を分析する。彼らが使っているのは、精密なすり替えの「からくり」か、あるいは一瞬の隙を突く素早い手作業だ。
検出装置は、他にも複数の場所で反応を示した。あそこにも、ここにも、「影」の者が偽造手形をばら撒いている。その規模は、甚兵衛が思っていた以上に大きい。このままでは、江戸中に偽造手形が溢れ、経済は大混乱に陥るだろう。
「どうしますい? 役人に知らせますか?」お絹が緊迫した声で尋ねた。
甚兵衛は逡巡する。役人に知らせても、この巧妙な手口と、人ごみに紛れた「影」の者たちを正確に特定し、捕らえるのは難しいだろう。下手に動けば、「影」はすぐに計画を中断し、姿を消す。そして、証拠も消し去るだろう。
「今、ここで奴らを止めなければならない。完全にではないにしても、奴らの計画を遅らせるか、規模を小さくする」
甚兵衛は決断した。彼は懐から別のからくりを取り出した。それは、特定の音波を発し、ごく狭い範囲で特定の材質の物体を僅かに振動させるという、小さな金属製の装置だ。彼は、偽造手形に使われている紙に、この音波で反応する微細な仕掛けが施されている可能性に賭ける。
甚兵衛は、偽造手形を交換している現場に、お絹と共に近づいた。周囲の喧騒に紛れて、検出装置で偽造手形を確認する。そして、その取引が行われる最も重要な瞬間に、音波からくりを起動させた。
キーン、という人間の耳には聞こえない高周波の音波が発せられる。その音波に反応して、偽造手形に使われた紙の仕掛けが僅かに振動する…はずだった。実際に何が起きたか。
偽造手形を受け取ろうとした札差の番頭が、手形を受け取った瞬間、妙な感触に気づき、怪訝な顔をした。あるいは、手形を渡そうとした「影」の者の手が、僅かに震え、動きが鈍った。甚兵衛のからくりは、完全に偽造手形を無効化するわけではないが、彼らの注意を引き、取引に僅かな乱れを生じさせたのだ。
「影」の者たちは、すぐに異変に気づいた。彼らは甚兵衛とお絹の方向を鋭く見た。勘の良い者だ。
「気づかれた!」お絹が囁く。
「影」の者たちは、手形を掴んだまま、人ごみの中に紛れて逃走を始めた。甚兵衛とお絹は、彼らを追うことはせず、その場から迅速に離れることを選んだ。今、追いかければ、他の「影」の者たちに囲まれる危険がある。目的は、偽造手形の行使を阻止することであり、彼ら全員を捕らえることではない。
彼らが起こした僅かな混乱は、全ての偽造手形を止めるには至らなかったかもしれない。しかし、一部の取引は中断され、札差たちの間に「何かおかしい」という疑念が生まれた。それは、「影」の計画に僅かな遅れと、彼らの存在への警戒をもたらすだろう。
小普請奉行所の支払い所から離れ、二人は人気の少ない裏通りに身を隠した。緊張から解放され、どっと疲労が押し寄せる。
「間に合ったんでしょうか…全部止められたんでしょうか…」お絹は不安げに言った。
甚兵衛は首を振った。「全てではない。奴らは、かなりの数の偽造手形を流しただろう。だが…奴らの計画に水を差すことはできた」
甚兵衛の懐の検出装置は、まだ微かに光っている。偽造手形は、今も江戸のどこかで流通しているのだ。今回の事件は、完全に解決したわけではない。しかし、甚兵衛とお絹は、命がけで「影」の計画の核心に触れ、その一端を阻止することに成功した。
「奴らは、我々の存在に気づいた。あるいは、改めて認識しただろう」甚兵衛は言った。「これからは、もっと危険になる」
俸禄支給日での偽造手形行使阻止という、緊迫した作戦は、甚兵衛のからくりと過去の知識、そしてお絹の機転と勇気によって、完全ではないにしても成功を収めた。しかし、それは同時に、「影」との直接対決が避けられなくなったことを意味する。物語は、更なる危険と対立へと進んでいく。
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