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第三部:過去との対峙と陰謀の露見
第三十話:地下の心臓
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煙幕の混乱に乗じて、甚兵衛とお絹は地下空間の広間を突破し、奥へと続く通路へ逃げ込んだ。背後では、警備の怒鳴り声や、追跡の気配がする。しかし、彼らは立ち止まらない。目的地は、この先にある「影」の心臓部…からくり工房だ。
通路を進むと、遠くから、以前にも増して活発な機械の音が聞こえてくる。歯車が回る音、金属が擦れる音、蒸気を噴き出すような音…そして、人の声。近づくにつれて、明かりも強くなる。
通路の突き当たりに、大きな金属製の扉が現れた。そこから、光と音が盛大に漏れ出している。ここが、あの地下工房への入り口だ。警備はいない。おそらく、中の作業員や氷雨自身が、自分たちの拠点に易々と侵入されるなどと考えていないのだろう。あるいは、中に仕掛けられたからくりが、最大の防御なのだ。
甚兵衛は、金属製の扉に耳を当て、中の音を聞いた。そして、扉の構造を調べ始める。複雑な錠前がいくつもかかっているが、それはもはや主要なセキュリティではないようだ。扉そのものが、巨大なからくりの一部のように見える。
甚兵衛は、工房で設計した、扉を開けるための反からくりを取り出した。それは、特定の機構に微細な振動を与え、内部の連動を解除する装置だ。音を立てずに、扉を開ける。
ギー…コツ…という、微かな機械音が扉の中から響き、重い扉が内側へ向かってゆっくりと開いた。そこには、眩いばかりの光と、耳をつんざくような機械の轟音が満ちていた。熱気と共に、油や金属、そして未知の薬品のような匂いが鼻を突く。
甚兵衛とお絹は、開いた扉の隙間から、中の様子を覗いた。その光景に、二人は息を呑んだ。
広大な地下空間全体が、一つの巨大な「からくり」工房となっていた。天井は高く、無数の梁が張り巡らされ、滑車やベルトが複雑に絡み合っている。巨大な歯車がけたたましい音を立てて回り、蒸気機関らしきものが白い煙を吐き出している。作業台には、見たこともないほど精巧な部品が山と積まれ、数十人の男たちが、汗を流しながらからくりの組み立てや調整を行っている。彼らは皆、技術者か、あるいはからくり職人といった風貌だ。
そして、その空間の中央に、それはあった。
巨大な、金属の塊だ。複雑な歯車、精密な文字盤、無数の管、そして、まるで生き物の血管のように張り巡らされた金属線…それは、あの地下工房で氷雨が「鍵」と呼んでいた、まさに「影」の最終からくりだった。その規模は、甚兵衛が想像していたものを遥かに超えている。江戸の町を動かす巨大な時計、あるいは、町全体の機能を操る中枢装置のようだ。
甚兵衛は、過去の知識と、からくりの構造から、その機能の一部を理解した。これは、特定の信号を発生させ、離れた場所にある複数のからくりを同時に作動させるための装置。あるいは、膨大な情報を処理し、操作するための仕組み。偽造手形を生み出す「からくり」も、この巨大な装置から送られる信号か、あるいは生成される特別な素材を使って動いているのだろう。
そして、その巨大な「鍵」の傍らで、数人の男たちが指示を出しているのが見えた。その中心にいるのは…
「…氷雨だ」
甚兵衛が囁いた。氷雨は、作業着ではなく、きちんとした装束を纏い、冷たい目で巨大なからくりを見上げている。彼の周りには、幹部らしき者たちが数人控えている。彼の表情には、長年の計画が最終段階に入ったことによる、僅かな緊張と、そして絶対の自信が浮かんでいた。
甚兵衛は、集音からくりを使い、奥から漏れる会話を聞こうとする。機械の轟音で聞き取りにくいが、断片的な言葉が拾える。
「…同期確認…」「…各所へ信号…」「…期日まで…」「…準備は万全に…」
「期日」は、本当に間近に迫っている。そして、この「鍵」は、その日に複数の場所へ信号を送り、同時多発的にからくりを作動させるためのものなのだ。あの江戸の地図に記された場所が、まさにその標的なのだろう。
空間の隅には、鉄格子の嵌まった牢のような部屋がいくつか見えた。偵察の際に見た空の牢だ。辰五郎は…そこにいない。あるいは、この巨大な工房の別の場所に、より厳重に囚われているのだろうか。彼の安否は、未だ分からない。
二人は、しばらく息を潜めて様子を窺った。あまりに巨大なからくり。それを操る氷雨。そして、多数の技術者と警備。正面から突破して、この「鍵」を止めるのは、不可能に近い。甚兵衛が持つ反からくりは、この巨大な装置全体を破壊するものではない。
しかし、ここで引き返すわけにはいかない。このまま「期日」を迎えれば、江戸は…
「甚兵衛さん…あれが…奴らの…」お絹の声が震える。あんなものが、江戸の地下深くに隠されていたとは。そして、それが、自分たちの知る江戸を壊そうとしている。
氷雨が、何かに気づいたように、ふと扉の方を見た。甚兵衛とお絹は、咄嗟に身を隠した。心臓が止まるかと思うほどだ。氷雨の冷たい視線が、自分たちの隠れている場所を通過する。
「…何だ」
氷雨が、側にいた幹部に問いかけた声が、微かに聞こえた。何か異変に気づいたのだろうか。
見つかる前に、ここを離れなければならない。甚兵衛は判断した。情報を得た。あの巨大な「鍵」の存在、氷雨の指揮、そして計画の最終段階。これ以上は危険すぎる。
二人は、音もなく扉を閉じ、通路を戻った。背後から、地下工房の轟音と、氷雨の声が微かに響いてくる。脱出の道は、来た時よりも危険だろう。警備が異変に気づいた可能性もある。
地下工房への潜入は、まさに命がけだった。しかし、彼らは「影」の心臓部をその目で捉え、その恐るべき「鍵」の存在、そして氷雨の最終計画が進行している事実を突き止めた。辰五郎は見つからなかったが、彼の情報がこの「鍵」に使われている可能性は高い。
長屋に戻り、二人は改めて話し合った。得られた情報の重さ、そして「期日」までの猶予。もはや、役人に知らせるだけでは間に合わない。この巨大な「鍵」を、どうやって止めるか。
「あれを破壊する…あるいは、機能停止させる必要がある」甚兵衛は、設計図を描き始めた。「あの構造…特定の箇所を狙えば…」
「氷雨をどうしますい?」お絹が問う。
甚兵衛の顔に、決意の色が浮かぶ。氷雨は、この計画の首謀者だ。奴を止めなければ、再び同じような計画が繰り返されるだろう。
地下工房で見た光景は、甚兵衛とお絹に、絶望的なほどの敵の力の差を突きつけた。しかし、同時に、彼らの戦うべき相手、そして止めるべきものが明確になったのだ。物語は、いよいよ「影」との最後の直接対決、そして江戸の運命をかけた最終局面へと向かう。
通路を進むと、遠くから、以前にも増して活発な機械の音が聞こえてくる。歯車が回る音、金属が擦れる音、蒸気を噴き出すような音…そして、人の声。近づくにつれて、明かりも強くなる。
通路の突き当たりに、大きな金属製の扉が現れた。そこから、光と音が盛大に漏れ出している。ここが、あの地下工房への入り口だ。警備はいない。おそらく、中の作業員や氷雨自身が、自分たちの拠点に易々と侵入されるなどと考えていないのだろう。あるいは、中に仕掛けられたからくりが、最大の防御なのだ。
甚兵衛は、金属製の扉に耳を当て、中の音を聞いた。そして、扉の構造を調べ始める。複雑な錠前がいくつもかかっているが、それはもはや主要なセキュリティではないようだ。扉そのものが、巨大なからくりの一部のように見える。
甚兵衛は、工房で設計した、扉を開けるための反からくりを取り出した。それは、特定の機構に微細な振動を与え、内部の連動を解除する装置だ。音を立てずに、扉を開ける。
ギー…コツ…という、微かな機械音が扉の中から響き、重い扉が内側へ向かってゆっくりと開いた。そこには、眩いばかりの光と、耳をつんざくような機械の轟音が満ちていた。熱気と共に、油や金属、そして未知の薬品のような匂いが鼻を突く。
甚兵衛とお絹は、開いた扉の隙間から、中の様子を覗いた。その光景に、二人は息を呑んだ。
広大な地下空間全体が、一つの巨大な「からくり」工房となっていた。天井は高く、無数の梁が張り巡らされ、滑車やベルトが複雑に絡み合っている。巨大な歯車がけたたましい音を立てて回り、蒸気機関らしきものが白い煙を吐き出している。作業台には、見たこともないほど精巧な部品が山と積まれ、数十人の男たちが、汗を流しながらからくりの組み立てや調整を行っている。彼らは皆、技術者か、あるいはからくり職人といった風貌だ。
そして、その空間の中央に、それはあった。
巨大な、金属の塊だ。複雑な歯車、精密な文字盤、無数の管、そして、まるで生き物の血管のように張り巡らされた金属線…それは、あの地下工房で氷雨が「鍵」と呼んでいた、まさに「影」の最終からくりだった。その規模は、甚兵衛が想像していたものを遥かに超えている。江戸の町を動かす巨大な時計、あるいは、町全体の機能を操る中枢装置のようだ。
甚兵衛は、過去の知識と、からくりの構造から、その機能の一部を理解した。これは、特定の信号を発生させ、離れた場所にある複数のからくりを同時に作動させるための装置。あるいは、膨大な情報を処理し、操作するための仕組み。偽造手形を生み出す「からくり」も、この巨大な装置から送られる信号か、あるいは生成される特別な素材を使って動いているのだろう。
そして、その巨大な「鍵」の傍らで、数人の男たちが指示を出しているのが見えた。その中心にいるのは…
「…氷雨だ」
甚兵衛が囁いた。氷雨は、作業着ではなく、きちんとした装束を纏い、冷たい目で巨大なからくりを見上げている。彼の周りには、幹部らしき者たちが数人控えている。彼の表情には、長年の計画が最終段階に入ったことによる、僅かな緊張と、そして絶対の自信が浮かんでいた。
甚兵衛は、集音からくりを使い、奥から漏れる会話を聞こうとする。機械の轟音で聞き取りにくいが、断片的な言葉が拾える。
「…同期確認…」「…各所へ信号…」「…期日まで…」「…準備は万全に…」
「期日」は、本当に間近に迫っている。そして、この「鍵」は、その日に複数の場所へ信号を送り、同時多発的にからくりを作動させるためのものなのだ。あの江戸の地図に記された場所が、まさにその標的なのだろう。
空間の隅には、鉄格子の嵌まった牢のような部屋がいくつか見えた。偵察の際に見た空の牢だ。辰五郎は…そこにいない。あるいは、この巨大な工房の別の場所に、より厳重に囚われているのだろうか。彼の安否は、未だ分からない。
二人は、しばらく息を潜めて様子を窺った。あまりに巨大なからくり。それを操る氷雨。そして、多数の技術者と警備。正面から突破して、この「鍵」を止めるのは、不可能に近い。甚兵衛が持つ反からくりは、この巨大な装置全体を破壊するものではない。
しかし、ここで引き返すわけにはいかない。このまま「期日」を迎えれば、江戸は…
「甚兵衛さん…あれが…奴らの…」お絹の声が震える。あんなものが、江戸の地下深くに隠されていたとは。そして、それが、自分たちの知る江戸を壊そうとしている。
氷雨が、何かに気づいたように、ふと扉の方を見た。甚兵衛とお絹は、咄嗟に身を隠した。心臓が止まるかと思うほどだ。氷雨の冷たい視線が、自分たちの隠れている場所を通過する。
「…何だ」
氷雨が、側にいた幹部に問いかけた声が、微かに聞こえた。何か異変に気づいたのだろうか。
見つかる前に、ここを離れなければならない。甚兵衛は判断した。情報を得た。あの巨大な「鍵」の存在、氷雨の指揮、そして計画の最終段階。これ以上は危険すぎる。
二人は、音もなく扉を閉じ、通路を戻った。背後から、地下工房の轟音と、氷雨の声が微かに響いてくる。脱出の道は、来た時よりも危険だろう。警備が異変に気づいた可能性もある。
地下工房への潜入は、まさに命がけだった。しかし、彼らは「影」の心臓部をその目で捉え、その恐るべき「鍵」の存在、そして氷雨の最終計画が進行している事実を突き止めた。辰五郎は見つからなかったが、彼の情報がこの「鍵」に使われている可能性は高い。
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「氷雨をどうしますい?」お絹が問う。
甚兵衛の顔に、決意の色が浮かぶ。氷雨は、この計画の首謀者だ。奴を止めなければ、再び同じような計画が繰り返されるだろう。
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