【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔

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第四部:大団円 ~からくりと人情が結ぶ未来~

第五十八話:夜明け前の帰路

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 夜明け前の江戸の町。静寂の中に、三つの影が必死に足を進める音だけが響いていた。甚兵衛とお絹、そして担架からくりに乗せられた辰五郎だ。商家からの脱出、屋根上での激闘、そして夜通しの街中での逃走…彼らの体力は、もはや限界に近かった。

 担架からくりは、疲弊した身体には信じられないほど重い。肩は軋み、腕は痺れている。足は棒のようだ。一歩踏み出すたびに、全身が悲鳴を上げる。お絹もまた、顔色が蒼白で、額には汗が滲んでいる。

「大丈夫ですい…もうすぐ…」

 お絹が、自身に言い聞かせるように呟いた。長屋は、もうそう遠くはないはずだ。しかし、その「もう少し」が、果てしなく遠く感じられる。
「影」の追跡は、まだ続いているだろう。気配は感じないが、油断はできない。奴らは、しつこい。特に、辰五郎という貴重な囚人を奪われたとなれば、全力を挙げて捜索しているはずだ。

 彼らは、大通りを避け、細い路地や、川沿いの人目の少ない道を選んで進む。街中には、早起きの商人や職人の姿がちらほら見え始めている。夜が明ければ、人目が多くなり、担架からくりに乗せた辰五郎を隠し通すのは難しくなる。夜が明ける前に、長屋にたどり着かなければならない。

「この先に…古い祠(ほこら)がありますい…そこで少しだけ…」

 お絹が、震える声で言った。近くに、人目につかない小さな祠があるらしい。甚兵衛は頷いた。このままでは、体力が尽きて動けなくなる。僅かでも休息が必要だ。

 祠の脇の、建物の陰に担架からくりをそっと置いた。身体から力が抜け、その場にへたり込む。肩で息をしながら、互いの、そして辰五郎の様子を見る。

 辰五郎は、担架からくりの中で、弱々しく笑みを見せた。

「…すまない…俺のせいで…」

「何言ってるんですい! 無事でよかった…!」

 お絹が、涙を堪えながら言った。甚兵衛も、辰五郎の手を握る。救出は成功した。しかし、代償は大きい。

 甚兵衛は、残されたからくり道具の中に、応急手当に使えそうなものがないか探す。小さな傷薬や、疲れを和らげる薬品など。それらを使い、自分たちの、そして辰五郎の僅かな手当をする。

 休息は、ほんの数分だ。しかし、その僅かな時間が、身体に活力を取り戻してくれる。再び、担架からくりを担ぎ上げる。重みは変わらない。しかし、心は違う。

「行くぞ。長屋へ」

 甚兵衛の声に、力が戻っていた。お絹も頷く。三人は、再び夜明け前の江戸の町を進み始めた。

 空の色が、白み始めている。夜明けは近い。時間が無い。

 追跡者は、まだ諦めていないだろう。彼らが長屋にたどり着くことを、奴らが予測している可能性もある。長屋の入り口に、待ち伏せているかもしれない。

 甚兵衛は、長屋に近づくにつれて、より一層警戒を強める。残された最後の探知からくり(周囲の異常な気配を感知するもの)を使い、周囲の状況を探る。不審な人影はないか。物陰に潜む気配はないか。

 長屋の路地が見えてきた。見慣れた、しかし今は恐ろしく感じる入り口だ。甚兵衛は、立ち止まり、周囲を念入りに確認する。路地、長屋の入り口、周囲の建物…異常はないか。

「…いない…ようですい」

 お絹が、息を詰めて囁いた。探知からくりにも、不審な反応はない。

 長屋への道は、開けている。

 しかし、彼らの体力は限界だ。今にも倒れそうだ。このまま、無防備に長屋に入って良いのか。

 その時、長屋の中から、僅かに灯りが漏れているのが見えた。おかみさんが、彼らを待っているのだろうか。

 甚兵衛とお絹は、最後の力を振り絞り、担架からくりと共に長屋の入り口へ向かった。重い木戸を開ける。中からは、住人たちの寝息と、おかみさんの部屋からの微かな灯りが漏れている。

 帰ってきた。地獄を乗り越え、友を救い出し、そして、彼らの「人情」の帰る場所へ。

 しかし、物語はまだ終わらない。彼らは帰還したが、氷雨は。そして、「影」という組織は。辰五郎は無事なのか。大団円へ向けた最後の局面が、今、長屋の入り口で始まる。
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