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第三部:過去との対峙と陰謀の露見
第三十一話:鍵を止める策
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地下工房から長屋に戻った甚兵衛とお絹は、得られた情報の重さに打ちのめされそうになっていた。あの巨大な「鍵」…江戸全体を標的とする「影」の最終からくりだ。そして、氷雨が、その完成を指揮している。
工房で、甚兵衛は記憶を頼りに、あの巨大な「鍵」の構造図を詳細に描き起こした。歯車の一つ一つ、管の配置、制御盤らしき部分…偵察で見たもの全てを、頭の中から紙の上に再現する。お絹もまた、見えたもの、氷雨の様子、作業員たちの動きなどを補足した。
「あれは…複数の機能を持ち、同時に広範囲へ影響を与えるための複合からくりだ。信号を送信する機構、動力を制御する仕組み、そして恐らく…人々の注意を逸らす、あるいは特定の混乱を生み出すための仕掛けが連動している」
甚兵衛は分析した。札差町の偽造手形、報せの混乱、日本橋の奇妙な事件…これら全ては、あの「鍵」の部品が生み出す現象に過ぎず、最終的な『期日』に、全てが一斉に作動するのだ。
「あれを止めるには…破壊するか、完全に機能停止させるしかない。期日は…おそらく、数日以内だ」
時間は無い。警察や役人に知らせても、あの地下工房の存在を信じさせるのは難しいだろう。仮に動いたとしても、「影」はすぐに証拠を隠滅し、姿を消す。あの巨大な「鍵」を止められるのは、その仕組みを理解できる自分だけだ。
作戦会議が始まった。目標は、あの地下工房へ再び潜入し、巨大な「鍵」を無力化すること。そして、可能であれば、氷雨の身柄を拘束するか、少なくとも奴の指示系統を断つこと。辰五郎の手掛かりも探さなければならない。
「最も効果的なのは、中枢を司る部分だ。動力源か、信号を送信する部分か、あるいは…」
甚兵衛は、あの巨大なからくりの構造図を見つめながら、弱点を特定しようとする。複雑すぎて、全体を把握するのは不可能に近い。しかし、どんな巨大なからくりにも、必ず動かすための要がある。
潜入ルートは、水路の隠し扉しかない。しかし、一度潜入されたと知れば、氷雨は必ずあの入り口の警備をさらに強化しているだろう。内部にも新たな罠が仕掛けられているはずだ。
「内部の警備…技術者たち…そして、氷雨本人。奴らをどう突破するか…」
甚兵衛は、工房にある全ての道具、そして自身の過去の知識を総動員して考えを巡らせる。物理的な力では勝ち目はない。「反からくり」と、知恵、そして奇襲しかない。
「工房内部へ侵入するための反からくりが必要だ。音を立てずに鍵を破る、床や壁の罠を感知する、そして…」
甚兵衛は、あの巨大な「鍵」を無力化するための、より精密な反からくりの設計に取り掛かった。それは、特定の歯車を一時的に固定する粘着性の薬剤を正確に射出する装置かもしれない。あるいは、制御盤の電気信号(当時の技術で可能な範囲の、静電気や磁力を用いたもの)を狂わせるからくりかもしれない。はたまた、主要な部品を瞬時に切断する小型の切断機か。
お絹も、設計を手伝い、必要な部品の準備を始めた。彼女は、甚兵衛の意図を汲み取り、黙々と作業を進める。危険な任務のための道具を作る手は、しかし迷いがない。
「この部品は、あの歯車に嵌(は)め込むためのものですいね」
お絹が言った。甚兵衛は頷く。彼女の正確な手仕事は、複雑な反からくりを完成させる上で不可欠だ。
そして、最も難しいのは、氷雨への対応だ。あの男は、単なる策士ではない。身を守るための「からくり」や、非常時の手段も用意しているはずだ。そして、何より…彼の冷酷な知略が、最大の障害となる。
「氷雨と対峙する状況になったら…どうする?」お絹が尋ねた。
甚兵衛の顔に、苦悩の色が浮かぶ。氷雨は、甚兵衛が捨てた過去の象徴だ。奴を前にすれば、武士だった頃の自分が顔を出すかもしれない。しかし、それは危険だ。感情に流されれば、計画は破綻する。
「…奴のからくりを上回る。そして…捕らえる」
甚兵衛は、自分に言い聞かせるように言った。殺すのではない。捕らえ、奴の野望を根底から断つのだ。そして、氷雨を捕らえれば、辰五郎の行方も、あるいは「影」の本体も明らかになるかもしれない。
「期日」が迫っている焦りが、二人の心を締め付ける。時間はない。計画を立て、反からくりを完成させ、実行に移さなければならない。
夜が更け、工房の灯りが揺れる。甚兵衛とお絹は、来るべき最終局面に向け、一心不乱に準備を進めていた。彼らの手の中で、江戸の運命をかけた「反からくり」が、形を成していく。これは、単なる発明ではない。過去との決着であり、未来を守るための戦いだ。
工房で、甚兵衛は記憶を頼りに、あの巨大な「鍵」の構造図を詳細に描き起こした。歯車の一つ一つ、管の配置、制御盤らしき部分…偵察で見たもの全てを、頭の中から紙の上に再現する。お絹もまた、見えたもの、氷雨の様子、作業員たちの動きなどを補足した。
「あれは…複数の機能を持ち、同時に広範囲へ影響を与えるための複合からくりだ。信号を送信する機構、動力を制御する仕組み、そして恐らく…人々の注意を逸らす、あるいは特定の混乱を生み出すための仕掛けが連動している」
甚兵衛は分析した。札差町の偽造手形、報せの混乱、日本橋の奇妙な事件…これら全ては、あの「鍵」の部品が生み出す現象に過ぎず、最終的な『期日』に、全てが一斉に作動するのだ。
「あれを止めるには…破壊するか、完全に機能停止させるしかない。期日は…おそらく、数日以内だ」
時間は無い。警察や役人に知らせても、あの地下工房の存在を信じさせるのは難しいだろう。仮に動いたとしても、「影」はすぐに証拠を隠滅し、姿を消す。あの巨大な「鍵」を止められるのは、その仕組みを理解できる自分だけだ。
作戦会議が始まった。目標は、あの地下工房へ再び潜入し、巨大な「鍵」を無力化すること。そして、可能であれば、氷雨の身柄を拘束するか、少なくとも奴の指示系統を断つこと。辰五郎の手掛かりも探さなければならない。
「最も効果的なのは、中枢を司る部分だ。動力源か、信号を送信する部分か、あるいは…」
甚兵衛は、あの巨大なからくりの構造図を見つめながら、弱点を特定しようとする。複雑すぎて、全体を把握するのは不可能に近い。しかし、どんな巨大なからくりにも、必ず動かすための要がある。
潜入ルートは、水路の隠し扉しかない。しかし、一度潜入されたと知れば、氷雨は必ずあの入り口の警備をさらに強化しているだろう。内部にも新たな罠が仕掛けられているはずだ。
「内部の警備…技術者たち…そして、氷雨本人。奴らをどう突破するか…」
甚兵衛は、工房にある全ての道具、そして自身の過去の知識を総動員して考えを巡らせる。物理的な力では勝ち目はない。「反からくり」と、知恵、そして奇襲しかない。
「工房内部へ侵入するための反からくりが必要だ。音を立てずに鍵を破る、床や壁の罠を感知する、そして…」
甚兵衛は、あの巨大な「鍵」を無力化するための、より精密な反からくりの設計に取り掛かった。それは、特定の歯車を一時的に固定する粘着性の薬剤を正確に射出する装置かもしれない。あるいは、制御盤の電気信号(当時の技術で可能な範囲の、静電気や磁力を用いたもの)を狂わせるからくりかもしれない。はたまた、主要な部品を瞬時に切断する小型の切断機か。
お絹も、設計を手伝い、必要な部品の準備を始めた。彼女は、甚兵衛の意図を汲み取り、黙々と作業を進める。危険な任務のための道具を作る手は、しかし迷いがない。
「この部品は、あの歯車に嵌(は)め込むためのものですいね」
お絹が言った。甚兵衛は頷く。彼女の正確な手仕事は、複雑な反からくりを完成させる上で不可欠だ。
そして、最も難しいのは、氷雨への対応だ。あの男は、単なる策士ではない。身を守るための「からくり」や、非常時の手段も用意しているはずだ。そして、何より…彼の冷酷な知略が、最大の障害となる。
「氷雨と対峙する状況になったら…どうする?」お絹が尋ねた。
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